第6話 暑いとこに棲んでるから熱帯魚

 放課後になった。


 十両編成でやって来た電車の四号車の、真ん中くらいの席に並んで座る。左に腰を下ろした千尋が大きく伸びをし、右に収まった小清水がほうっと息をつく。


 琴音が電車で登下校するのはいつものことだ。


 しかし、今日は顔ぶれがいつも通りではない。


 むず痒い思いを誤魔化そうと向かい側のモニターへと目線を逃がせば、近日発売予定らしいゲームの広告が流れていた。音楽に乗せてビルの谷間を、レースサーキットを、森を、雪原を、どことも知れない干からびた遺跡を、デフォルメされた等身の主人公が駆け抜けてゆく。琴音はアクションゲームが苦手だ。千尋のプレイを眺めているぶんにはいいが、自分で買う気は湧かない。


 唐突に、右隣から声がした。


「ヒーターってどんなとき必要になるの?」


 我に返って顔を向ければ、小清水が小首を傾げていた。


「もらっておいて言うのもなんだけど、たしかお祖父ちゃんは使ってなかったような気がして……」


「ははあ、なるほど」


 もっともな疑問だ――琴音は昨日の立ち上げ作業を思い出して、ようやく納得がいったというふうに何度か頷く。


 水槽セットに水槽台。孫娘がすぐにでもアクアリウムを始められるようにだろう、あれだけ周到に物品を送ってくれた小清水の祖父が、どうしてヒーターだけ省いたのか。忘れることだってあるだろうと琴音は深く気に留めなかったのだが、どうやら「最初からその発想がなかった」が正解らしい。


 そう――盲点だった。


 琴音は琴音で、小清水の祖父とは反対に、無加温飼育という選択肢を無意識のうちに除外していた。


「あー、つまりだ小清水ちゃん」


 千尋にタイミングを奪われた。琴音の体ごしに頭をにゅっと突き出して、


「熱帯魚っていうのは、暑いとこに棲んでるから熱帯魚って言うんだわ。おじいさんが飼ってたのは何だった?」


「えっ? えーと……」


 数秒の間、


「鯉とかどじょうとか」


 やっぱりな、という顔を千尋はする。


「そいつらはもともと日本にいる種類だからヒーターなしでも飼えるわけ。でも熱帯魚となるとアマゾンだったり東南アジアだったりの温度に慣れた連中だから、日本の環境じゃ冬場とか寒すぎるんよ。――ほれ、あたしらだって雪国行ったら凍えちゃうっしょ?」


 ――ああ、せっかくいい説明だったのに。


 琴音が横目を使って左から右へと視線を動かすと、案の定、小清水はつむじの上にクエスチョンマークを浮かべていた。


 千尋は、余計なたとえを口にすべきではなかったのだ。


「あのさ千尋。小清水さんってたぶん雪は慣れっこだと思うぞ」


「うへっ、マジ?」


 祖父から電話がかかってきたときに彼女が漏らした言葉を、琴音はハッキリと覚えている。


 ――青森のおじいちゃんからだ。


 わざわざ遠方から引っ越してまで入学するほどの価値が亜久亜高校にあるとは思えないから、小清水自身の実家は県内だろう。しかし、祖父がどういう魚を飼っていたのか数秒で思い出せるなら、ちょくちょく青森まで赴いているのではないかと思われた。


 たとえば、冬真っ盛りである正月とかに。


「ま……私たちはともかく、要はそういうこと」


 琴音は電車が減速するのを感じながら、小清水と視線を合わせる。


「ヒーターがあるだけで選択肢がぐっと増える。実際に何を飼うかはじっくり決めればいいけど、とりあえず持っておいて損はないから」


 渡したのは温度を調節できるタイプだ。下は十五度、上は三十五度。これだけ幅があれば、どんな魚を選ぶにせよ水温で困らされることはあるまい。


「ちなみにあれ、縦にも設置できるのがウリのヒーターだから、途中でレイアウト整えたくなっても融通きくよ」


「うん。ありがとうね、こ……巳堂さん」


 そのとき、電車が止まった。


 屋敷ヶ丘やしきがおか駅は島式ホームの一面二線の駅で、近くの県道沿いにこそ中小の店舗が並ぶものの、基本的には住宅地に取り囲まれた場所だ。小清水のアパートも、ここから歩いて十分くらいの位置にある。


 ところが、小清水は席を立とうとしない。


「降りなくていいの?」


「あ、うん、あのお店に寄ろうかなって」


 おや、と琴音は眉を上げる。


 言い方からして目的地は「AQUAアクア RHYTHMリズム」――琴音と出会ったあのショップなのだろう。


「調整剤買うの?」


「それもあるんだけど……実は、昨日お店の中を回ってるときにね、試験紙っていうのかな? 理科の授業とかで使いそうなやつを見つけたの」


「――ああ、あれか」


 たしかに、小清水が言ったような製品は存在する。


 原理や使い方はまさしく理科の実験で使う試験紙と一緒だ。ペーパーを飼育水に浸せば、その変色の具合によって水質が適正かどうか分かる。


 必須アイテムには違いない。


 違いないが、昨日張ったばかりの水が出来上がっているわけもないので、買わせるのは次の休日でも構わないだろうと思っていた。


 ――けどまあ、早くて悪いこともないし、いいか。


 試験紙が変色する様子を実際に目の当たりにさせれば、教えた知識に実感を伴わせることができるかもしれない。


「じゃあ、ついでに温度計も買っといたらいいよ。そう高い買い物にはなんないはずだから」


「うん、そうするよ」


 電車はすでに間の駅を通過して、「AQUA RHYTHM」の最寄りである辰守たつもり駅へと近づきつつあった。

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