第16話 幽霊って名前はぴったりくるね

「――あれっ? こっちのお魚さんは何?」


 聞けば、アフリカンナイフフィッシュは夜行性なのだという。どうりで動きが鈍いわけだなと納得した小清水は、ふと真横の水槽に目を向け、そちらにも変わった形の魚が泳いでいるのに気づいて首を傾げた。


 全体としてはアフリカンナイフに似ている。尾に近づくにつれて細くなってゆく流線型のシルエットも、腹から尾にかけて生える薄いヒレも、隣の魚と共通する特徴である。


 しかし、まったく別の魚であることは一目でわかる。


 その魚は、カラスの羽のような漆黒を身に纏っているのだ。


「あー、そいつはブラックゴーストだね」


「ぶ、ぶらっくごーすと……!?」


 ちょうどその水槽の正面にいた千尋が、いち早く質問に答えてくれた。


 ブラックゴースト。


 なんとも怖ろしげな響きである。そんな名前なのだと知ってしまうと、ゆったりと揺蕩うような泳ぎ方も、どことなく亡霊めいた不気味なものに見えてくる。


「南米産のナイフフィッシュの仲間だよ。現地じゃ『悪魔の使い』なんて呼ばれているとかいないとか……」


「あ、悪魔……」


 背が冷える思いの小清水の視線の先で、ブラックゴーストはひたすらにヒレだけを波打たせ、緩やかな速さで遊泳し続けている。


 アフリカンナイフとさほど変わらないはずの動きが、今度ばかりは不吉に感じられて仕方なかった。


 と、次の瞬間――


「無駄に怖がらせるなアホ千尋」


「いだっ!」


 千尋のつむじをめがけて、いつの間にか彼女のうしろに回っていた琴音のチョップが飛んだ。


「コト、あたしと小清水ちゃんの扱いの差ひどくねえ……?」


「日頃の行いだ」


 抗議を鮮やかにスルーして、琴音は小清水へと向き直る。


「オカルトはさておき。飼いやすい魚らしいよ、ブラックゴースト」


「そうなの?」


「私も知識として知ってるだけだけど」


 琴音はそう言って、ひらひらとスマートフォンをちらつかせた。


「人工餌、冷凍アカムシ、生き餌、どれでも選り好みしないで食べてくれるみたいだから。飼うほうとしてはこんなに助かることはないよ」


 なぜか目つきが遠い。給餌で苦労した経験でもあるのかもしれない。


「夜行性っていうのもネックにはならないんじゃないかな。私たち基本、学校から帰ってきた後に魚の世話するんだし」


「そっか、そうだよね。夜に元気なほうが見応えあるかも」


「泳ぐところだけならショップで見たことある。小刻みに左右に動いたり、かと思えば急にバックしたり……その間も、今みたいにヒレをゆらゆらさせててさ。捉えどころがないって意味では、幽霊って名前はぴったりくるね」


「ううう……わたしはその名前、怖いからあんまり好きじゃないなあ」


 ブラックはともかくゴーストはやめてほしい。普通にブラックナイフとか言ってくれればいいのにと小清水は思う。


 しかし、琴音の反応は微妙だった。


「難しいかもね。さっき千尋はナイフフィッシュの仲間だって紹介したけど、厳密には別の種類だから」


「え。どういうこと?」


「形がナイフフィッシュに似てるからナイフフィッシュの仲間扱いされてるだけだってこと。学術上の……って言えばいいのかな、分類としては別なんだって」


 琴音の話によると、こうだ――東南アジアやアフリカに生息しているナイフフィッシュは「アロワナ目ナギナタナマズ科」に属している。一方で、南米原産のブラックゴーストは「デンキウナギ目」に分類される、らしい。


「つまり……アザラシとジュゴンくらいには違うってこと?」


「まあ、そんな感じかな。アクアリウム的には大抵一緒くたにナイフ扱いだから、通販で買うときなんかは古代魚のページ見れば事足りちゃうけど」


「ややこしいね。――ところで、」


 琴音の説明で一つ、気になったことがあった。


「デンキウナギってことは、この子って電気出すの? 水槽のお掃除とかしてたら感電しちゃうんじゃ……」


「――心配いらんよー、そんな強い電気じゃないから」


 千尋が復活した。


「電気出すことで周りを探ってんだよ。障害物がないかとか、餌になる生き物がいるかとか。でも、ブラックゴーストが起こす電気はまじもんのデンキウナギほどじゃないから、人間どころか他の魚だって感電しないね」


「じゃあ……混泳もいける感じなんだ?」


「いやダメ。つーか、オススメできない。こいつら夜のほうが活発だから他の魚のストレスになるし、かといってブラックゴーストどうしで泳がせようもんなら電気でお互いを感知し合って大喧嘩になるんだわ」


「な、難儀だね」


 同種とも他種とも相性が悪い、というわけだ。そういうことならたしかに単独飼育がベストだろう。


「まぁ、小清水ちゃんの水槽なら自動的に単独飼育になるよ。三〇センチあたりまでは育つ可能性あっから」


「あ、飼えることは飼えるんだね」


「理想を言やもうワンサイズ大きい水槽のほうがいいけど、60cm規格でもギリいけなくはない、って感じかなー」


「ふむふむ……」


 小清水はスマホを取り出して教わったことをメモしながら、水槽の中の魚体をまじまじと観察する。


 ブラックゴースト。黒いドレスの裾を翻して踊る不思議な魚。……ひょっとしたらオスかもしれないけど。


 名前が怖いのはやっぱり気になる。


 でも、見た目や仕草には変わった雰囲気があって面白い気もする。こういう「いかにも」な怪魚が部屋にいたら、ある種の特別感に浸ることはできるだろう。


「妖しい魅力っていうのかな、こういうの」


 そのとき、水槽のガラス面に人影がよぎった。


「あ! すいませ……」


 一般客だろう、と思って少し慌てた。売り場に三人でたむろしていては通行の邪魔になりかねない。


 しかし、相手の顔を視界に収めた途端、小清水は目を丸くした。


「――あれっ?」


「――あら?」


 意外なものを見た、という表情を浮かべているのは相手も同じだった。


「奇遇ですね、小清水さん」


 背中まで伸びたストレートの黒髪に、見ていて羨ましくなるほどきめ細やかな色白の肌。鮮やかなモノクロームのコントラストを携えるその少女を、小清水はもちろん知っていた。


「委員ちょ……翠園寺すいおんじさん、どうしてここに?」


 ホームセンターの熱帯魚コーナー、である。


 亜久亜あくあ高校一年B組のクラスメイトにして委員長、翠園寺莉緒りお――深窓の令嬢を思わせる彼女の姿は、良くも悪くも、この場にマッチしているとは言いがたい。

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