第55話 教養ってやつかぁー……
何を始めるにしても、まず大切なのは現在立っている位置の確認であろう。そのような莉緒の提言がきっかけで、千尋は「三〇〇点ちょい」の内訳を開陳する運びとなった。
世にも恐ろしい点数が並んだ。
――現代文が六二点。
――古典が三六点。
――数学Ⅰが二八点。
――数学Aが二四点。
――英語が三七点。
――世界史が三〇点。
――地理が三五点。
――化学が二九点。
――生物が四一点。
――合計、三二二点。
以上が、亜久亜高校の一年生の一学期の中間テストにおいて、千尋が記録した全教科の成績である。
「――改めて聞くと、」
ひととおり現状を確認し終わったとき、お通夜のように重苦しくなってしまったムードの中で、琴音がぽつりと呟いた。
「想像以上にひどいな。なんで私たちと同じ高校にいるんだおまえ」
「いやー、定員割れだったから?」
「足切りがあったらどうする気だったんだ……」
一方で、とりあえず紙に書き出してみた点数一覧を見つめていた小清水が、
「これ……現代文は大丈夫、ってことだよね?」
平均点にはわずかに届いていない。とはいえ赤点は平均点の半分以下と定められているから、たしかに小清水の指摘どおり、六割正解できている時点で現代文の追試はあり得ない。
「となると、方針は決まりですね」
莉緒が決然たる表情で口を開き、
「現代文を除いて、残りの八教科を集中的に勉強しましょう。――期末の出題範囲は高校に入ってから習った内容ですから、中間よりも平均点が下がるはずです。一週間まじめに頑張れば、きっと赤点は回避できますよ」
とにかく赤点さえ取らずに乗り切ってしまえば、生物部は千尋を部長としてスムーズに発足できる。ひとまずの目標ラインをそこに引くべきだという莉緒の主張に、反対する者は誰一人としていなかった。
それは取りも直さず言うならば、高得点はおろか平均点に到達することも今回の千尋にはできないだろう、という見立てで全員が一致しているということでもある。
千尋としては、一同の見立て自体に異存はない。ちょっと理解に詰まると間もなく投げ出してしまうのは、千尋自身でもよくわかっていることだからだ。
――とはいえ。
琴音はともかく、小清水や莉緒までがその認識を共有している状況が面白いかと言われれば、無論そんなはずもない。B組の二人は多分に気を遣ってくれていると察せられるだけに、尚更だった。
――二学期の中間で見返してやりたいねー……。
たとえ友人どうしであっても、面白くないことを放置しておく趣味は千尋にはない。
面白いかどうか。それが千尋にとって絶対の判断基準なのだ。
――などと意気込んではみたものの、だからといって今までわからなかったことが急にわかるようになるはずもなく、勉強会は難航をきわめた。
スタートから二時間が経ち、テスト範囲の復習をざっくり終えた古典の教科書をぱたんと閉じて、千尋は勢いよくテーブルに突っ伏した。
ごん、と額が天板に衝突する音。しかし今の千尋が痛みを感じることはない。ぶつけた額の感覚よりも、脳ミソが発する知恵熱のほうが遥かに深刻であるせいだ。
「天河さん、だいじょうぶ?」
「へーきへーき。……なあ小清水ちゃん、とっくのとうに使わなくなった言葉なんて勉強して何の役に立つんかね……」
「あ、あんまり大丈夫じゃなさそうに見えるかな……えっとほら、つい最近元号が変わったじゃない? あのときすぐに由来を言い当ててた人たちのことは、わたし凄いと思ったよ」
「教養ってやつかぁー……」
ゾンビのように呻く千尋。
机に向かう習慣のない千尋の集中力が二時間も保ったのは奇跡に近い。琴音の小言が飛んでくるかと思ったが、もとより良くも悪くもそのあたりは期待されていなかったようで、幼馴染が事ここに至って棘を向けてくることはなかった。
「古典を勉強するとな、外国語の文章を見る抵抗が薄れるぞ」
「……あー?」
千尋は身を起こさずに顔だけを上げる。四角いテーブルの向かって右側、琴音が横目で見下ろしてきている。
「古文って普段読み書きすることないだろ? 私たちにとっては外国語とたいして変わらない。そういう言葉の品詞分解とかやってると、知らない国の言葉を見ても構文掴んでやろうって姿勢になってくるんだよ」
「……そんなの翻訳アプリ使えば一発で、」
「まだ言うほど精度ないだろ、ああいうの」
「でもなー、あたしべつに海外で暮らす気ねーしなー」
古典の話をしていたはずなのに、どうして海外がどうこうと語り合っているのだろう。琴音の意図するところが読めず、千尋は頬を膨らませる。
琴音は、ほんのわずかの溜めの後、囁くような声音で告げた。
「海外ブリーダーのブログ、すらすら読めるようになりたくないか?」
「――ぬ」
「熱帯魚はなにせ熱帯の魚だからな、ブリードの本場だって外国だ。おまえのことだから単純な知識には興味ないだろうけど、外国のアクアリストがどんなふうに魚飼ってるかの記録なら参考にしたいだろ」
「そいつは……いいこと聞いたな。――なんだよコト、そういうことなら中学んときに教えてくれりゃ、あたしだってしっかり勉強したのに」
「いや、私も最近わかってきた感覚だからなこれ」
そのとき、一時間ほど前から席を外していた莉緒が部屋に戻ってきた。
「――では、午後は英語から始めましょうか」
時計を見ると、長針と短針がちょうど「12」の位置で重なろうとしているところだった。
「昼食も兼ねて一息入れましょう。お昼はわたくしが用意させていただきました……お口に合うといいのですが」
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