第124話 たぶん、特別だから
ようやく二人並んで歩けたアクアマーケットの会場には、本当に、本当にいろいろなものがあった。
「見て見てコトちゃん! この水槽すごいよ!」
「コック捻るだけで排水できるのか。水換えが簡単でいいな」
水槽用品メーカーの人気商品の展示を鑑賞した。
「わあ~、このメダカさんたちキラキラ光ってて綺麗だね。青っぽい銀色?」
「幹之の改良品種かな。たしかスーパー光とかいった気がする」
ブースに並んだメダカのプラケースを覗き込んだ。
「ね、ね。これも水草なの? なんだか見慣れない形してるけど」
「うわ、これミズアオイじゃないか? こんな珍しいのが出てくるなんてさすがアクアマーケットだな……水草は水草だけど、水面より上に葉っぱが出るタイプだ。青紫の花がついて可愛いぞ」
ビオトープ用として売られていた絶滅危惧種の抽水植物に見惚れた。
「え~っと……ライブロック? 何に使うものなの?」
「水質を安定させたり生体の隠れ家にしたりだな。海水水槽で使うやつだから今のところ私たちには縁がないぞ。湊さん向けだ」
鮮やかなクマノミの泳ぐブースで足を止め、あまり見る機会のない海水用の飼育用品をチェックした。
「わあ……このネイル、お魚さんの鱗の形してる。こっちのピアスは貝殻だよ! レジンで作ってるのかな?」
「ごめん、そういう方面には疎くって正直よくわからない。……とりあえずあれだ、由那がくれたブローチのところ然り、ハンドメイドやってるサークルは毎年いくつか出てくるから新作楽しみに通うのもいいかもな」
ハンドメイドのブースに立ち寄って、美しいアクセサリーの数々を目に収めた。
「あれっ? あそこにいるのって革津さんじゃない?」
「ほんとだ。――ま、ディープジャングルも市内のアクアショップなんだし、品揃えマニアックだったりするし、出店しててもおかしくはないだろ」
「……行ってみる?」
「……やめといたほうがよさそうだ。常連さんと話し込んでるっぽい。アクアショップの店員ってああなったら長かったりするんだよ」
顔見知りの忙しそうな様子を遠目に眺めた。
「ふはぁぁ~……堪能したぁ……!」
そして現在、ビッグシェル亜久亜に併設されたカフェの隅っこのテーブルで、由那は感嘆の吐息を漏らしているのだった。
「どう? 面白かった?」
「もちろん大満足だよ! ありがとね、誘ってくれて」
カフェモカで唇を湿らせたあと、わずかに口角を上げて目元を緩める琴音。傍目には冷たい印象すら与えかねないその面持ちは、しかし由那の瞳には内面のあたたかさが表出したものとして映る。
由那は心からの笑みを返すと、自分も抹茶ラテで喉を潤してふと首を傾げ、
「――でも、コトちゃんのほうはいいの?」
「いいの、って……何が?」
「だって、今日はコトちゃんの誕生日なのに。これじゃなんだかわたしのほうがお世話になっちゃってる感じがするよ」
「そんなことないさ。プレゼントくれたろ」
「それはまあ、そうなんだけど~……」
いまいち釈然としない由那である。なにしろそのプレゼントが琴音を動揺させてしまったのだ。
――嬉しかった、ってコトちゃんは言うけど。
――どう考えたって、あれは嬉し涙じゃなかったもん。
嬉しかったと語ったセリフは本音から出たものだったのか、それとも心配させまいとする気遣いの産物に過ぎないのか。
琴音自身ですら整理がついていないのだろうから、こちらに彼女の真意なんて確信できるはずもない。
――っていうか、プレゼントのことを抜きにしても、だよねえ……。
そもそも、今日はかなり早い段階から予定に狂いが生じていた。ロスした時間のぶんは充分取り戻したと思うものの、自分がもうちょっと機敏に動けていれば、最初からはぐれることなく二人で巡れていたのではないかとも思う。
アクアマーケットはアクアリウムを中心としたイベントであり、ことアクアリウムに関して琴音には一日どころではない長がある。そういう意味では琴音が導いてくれるのはいつもどおりと言えるわけだが、今日という日にまで自分のほうが受け取るものが多いというのは考え物ではあるまいか。
琴音から普段与えられているぶん、少しでも返してあげたかったのに――
「いいんだよ、焦らなくたってさ」
ぷうっと頬を膨らませるようにしてストローを咥える由那に、しかし琴音はくすりと笑い声をこぼして告げた。
「由那、いま自分で『誘ってくれてありがとう』って言ったばかりだろ。まったくそのとおりで、誘ったのは私なんだよ」
「……相手、わたしでよかった?」
「由那だから誘った。誕生日は言うまでもないとして、アクアマーケットも一年に一度だしさ……まあ別々の時間もあったけど、結局はいっしょに見て回れたんだし、私はちゃんと楽しかったよ」
琴音はひと呼吸をおくと、バッグにつけていたコウタイ型のブローチをつつく。
「しつこいようだけど、プレゼントももらったわけだしさ」
再び一拍の間、
「――ホクトのことは……」
きた、と由那の体に緊張が走る。
「とっくに吹っ切ったはずだったんだ。由那の言うとおりコウタイの写真を見ても悲しくなったりしなかったし、それ以前に、まだ引きずってるなら新しい魚飼うにしてもスネークヘッドは選んでなかったと思うし」
由那は黙して頷く。
琴音の声音に虚飾や強がりの臭いはないように思えた。うめぼしの白点治療が終わったときの言葉だってある。ホクトとの日々はすでに思い出になっている、という琴音の言い分はきっと真実に違いない。
だとしたら、何故――それが本題だ。
「今になって思い出したのは……たぶん、特別だから」
「特別? そのブローチが、ってこと?」
「ん……あ、いや、微妙にそうじゃないな」
何かを確かめるかのごとき慎重さで、琴音はゆっくりと首を振る。
「特別なのはブローチ自体じゃなくて。――ええとつまり、悲しくって泣いたわけじゃないんだ。かといって単純に嬉しかったのとも違って」
「うん」
「あのとき……プレゼントだって渡してくれたブローチを見た途端、自分でもわけわかんなくなって涙が出てて」
「それは……やっぱりブローチが特別ってことなんじゃ?」
「いや違うんだ。だから、何て言うか……ぜんぜん変な意味とかじゃなくて、」
琴音の視線が泳いでいた。相応しい言葉を未だに手探りしているかのような、そんな動き。
実際には二秒もなかったであろう間が、十秒にも二十秒にも感じられた。
双眸がぴたりと由那の顔を見据えて、そこで止まった。
「――由那が特別なんだと、思う」
そのあと口に含んだ抹茶ラテの味を、由那はまったく覚えていない。
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