第11話 慣れたらスキンシップできる
「フラワーホーン?」
ページをよく見ると、掲載されている写真は一枚ではない。最も目立つのは紫がかった鱗の個体をアップで写した画像だが、他にも青の強い個体や、全体的に赤みがかった個体を撮影したものもある。
すべてに共通しているのは、魚の頭頂部に巨大な瘤があること。
小清水はこれ以上ないほどの真顔で、
「この子たち、ガラスにでも頭ぶつけたの?」
対面の二人の反応はきれいに二通りに分かれた。
大声をたてて笑う千尋。その隣で琴音は頬を引きつらせる。
「いやーこりゃ傑作だ。コトぉ、やっぱり駆け出しアクアリストに教えんのってなかなか骨が折れそうだな」
「手伝ってくれてもいいんだぞ?」
あくまでも相手が琴音だからだろう、千尋は面白がる態度を隠そうともしない。そんな彼女ををじろりと睨んで黙らせると、琴音は小清水に向き直って溜め息、
「マンガじゃあるまいし、こんなに腫れるわけないだろ」
「あ、あはは……ごめんね」
「いや、まあ、人間知らないもんは知らないんだからいいけどさ。――こういう形の魚なんだよ、フラワーホーンっていうのは」
琴音が「こういう形」と称した魚体を、小清水は改めてまじまじと眺める。
ページは違えども、昼休みに読ませてもらったのと同じ雑誌の同じ特集だ。シクリッド・コレクション。ということはつまり、この魚もパロットファイヤーと同様、シクリッドの仲間なのだろう。たしかに顔立ちは似ていなくもない。
風船のような体から小さな頭が突き出していたパロットファイヤーと比べて、フラワーホーンの顔は自然なシルエットを崩さない位置にある。額の瘤だけがアフロみたいに盛り上がっているのだ。
「ちょっと……厳つく見えるかも。パロットファイヤーより」
「そもそもサイズが大きいせいかな、写真でも雰囲気出てるね。パロットファイヤーは二〇センチ手前で成長止まるけど、こいつは三〇センチくらいにはなるから」
「三〇センチ……」
ということは、部屋にある水槽の幅の半分を占める計算だ。写真を見る限り、体高もある。かなりの存在感を醸すだろうなと小清水は思う。
異様に大きな瘤に、まるで人間のような唇、毒々しさすら感じさせる斑模様の体をもつこの魚が、およそ三〇センチ。
「……巳堂さん。この子、ちょっと怖くない?」
「え。どのへんが?」
「こう、全体的にぬぼーっとしてるっていうか。何考えてるか分からなそうっていうか」
「ううん……そうか……?」
琴音は柳眉をきゅっと寄せた。
「千尋、どう思う?」
「どうって言われてもなー」
千尋は腕組みしながら後方へと反り返り、
「そうさなぁ……あたしらみたいな人種は全然気にしないけど、一見さんだとやっぱり怖いかもな、デカい魚って。小清水ちゃん釣りとかもやんないっしょ?」
やんないので、小清水は素直に頷く。
「だったらビビっても無理ないわ」
「いやいや、メーター級のガーとかならともかく、三〇センチのシクリッドでそんなこと言ってたらペットフィッシュなんて飼えないだろ。だいいちフラワーホーンだぞ? ちゃんとかわいいだろあれ、けっこう泳ぎ回るし、飼ってるうちに懐くし」
「いやいやいや、だからそれをあたしに言われても困……」
そこで千尋は口を噤んだ。何かに引っかかりを覚えたのか神妙な表情を浮かべ、組んでいた腕から右手を外して、握りこぶしを顎に当てて黙考する。
次の瞬間、その頭上に電球が灯った。
「――そうだ、それだよコト!」
どれだよ? という顔を琴音はしている。
「コトが言った特徴、ぜんぶ動いて初めてわかることじゃん。ここは文明の利器の出番だぜ」
千尋はスカートのポケットに潜ませていたスマートフォンをを取り出すと、何やらアプリを起動して文字を打ち込みはじめた。
最後に数回タップして、こちらへと画面を向けてくる。
「ほい、小清水ちゃん。これ見てみ」
手渡されたスマホの画面が表示していたのは、大手の動画配信サイト「OurVision」に登録された映像であった。
タイトルは「うちのフラワーホーンとスキンシップしてみた!」。
サムネイルはガラスを隔てたフラワーホーンのご尊顔。その中心に居座る再生アイコンを、小清水は勧められるがままに押す。
映像が動きはじめる。
「あれ……この水槽、60cmって言ってるけど、わたしのより大きいような?」
「ワイドってやつだねー。幅は一緒だけど奥行きと高さが違ぇの。でも小清水ちゃんの規格水槽でもちゃんと飼えるから、そこは心配しなくてオッケー」
動画の中では、恰幅のいいピンク色のフラワーホーンが、水槽の端から端までを行ったり来たりしている。
ここにきて小清水にも、千尋の語ったことの意味が理解できはじめた。
ヒレを翻しながら舞うフラワーホーン。泳ぎ方はゆったりとしたものだが、なるほど、静止画から受けるような謎の威圧感は伝わってこない。
と、画面脇に映った投稿主が動いた。
あろうことか、自身の右腕を水の中へと突っ込んだのだ。
「え、え! こんなことして大丈夫なの!?」
「――ああ、あの動画か」
音から内容を察したらしい琴音がぽつりと呟く。
「まあ見てなよ。面白いと思うよ」
「でも、こんな大きな子に手なんか差し出したら、噛まれちゃうんじゃ……」
小清水は目を塞ぎたかった。むかし父が拾ってきたビックリ動画に引っかかって以来、ショックの強い映像を見るのは苦手だ。いつ事が起こるかというジリジリした緊張感に耐えられない。たとえ主演が水槽に収まった熱帯魚で、無事に動画が投稿されている以上そう酷いことにはならないだろうと分かっていても。
だが直後、小清水は思いもがけない光景を目にした。
「――あ」
重厚な魚体が投稿主の手に擦り寄った。かと思うと、投稿主はフラワーホーンの瘤を掌で包み、じゃれるような手つきで撫で回しはじめたのである。
体の一部に触れられているというのに、魚は逃げない。機嫌を損ねたふうでもなく、慣れ親しんでいるのであろう投稿主の手の近くに留まっている。
まんざらでもない、と言わんばかりの仕草。
「わ、わ! すごい! かわいい!」
動画が終わるのと同時、小清水は目を輝かせた。
「ありがとう天河さん! スマホ返すね?」
「なあに、お安い御用ってやつよ」
千尋は親指を立ててみせる。
「写真も悪くねーけどさ、やっぱ生き物は動いてるのを見てこそっしょ?」
「おいコラ、雑誌貸そうって言い出したのおまえだろ」
琴音がジト目で睨みつつ溜め息、
「ま……たしかに動画は便利だよ。ギガと相談しながら使っていこう」
小清水は無言でこくこくと頷く。
魚が懐くという話は昼休みにも聞いたから、頭で知ってはいた。しかし映像で確かめてみて、二人の言葉の意味が目でわかった。
「コワモテな子でもあんなふうに懐いてくれるんだね。こういうのギャップがあるって言うのかな、かわいいなあフラワーホーン」
「人に慣れたらスキンシップできるってだけで、気性が荒いのは事実だよ? 60cm規格じゃどうせ単独飼いが限度だから、あんまり気にしなくていいとは思うけどさ」
しっかり釘だけは刺した後、琴音は困ったように眉尻を下げた。右の人差し指で頬を掻きながら、
「その、なんだ……悪いね小清水さん、教え方うまくなくて」
「え」
とんでもない。否定しようとした。
次に琴音が口にした台詞は、小清水の予想だにしないものだった。
「私だって始めたばかりの頃は大きいナマズとかチョウザメとか不気味に思ってたはずなのに、いつの間にかすっかり忘れてた」
琴音は遠い目つきをする。だが、涼やかな黒い瞳に映っているのは、現にこうして向かい合う小清水の顔だ。
そして、瞳の中の自分がぐっと大きくなった。
小清水は我知らず、椅子から立ち上がって身を乗り出していたのだった。
「ほんと?」
勢いに圧されて琴音がたじろぐ、
「ち、近いって小清水さん……」
「ほんとに、巳堂さんも怖がってた頃があるの?」
「ある、けど」
「――よかったあ!」
琴音の瞳に映る、今の自分。
自分の瞳に映っているであろう琴音の、まだビギナーだった頃。
ふたつの点が頭の中で結ばれる。
「わたしも何年かしたら、巳堂さんみたいに詳しくなれるってことだよね!」
「……ちょっと小清水ちゃーん、あたしもいるんですけどぉ?」
千尋が隣で唇を尖らせる。もっとあたしを称えてくれてもいいんだぜ、という言葉のわりに、彼女の表情は実に愉しげだ。
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