第101話 水草水槽の必須アイテム
必要となる生体はいずれも市内で流通しているものだったから、水草のときと同じ要領で、四人で手分けしてアクアショップとホームセンターを巡った。
ひとまずトリートメントを兼ねて、理科準備室のストック水槽に生体を入れて一週間。何事もなく時間は過ぎて、そろそろメイン水槽に移しても大丈夫だろうと誰もが考えていたとき、新しくやらねばならない作業がひとつ増えた。
CO2添加キットが届いたのだ。
来賓室の水槽台のキャビネットに放り込んであるから、部活時間に設置しときなさい――佐瀬先生による言伝である。
「……ま、皆わかってた話ではあるけどな、こいつを取り付けなきゃいけないってことは」
「水草水槽の必須アイテムだからなー。考えてみりゃもっと早いうちに確保しちまってもよかったくらいだ」
そういうわけで四人は今、来賓室の水槽の前にいる。
千尋と言葉を交わしながら、琴音は淀みのない手つきで梱包を解いていく。中身はともかくとして、店の宅配サービスを使うこと自体は自室の水槽を買ったときに経験済だ。これといって手間取るポイントもない。
段ボールを剥がして商品の箱を開けると、ライトグリーンの箱が現れた。その蓋を開けてブリスターパックを引っ張り出せば、ボンベとレギュレーターとチューブ、その他諸々の細かなパーツが顔を覗かせる。
「おお……また組み立て難しそうな道具が出てきたね……!」
「高圧ボンベ式のCO2添加キットです。説明書をきちんと読みながら作業すれば、取り付けはそう難しくありませんわ」
由那が瞳にキラキラと星を散らせ、そんな様子を見て莉緒が柔らかく目を細めた。
「ここまで大きなサイズのボンベを使うのはわたくしも初めてですが、方法自体は変わりませんね。小清水さん、やってみますか?」
「うん、やりたい!」
一も二もなかった。由那は琴音の手からブリスターパックを取り上げると、説明書を広げながら一つ一つ部品を確かめはじめる。
「この金属のボトルがボンベで、こっちの台がボンベスタンドだよね。で、これがレギュレーターってやつ? バルブがついてるけど」
「ええ、そのレギュレーターでボンベ内の圧力を調整するんです。バルブはスピードコントローラーと呼ばれる仕掛けでして、CO2添加量を調節したいときに回すものですね」
「じゃあ、こっちのアダプターみたいなやつは?」
「電磁弁です。CO2添加そのもののオンとオフを自動で切り替えてくれる装置ですわ。常に水槽を見ていられる環境ならバルブを使って手動で切り替えてもいいのですが、わたくしたちの場合は授業も休日もありますから、電磁弁をタイマーに繋いで機械に管理してもらったほうがベターでしょう」
「照明といっしょってことだね!」
ふんす、と由那は鼻息も荒く「完全に理解した」の表情を浮かべる。
たしかに彼女の口にしたとおり、この水槽の照明はタイマーによって自動的にオンオフを繰り返している。スタンドからクリップで吊り下げたスポットライト型LED三灯。毎日八時から十七時までの九時間点灯。
もっとも――
「照明とCO2添加を同じように管理するのは当たり前だけどな」
苦笑混じりに琴音は口をはさんだ。
「CO2を添加するのは水草の光合成を促進するためなんだから、照明がついてる間オンにして消えてる間オフにするのが基本だ」
「あ、そっか。光合成してないときに二酸化炭素あげてもしょうがないもんね。それどころかお魚さんたちが酸欠になっちゃうかも」
「逆に言えば、そもそも光を当てるのだって光合成させるのが目的だ。高光量ならCO2添加しなくても水草は育つって意見もあるけど、私としてはせっかく高光量の照明使ってるならCO2添加しないのは勿体ないと思うぞ」
「なるほど~……」
言葉を交わしながらも、由那は着々と手を動かし続けている。
ボンベスタンドに高圧ボンベをセット。減圧するためのレギュレーターをボンベに装着する。
しかし、レギュレーターの口にチューブを差し込もうとしたとき、さほど苦もなく組み立てを進めていた由那の動きがぴたりと止まった。
「翠園寺さん、チューブ二種類あるよ? 耐圧チューブとシリコンチューブって、固いほうが耐圧ってことで合ってる?」
「はい、合っていますよ!」
由那の意欲と呑み込みのよさが心地よいのか、莉緒は声音を弾ませて返事をする。
「レギュレーターで減圧するとはいえ、やはりまだ圧力がかかりますからね。通常のチューブでは最悪破裂してしまうおそれもあるので、逆止弁までの接続には強度の高い耐圧チューブを使うわけです」
「ふむふむ」
「逆止弁は文字どおり水の逆流を防止するための機構です。ここから先は高圧がかからないので、通常のシリコンチューブでも問題ありません」
莉緒の手ほどきに従って、由那は器具と器具をチューブで繋げてゆく。
レギュレーターに耐圧チューブを接続して、反対側の先端に電磁弁を取り付ける。電磁弁からまた耐圧チューブを伸ばして、逆止弁までの道を作る。
ここからがシリコンチューブの出番だ。
「まず、拡散器にチューブを接続してください」
「逆止弁から繋ぐんじゃないんだ?」
「ええ。もちろん最終的には逆止弁と拡散器との間をシリコンチューブで繋ぐ形になるのですが、手順としては拡散器側から伸ばします……この後ちょっと、その……やることがあるので」
ちなみに莉緒の言う「CO2拡散器」は、説明書では「バブルカウントディフューザー」と表現されていた。由那は忠実に指示を守り、ディフューザーの末端にシリコンチューブをはめ込む。
あとはシリコンチューブの反対側を逆止弁にはめ込んで、ディフューザーを水槽内側のガラス面にキスゴムで留めれば完成のはずだ。
――って、うん?
そこまで考えた琴音の脳裏に、ひとつ嫌な予感がよぎった。
予感というのがまずければ既視感と言い換えてもいい。飼育水にCO2を溶け込ませるのが拡散器の役割だが、いま拡散器の中には空気が入っているわけで――
「……由那、ちょっと貸して」
「へ? うん、いいよ」
チューブの垂れ下がったディフューザーを由那から受け取った琴音は、莉緒に向かって一度軽く肩をすくめてみせた。
「千尋のせいで言い出しにくくなってたろ?」
「……さすが巳堂さんですね、何が必要なのかもうお察しでしたか。恐れ入ります」
やはり、莉緒は眉をハの字にして微笑んだ。
CO2添加を行うためには、ディフューザーの内部を水で満たさねばならない。そのためには当然、空気を吸い出してやらねばならないのだ。
琴音はディフューザーを水槽の中に沈めると、チューブの先端を加えて大きく息を吸い込んだ。
今度は飼育水を吸い込むようなヘマもない。動揺さえなければ、こんなものだ。
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