第100話 アフリカンカラシンの代表選手

 血も凍る公開処刑が行われた。


 惨劇の主役となった千尋は現在、ソファーから両足を投げ出すようにして転がりながら、左右のこめかみを手で押さえ、地獄の底から響いてくるかのごとき呻き声をあげて悶えている。


 そして、その傍らからするりと離れたのが琴音だ。


 幼馴染の頭を戒めていたアイアンクローを解いた琴音は、つい今し方までの殺気を嘘のように引っ込めて莉緒へと振り向く。


「――さてと。翠園寺さん」


「ひっ……何でしょうか……」


「千尋が調子こいたら、部ではどっちが代表だとか関係なしに委員長モードでシメてもらって大丈夫だから。こいつにはそういう人が必要だから」


「し、シメ……その、すみません、わたくしが至らなくて……」


「いや翠園寺さんには怒ってないからいいけど」


 廊下での様子からして、此度のイタズラは実質的に千尋の単独犯だったはずだと琴音はすでに悟っている。この種の悪巧みをするとき、千尋は百パーセントの共謀をしたがらない。


 おそらく莉緒は片棒を担がされていることに勘づいてもいなかったに違いない。そろそろ千尋が人を巻き込む手口をつぶさに説明してやったほうがいいかも――などと考えて、琴音はふとあることに気づいて唇をへの字に曲げる。


 ――これ、もしかして類友ってやつか?


 ソファの上で死体のように転がっている千尋へと視線を送りながら、琴音は眉間に険しいシワを刻んだ。


 千尋は隙あらば由那にいらんことを吹き込もうとしている節がある。本気なのか自分をからかっているだけなのかは何とも言えないところだが、どうあれ、今の自分の思考は千尋のそれと何歩の距離だろうか。


 不本意である。まったくもって。


「え、ええっと……ねえ、コトちゃん?」


 と、制裁が終わった空気を察してか、由那がおずおずと声をかけてきた。


「さっき言ってた『コンゴテトラ』って、どういうお魚さんなの?」


「……カラシンの仲間だ」


 琴音は溜め息とともに肩の力を抜いて、右の親指と人差し指で眉間をほぐす。


 こういうとき、由那の存在はありがたい。


「テトラって聞くとネオンテトラとかの小魚が思い浮かぶかもしれないけど、コンゴテトラは最大で十センチ近くまで育つ。飼育下なら八センチ前後かな……私たちが作る水槽で群泳させるにはちょうどいいサイズだろ」


 十五匹くらいは入れられるはずだ、と琴音は算盤を弾く。


「全体的には銀色が強い。メタリックな体色だな」


「なるほど~……あ、ほんとだ」


 スマートフォンで画像検索したのだろう、由那が画面をフリックしながらフムフムと首を動かして、


「あんまり鮮やかじゃないって言ったら違うかもだけど、ネオンテトラみたいにバーンと『赤!』とか『青!』って感じではないんだね」


「一口にテトラって言っても種類はいろいろだからな。コンゴテトラのボディは銀色ベースで、飼い込んでいくと背中側に虹色の光が乗ってくる……たしかにビビッドな魚ではないけど、そのぶん上品な輝きって感じがして私は好きだ」


「コンゴってことは、うめぼしのお知り合いだったりするのかな?」


 よく覚えているじゃないか。琴音は口角を上げて、


「ああ。うめぼしと同じくコンゴ川の流域、つまり中央アフリカから西アフリカにかけてが原産地。いわゆるアフリカンカラシンの代表選手だな……まあ実際に出回ってるのは大抵ブリード個体だろうけど」


 ちなみにコンゴテトラと呼ばれる中でも種類が分かれるんだけどな、とはひとまず告げずにおく。


 ヒレが黄色く染まるイエロー、照明の当たる角度によって様々な発色を見せるレインボー、青い体色と真っ赤なヒレのレッドチェリー。紹介することはできるが、一気に並べ立てても由那を混乱させるだけだろう。


 だいいち、それらのバリエーションは莉緒の構想にそぐわない。


 そもそもレインボーやレッドチェリーは値段が高いという事情を脇に置いても、自分たちが導入すべきは枕詞のつかない普通のコンゴテトラだ。


「こいつらならうるさく主張しないだろ。もちろん気合入れて探せばもっと他にもいい魚がいるかもしれないけど、気合入れて探さなきゃ見つからないような魚ってたぶんレアだしな……とりあえず思いつく範囲では、私たちの水槽ならコンゴテトラを使うのがベストだと思う」


「コトちゃんがそこまで言うってことは、飼える条件も厳しくないんだ?」


「少なくともうめぼしより楽だぞ」


 テトラオドン・ミウルスがやや高めの水温を好むのに対し、コンゴテトラは下が二十二度、上は二十八度ほどまで適応できると聞く。


 水質についても中性から弱酸性が好みらしいから、そういう意味でも他の熱帯魚と条件は一緒だ。これならばコケ取り部隊との混泳もたやすい。


「気性荒いタイプのカラシンでもないしな。どっちかって言うと水草齧るほうが厄介そうだ」


「え、水草食べちゃうの?」


 由那の声が不安そうなトーンを帯びた。


 心配するのも無理はない。なにしろ水草はネイチャー水槽の要なのだ。それを食害するとあっては導入を疑問に思うのも当然と言える。


 草食性の強い生体を使ってレイアウト水槽を作るなら、アマゾンソードのように硬い葉をもつ水草を植えるといった工夫をするのが一般的だ。自分たちの水槽は、そうした対処を施したものではない。


 しかしこの点に関しては、琴音は致命的ではないと踏んでいた。


「いくらなんでも食い尽くされるようなことにはならないよ。レイアウト水槽に入れてる人ごまんといるんだから、私たちにだってうまく両立できるはずだ」


「……ほんと?」


「食べる量で言えば金魚よりマシだと思うぞ。私もちゃんと水槽見るし……言いたかないけどそっちで死んでるアホは私より魚の管理がうまい。リカバリできないような大ポカはしないさ。――なあ?」


 琴音は首だけを動かして、ソファのほうへと声を投げる。


 困ったように立ち尽くす莉緒。その眼前で未だ横たわったままだった千尋の右手が、千年ぶりの復活を遂げたミイラのようによろよろと揚がった。


「……おー、任しとけぃ……」

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