第114話 瓶の中に土とかコケとか入れる、オシャレなやつ
返す返すもバイトを体験しておいてよかったな、と琴音は思う。
理沙と詩乃は学友といっても隣のクラスの人間であって、自分との関係を一言で表すなら「友達の友達」だ。見かけたことはあってもまともに言葉を交わしたことはないわけで、そういう相手から唐突に声をかけられてもそれなりに会話できるようになったのは家事代行でいろんな家を巡った経験のおかげだろう。
「瑞泉祭のとき来てくれてたよね。それでここにも来てるってことは、二人もアクアリストなんだ?」
「私だけね、今のところは」
微笑とともに答えたのは詩乃であった。
「カニを飼っているの。小さい子たちだけれど」
「ああ、ドワーフクラブってやつか。メジャーなのが二種類いるんだよね、たしかレッドデビ――」
「バンパイアよ」
「え」
食い気味に返された。
「バンパイアクラブ。私が飼ってるのは全部で五匹ね」
「そ、そう……紫色してるカニだっけ? 五匹いるなら繁殖も狙えるだろうし、面白そうだな、うん」
こころなしか詩乃の語気が強まった気がして、琴音はとりあえず話を合わせようと決める。一見して物腰柔らかな詩乃の表情の奥には、正体はまったくわからないけれど、何やら穏やかならざるものが潜んでいそうだ。
と、琴音の困惑を察してくれたか、理沙がすかさず口をひらいてインターセプトをかけてきた。
「ウチも詩乃んちに行ったとき眺めさせてもらってんだけどさ、たしかにちまっこくてカワイイんだよなぁ」
「……ふむ」
琴音の脳ミソが回転する。
さっきの話からすると、理沙は今のところアクアリストではないはずだ。
それでもドワーフクラブを「カワイイ」と思える感性を持っているあたり、まんざら興味がないわけでもない……のではなかろうか。
「蟹沢さんも水槽始めちゃったらいいんじゃないか? せっかくアクアマーケットまで来てるんだし、今日いきなりお迎えするのは難しくても、自分の好きな生体を見繕うくらいならできるはずだぞ」
「んー、それなんだよねぇ」
「それ?」
「いやさ、実はウチもそのつもりで来たんだよ。でもいざ見てみるとカッコいいのとかキレイなのとかたくさんいてさ、目移りしちまって選べねー」
口ぶりから察するに、どうやら二人はかなり前から会場入りしていたらしい。賢明な選択と言える。生体はブースに並んでいるのが売れたらそれっきりだから、いろいろ見比べたいのであれば早く来て回ったほうが得策だ。
とはいえ理沙は素人で、相方の詩乃もアクアリストになったのはつい最近。
選択肢が多いとそれはそれで迷う、というのは仕方のないところだろう。
「――わかった」
この二人は由那や莉緒のクラスメイトなのだ。学園祭でアクアリウムカフェを訪れてもらった縁もある。
はぐれてしまった由那にはひとまずメッセージを送信してあるのだし、今ならちょっとくらい他人にお節介を焼いてもいいよな、と琴音は思う。
「迷うってことは、何が飼いたいとかのこだわりは特にない?」
「おう。――まぁでも、ウチ部屋そんな広くないしバスケ関係のコレクションが幅取ってっからさ、小さい水槽とかプラケとかでやれるやつがいいかなあ」
「なるほど」
すでにどこか懐かしくさえ感じる春の頃、由那と出会った当初の日々が思い出される。
あのときはターゲットを「六〇センチ規格水槽で飼えるペットフィッシュ」に絞った。一方、今度のオーダーはまったくもって対照的だ。
――本当は大きなハコのほうがビギナー向きなんだよな……。
サイズが小さいと当然ながら水量が少ない。水量が少ないということは、水温や水質が短期間で変わりやすいことを意味する。初手六〇センチでそれなりに水量を確保できた由那と比べて、理沙の水槽は維持する難易度が少々上がるかもしれない。
「……丸型底面フィルターでボトルアクア、かな」
琴音の思考は結局、部屋のスペースは部外者にどうこうできる問題じゃない、という至極当たり前の結論を導いた。
好条件を求めてもキリがない。制約の中で飼育環境をセットアップしなければならないのは誰だって一緒なのだし、アクアリウムを始めるからには理沙にだってそうしてもらわねばなるまい。
「ボトルアクアって、あれか? なんかこう……水張った瓶の中に土とかコケとか入れる、オシャレなやつ?」
「んん……ま、今の主流はそうだね」
「ああいうのはハードルが高いっつーか、キレイはキレイだけどウチのキャラじゃないんだよなあ」
理沙は困ったふうに眉を歪め、こそばゆそうに口元をムニャムニャと動かしてみせる。
琴音は思わず口角を上げた。
「大丈夫。要は瓶を水槽代わりにするってだけだ、どんなレイアウトを組むかは自由だよ」
「そりゃよかった、ウチ水草をちゃんと植えるとか全然できる気しねぇもん。生き物がいれば満足しちゃいそうっていうかさ……あ、ちなみに巳堂サン的にはどんな生き物がオススメなん?」
「無難なとこだとアカヒレだな。『コッピー』っていう名前で売られてることもあるんだけど、あれはコップで飼えるくらい丈夫だっていう由来なんだ」
千尋みたいなこと言うなあ、と内心含み笑いしながら琴音は答える。そういえば千尋は昼休みにたびたび体育館へと出かけてバスケをやっているとのことだったが、もしかして相手は理沙なのだろうか。
と、詩乃が怪訝そうな面持ちで割り込んできた。
「ボトルアクアって、どうしても生き物が可哀想に思えてしまうのよね」
「……ま、否定はしない」
なかなか鋭い指摘ではある。ボトルアクアリウムの環境が変動しやすいのは事実だし、窮屈さに至っては一目見れば明らかだ。
あらかじめ部屋が狭いと聞いていなかったら、琴音だってわざわざ初心者に薦めなどしていない。
ただ、それでも――
「でもね海老名さん。いくつかのコツを押さえておけば、ボトルアクアでも可哀想な飼い方をしなくて済むんだ」
「そうなの?」
「まず、水温や水質に敏感な生体を避けること。何を飼うにしたって一定の環境を保つほうがいいけど、やっぱり変化に耐えられる生体と耐えられない生体ってのはいるから。アカヒレが選ばれやすいのは変化に強いからだね」
もちろん、変化に強いからといって雑な飼い方をしていいわけではない。
どんなにアカヒレが強靱でも、「とりあえず耐えられる環境」と「ストレスなく生きていける環境」との間には決定的な隔たりがある。
そこで大切になってくるのが、次だ。
「第二に、数を絞ること。ボトルアクアはとにかく遊泳スペースが不足しやすいからね。そういう点から言えば、もともとスペースいらずなうえに単独飼育が基本のベタもオススメかな」
蟹沢さんにはベタのほうがいいかも、との見解をつけ加えておく。それ自体華のある姿をしたベタであれば、レイアウトを気にせず底砂を敷くだけでも充分納得のいくアクアリウムになるだろうから。
果たして理沙と詩乃は、タイミングを揃えてほうっと唸った。
「いやぁ……由那っちから聞いちゃいたけどマジでいい人だね巳堂サン。ボトルやる方向で探してみるわ、アドバイスあんがと!」
「クラスで小清水さんとよく喋るんだけど、あの子あなたのことを心底楽しそうに話すのよ。だから――頑張ってね」
カラリとした笑みを浮かべる理沙と、メガネの奥の瞳を意味深に細める詩乃。二人の口から飛び出した情報は、琴音にとっては聞き捨てならないものだ。
――由那、ふだん私のことをどんなふうに言ってるんだ?
けれどもその中身は、きっと知らないほうがいいのだろう。
知ったが最後、おそらく自分は気恥ずかしくて、彼女の顔をまともに見られなくなってしまうだろうから。
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