第15話 ナイフだね、これは
「帰りにホムセン寄ろうぜ!」
サンドイッチを手に戻ってきた千尋の一言で、放課後の寄り道が決まった。
単にホームセンターというだけなら市内には余るほどの数があるが、ペットコーナーが充実しているところ、特にアクアリウムに力を入れている店舗となると候補は途端に絞られる。
まず思い当たるのは国道沿いにできた「サールモール」である。ここは大手ホームセンターチェーンの「サールホーム」を核店舗とするショッピングセンターで、つい最近オープンしたばかりとあってフロア内が実にきれいだ。ただ、いかんせん近くに駅がないので、車を運転できない自分たちが
というわけで、小清水と琴音と千尋はいま、もう一つの候補の真ん前にいる。
「――で? 何を見るんだここで」
さっきから答えをはぐらかされ続けて若干不機嫌になっている琴音が、温度の低い眼差しを向けて都合三度目の問いを放つ。
「こういうのは『寄る』じゃなくて『足を伸ばす』って言うんだ。くだらないことだったら引っぱたくぞ」
「だいじょうぶだいじょうぶ。コトだけならともかく、小清水ちゃんまでつまんないことに巻き込んだりしねーって」
「それはそれで腹立つな!」
小清水は静かに笑みを漏らす。この種の言い合いが二人にとって日常であることは小清水にもわかっているので、今更驚きはしない。
「……でも、わたしも気になるな。そろそろ教えてくれないかな?」
「小清水ちゃんの頼みじゃ仕方ねーなあ」
千尋は意味ありげに口元を歪め、白い歯を剥いてみせた。
「ウチ新聞取ってんだけどさ。今日の朝刊にここのチラシが挟まってたんよ」
「チラシ?」
「新しい生体が入った、ってさ。そろそろシクリッド以外の魚のことも知りたくなってきた頃っしょ? 売れまくるタイプの魚ってわけじゃないからまだ残ってるだろうし、実物見るいいチャンスなんだわ今」
「じゃあ……天河さん、わたしのために?」
頭の奥がむずむずと疼く。
「ありがとう、誘ってくれて!」
「よせやい照れちまうぜ。……ぶっちゃけた話、あたしも見たかったってのが大きいわけだしな」
これまで学んできたのとは別種の魚。
小清水は胸が躍る感覚に震えた。何と言っても今回は、雑誌でも動画でもなく実物をこの目で眺められるのだ。
ふと隣に顔を向けると、琴音がひどく憮然とした表情を浮かべていた。
が、再び開かれた彼女の口から発せられた言葉は、まさしく小清水の期待を代弁するかのようなものだった。
「……結局、その『新しい生体』って何なんだ?」
ふふん、と千尋は鼻息も荒く告げる。
「アフリカンナイフフィッシュだ!」
自動ドアを潜って入店し、園芸用品が所狭しと陳列されたエリアを抜けて先へ進むと、目の前にペット用品のコーナーが現れる。一番端っこが熱帯魚用品の棚だ。そしてそのさらに向こう、フロアの最奥にあたる角に生体の水槽が並んでいる。
三段重ねのラックの中段に置かれた、60cmサイズの規格水槽。そこにお目当ての魚はいた。
アフリカンナイフフィッシュである。
「うーん。ナイフだね、これは」
魚を前にした小清水の第一声がそれだ。
最初に聞いたときから、どうしてそんな名前がついているのだろうと気になってはいた。一目見て、答えがわかった。
頭から腹にかけて太くなり、尾の先端に向かうにつれて絞られるように細くなってゆく流線型の魚体。湾曲した体に薄い腹ビレがぴったりと沿い、ひとつのまとまったシルエットを生み出している。
その形はどこからどう見ても、ナイフの刃そのものだ。
「かっこかわいい子だなあ。ちょっと色合いが地味だけど」
「茶色と灰色を混ぜたような感じだよな。ナイフフィッシュの仲間にはもっと銀色だったり模様があったりするヤツもいるんだけど、まぁアフリカンはこんな感じ」
「なるほどー……」
小清水は感嘆の声をあげて魚に見入る。
アフリカンナイフフィッシュは三人の視線を感じ取っているらしく、じっとこちらを見つめたまま一点に留まっている。ヒレだけが風にはためくカーテンのように絶えず波打っていて、いつまでも眺めていられそうだった。
「古代魚にしては手頃なサイズだよな」
と、半ば独白めいて琴音がこぼす。
「そういう意味じゃ、小清水さんの選択肢にも入るかも」
「古代魚……?」
また知らない言葉が出てきた。
「シーラカンスって聞いたことない? ああいう感じで、大昔から姿形が変わってない魚のグループをそう言うんだ。いわゆる『生きている化石』だよ」
「ナイフフィッシュもその仲間なんだ?」
「そ。――ただ、さっき千尋が言ったとおり、ナイフフィッシュにも種類があってね。他のは大きくなっちゃうから60cmではとても飼えない」
「へえぇ……どのくらい大きくなるの?」
「中くらいのだと六〇センチ」
「わ、もうその時点で無理だよ。ちなみに大きいのだと?」
「小清水さんの身長くらい」
度肝を抜かれた。
つまり、一五〇センチ前後まで育つということだ。
「……うそでしょ?」
「ほんと。ま、水槽で飼ってたら半分ちょっとで成長止まるだろうけど」
「ううん……それでもちょっと、さすがに大きすぎて怖いなあ……」
どのみち一メートル近い。そこまでいってしまうと、もはや外見や仕草に愛嬌があるとかないとかの問題ではなく、単純に手に負えないような気がする。
「ちなみにこの子は?」
「二〇センチが限度だって聞く。――だよな、千尋?」
おうよ、と千尋が後を引き取る。
「ナマズとかカラシンあたりにも洒落ならんくらいデカくなるのはいるけど、古代魚は特にその割合が高いんだよ。だから二〇センチなんてのは逆に貴重」
アクアリウムへの入門に最も適した規格である60cm水槽で終生飼育ができる、数少ない古代魚なのだ――千尋はそんなふうに言葉を結んだ。
「天河さん、古代魚が好きなの?」
「いまウチで飼ってるのは古代魚じゃねーけどなー。でもまあ、一人暮らし始めたらやってみたいとは思ってるよ。なんたってロマン感じるじゃん、古代魚って響き」
琴音が説明してくれたことを思い出す。太古の昔からの姿を現代まで伝えているのが古代魚、という話だったはずだ。
千尋がロマンを見出すのも無理はない。
「二人がそこまで言うなら、検討してみようかなあ」
値札に目をやる。
アフリカンナイフフィッシュ、二五〇〇円。
祖父や琴音のおかげで初期費用がほとんどかかっていない小清水にとっては、手が出ない額ではない。
「んん~~……」
真剣に唸る小清水を見て、千尋は実に面白そうに笑った。
「まだまだ小清水ちゃんの知らない魚はたくさんいるんだからさ、いま無理に決める必要はないでしょ。――んでも、選択肢に含めとくのはアリだと思うぜ」
「そう……だね。うん、考えてみるよ」
小清水の視線の先で、灰褐色のナイフの刃は相も変わらず、ゆらゆらとヒレだけを揺らす不思議な泳ぎ方で静止している。
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