第13話 眺めてるうちに手ェ出したい欲が高まってきて
「巳堂さん、雑誌ありがとう。すっごく勉強になったよ!」
四限目の終了のチャイムが鳴って、昼休みに突入するなり、小清水は隣の教室へと駆け込んだ。
よっぽど目を輝かせていたのかもしれない。
琴音はいつもどおりクールだったが、こちらと顔を合わせるなり口角を上げた。
「面白かった?」
「とても! 同じ括りの魚でもいろんな形の子がいて……」
そこまで答えた小清水は、ふと小首を傾げて、
「――って、それを最初に訊くの? もっとこう、よさそうだった魚とか」
「趣味なんだから、面白いと思えることが一番大事だよ。でないと続かなくて飼い主も魚も不幸になる」
琴音はあっさりそう言って、小清水の手から「月刊アクアキューブ」を受け取る。
「まだシクリッドをちょろっと見ただけなんだ。お気に入りはもっといろいろ調べた頃に聞かせてよ」
出会ってから数日。
改めて思い返してみれば、琴音はたびたび「続けられること」の大切さを言葉に滲ませていたような気がする。
「そういえば……雑誌に載ってたディスカスの飼い主さんも、七年続けてるっていうお話だったっけ」
「ん。生き物を飼うわけだからね。少なくとも寿命の間は飽きることの許されない趣味だよ」
「そうだね。そうだよねぇ……」
「……怖じ気づいた?」
小清水はぶんぶんと首を振った。
「ぜんぜん!」
琴音と千尋が「おっ」という顔をする。
「ねえ巳堂さん、天河さん。二人から見て、アクアリウムをやってて一番面倒に感じることって何?」
千尋が即答、
「水換え」
「水槽四本も管理してたらそうなるだろうな」
ジト目で千尋を睨んだ琴音が呆れたように溜め息をつく。
水換えが面倒――たしかにその発言は、およそアクアリストにあるまじき、琴音が最も嫌いそうな主張ではないのかと思える。
「いやだって川とかガサるの楽しいじゃん。そりゃ増えるだろ水槽」
千尋は何でもないと言うように手を振ってみせる。
「まぁアレだよ、面倒っつってもさ、眺めてるうちに手ェ出したい欲が高まってきて換えるんだわ結局。――だいたい、そう言うコトはどうなんだよ?」
「私は……水草のトリミングかな。スプライトが思ったより曲者で」
「ほらみろ、言ったじゃんか。底砂敷くだけにすりゃ苦労ねーのに」
「水草植えたほうが魚が落ち着くんだっ」
このまま放っておいたら、琴音と千尋はいつまでも言い合いを続けているのではないかという気がした。
小清水がぷっと噴き出し、それに反応した二人がまったく同時に振り向く。
「――なに、小清水さん?」
「――どした、小清水ちゃん?」
やっぱりすごく仲いいなあ。そんなことを考えながら小清水はくすくすと笑い、
「わたしね、水換えもお手入れも面倒そうだなって感じないの。もちろんやったことなんかないから、想像力が足りてないだけかもしれないんだけど……でも、楽しそうっていうのが今の気持ちなんだ」
吐露したその言葉は、偽らざる本音だ。
「だからね、飽きちゃうってことはないと思うよ」
誌面で見た数々の水槽を思い浮かべる。
あるアクアリストは魚だけを泳がせ、あるアクアリストは砂利を敷き詰めて土管を転がし、また別のアクアリストは流木と水草とでジャングルを作っていた。
ああいう水槽を手元に置けるなら、眺めているうちに弄りたくなってくるという千尋の感覚は、小清水にも理解できる。
「小清水さん……」
「小清水ちゃん……」
そして二人は、これ以上なく真面目くさった顔で声を揃えた。
「「最初はみんなそう言うんだ」」
「あ、あれー……?」
購買でパン買ってくるわ、と言い置いて千尋は席を立った。
――気ぃ遣わないで先に食べてて。時間かかるかもしんねーし。
千尋がそう口にしたとおり、昼休みの購買は三学年ぶんの生徒でごった返す。さっきまでの雑談のおかげでピークの時間から少しは外せたかもしれないが、それでも千尋が教室に戻ってくるのは二十分ほど後のことだろう。
小清水は持ってきていた弁当――今日はちゃんと作ってきたのだ――の包みをほどいて、向かい側に座る琴音を見る。購買に行かないのだから彼女も弁当なのかと思えばそうではなく、机の上に広げられたのはコンビニの袋だった。
ツナマヨおにぎりのパッケージを開けながら、琴音が新たに話を切り出す。
「――ところで小清水さん。雑誌読んでて分からなかったところとか、気になったこととかはあった?」
「んんー……」
ちょうど卵焼きを齧ったところだった小清水は、舌の上でふわりと溶ける甘さに目を細めつつ、目を通した幾つかの記事を脳裏に蘇らせる。
琴音と知り合うきっかけとなったパロットファイヤー。
いかつい見た目と愛らしい仕草のギャップに衝撃を受けたフラワーホーン。
ド派手な色と模様でまさしく「王様」の佇まいだったディスカス。
その他にも、ネオンのように輝く「アピストグラマ」や「ラミレジィ」、「ディクロッスス」といった魚たちにも目を引かれた。どれも透き通ったヒレと極彩色の体が煌びやかで、本当にこれが自然の生き物なのかと戸惑うほど美しかった。……もっとも、これらの魚は小型すぎて、自分のプランには適さなかったのだけれど。
「――あ。そうだ」
ひとつ、思い当たった。
「エンゼルフィッシュのことなんだけど」
「エンゼル? でもあれは……」
琴音が微妙な表情を浮かべた理由はわかる。
成長するとはいっても、エンゼルフィッシュの体長は大きくて二〇センチそこそこらしい。60cm規格水槽なら三匹か四匹はまとめて飼わないと物足りないんじゃないか、と言いたいのだろう。
もちろん、小清水だってそのあたりのことは承知している。記事に掲載されていた水槽も「60cm規格のレイアウト水槽に三匹」だったのだ。
だから、訊きたい理由は単純に、好奇心からだ。
「――ま、いいや。エンゼルフィッシュがどうしたの?」
琴音も察してくれたようだった。
小清水は、卵焼きの残りを飲み下して尋ねた。
「うん……あの魚って、他の種類と一緒にしちゃダメなの?」
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