第82話 ひとりぼっちじゃないところ
栗鼠追駅は相対式ホーム二面二線のこじんまりとした駅である。
電車から降りて外気に触れるや否や、琴音はどうして小清水が肌面積の広くなる服をチョイスしてきたのかを理解した。
「あっっっつ……!」
シャツの下でぶわりと汗腺がひらく。
そもそも南にあることに加えて盆地という地形がそうさせるのか、栗鼠追の夏は亜久亜よりも厳しい。聞いたことのない話ではなかったが、実際に体験してみると想像以上の酷暑である。
「あはは……晴れの日の昼間はどうしてもね~。夜はしっかり涼しくなるから、花火を見る頃には気にならなくなってると思うよ」
「なるほど。……小清水さんち、近いの?」
出発前に買っておいたペットボトルの飲料を開けて、残っていたぶんを口に含む。中身は麦茶だ。もっぱら喉を潤すつもりで選んでしまったけれど、こんなことならスポーツドリンクのほうがよかったかもしれない。
幸いにして、小清水は「近いよ」と答えてくれた。
「むこうの跨線橋を渡ったあたり。歩いて……だいたい二十分かな?」
「よし、そのくらいなら我慢できる。私が干からびる前に連れてってくれ……」
琴音はパーカーを脱いでキャリーケースへと無造作に突っ込んだ。パーカーも半袖の夏物ではあるのだが、この気温と湿度ではとても着ていられたものではない。
若草色のカットソーの襟を引っ張って、もう片方の手で微風を扇ぎ入れながらふと思う、
――千尋みたいなことしてるな私……。
夏休みに誰かと遊んだ記憶といえば、千尋と一緒にいたことしか思い出せない。琴音の部屋にはエアコンがないから扇風機の心もとない風力だけが頼りで、首振り機能がそっぽを向いている間にタンクトップをぱたぱたさせる千尋を、自分はよく「はしたない」と窘めたものだ。
「ブーメラン投げたつもりはなかったんだけどな」
「えっ?」
「いや、取るに足らない話だから気にしないでいいよ。千尋のやつ今頃どうしてるかなーってだけ」
「天河さん? 部室にいるんじゃないかな。水換えやってくれてるはずだから、帰ったらお礼言わなきゃだね」
そうだな、と相槌を返して琴音は口角をわずかに上げる。たいして大事でもないわりに千尋が知ったら突っつかれそうな話題だから、このまま蒸し返さないまま忘れ去りたいのが正直なところだ。
が、いずれにせよ、それもこれもすべては帰ってからのことである。
ここには今、自分と小清水しかいない。
千尋としか共有していない幾つもの記憶があるように、栗鼠追で過ごす今日と明日は小清水としか分かち合えない思い出になるのだ。
願わくは、そんな思い出を積み重ねていきたいと思う。今から卒業するまでの二年半、できる限りたくさん。
◇ ◇ ◇
田舎の実家と聞いて何となく年季の入った家屋を想像していた琴音だったが、実際に案内された小清水家は自分や千尋の家とさして変わらない今時の住宅であった。
――よく考えたら、お祖父さんは青森にいるんだもんな。
ということは、小清水の両親がこちらに出てきてから建てた家なのだろう。だとすると築年数はどんなに長くても二十年前後のはずで、古めかしさがないのはむしろ当然と言える。
「ただいま~っ!」
小清水がインターホンを押して、回線が繋がるのを待たずに玄関のドアを開ける。
どうやら昼間は鍵を開けておくタイプの家らしいな――などと琴音が何となしに考えたとき、奥から足音が聞こえてきた。琴音は反射的に居住いを正し、これから二日間お世話になる人物との邂逅に備える。
「――あら、戻ったの?」
廊下の角から姿を現したのは、茶色がかった髪をボブカットに切り揃えた四十代と思しき女性。
ひと目でわかった。
この人が小清水の母親だ。くりくりとした印象の大きめの瞳、そしてそれと対照を成そうとするかのように小さく整った唇がよく似ている。
「おかえりなさい、由那……と、ああ」
小清水の母はそこでこちらへと視線を向けて、花咲くように口元を綻ばせた。
その表情の変わり方も娘によく似ていると思いながら、琴音はぺこりと頭を下げる。
「はじめまして。亜久亜高校で由那さんの友人をさせていただいてます、巳堂琴音と申します」
自分でも驚くほど滑らかに口が回ったのは、家事代行のアルバイトで初対面の人間の部屋を次から次に訪れた経験が活きたからだろうか。
小清水の母はひとつ頷いて、
「由那から話は聞いてますよ、いつもお世話になってるって。――由那の母の
リビングに通されたところで、琴音は小清水の父とも顔を合わせることとなった。
「あの……私が来るのってけっこう急な話だったと思うんですけど、ご迷惑じゃなかったですか?」
「いやいや、大歓迎だよ。実を言うと君たちの高校が休みに入ってすぐの頃に由那と電話してね、そのときから友達を呼びたいって話は出ていたんだ。――な?」
水を向けられた小清水はにっこりと笑って、
「春にはお父さんとお母さんにも心配かけちゃったから、ひとりぼっちじゃないところを見せたら安心してくれるかなって。……まあ、巳堂さんは今のところ友達っていうより先生なんだけど」
「ああ、そういや熱帯魚始めたんだもんな。お義父さんから水槽送ったって聞いたときは驚いたけど、身近に頼れる子がいてよかったじゃないか」
「うん! 本当に頼りになるんだよ!」
どういうわけだかものすごく自慢げに語気を強めて、小清水は父と母に見せつけるかのように、琴音の腕に自らの両腕を絡めてぐいと引っ張ってくる。
――うわ、
小清水のスキンシップが気安いのは毎度のことだが、二人きりでもドギマギするのに彼女の両親の前となると尚更気恥ずかしくてかなわない。
琴音は小清水に視線を向けられず、小清水はいつものように無自覚で、夫妻はそんな自分たちを見て懐かしいものを眺めるかのように目を細めるのだった。
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