ⅹ.そして最後の季節を迎え
第125話 どういう意味で言ったのかなぁ
暦は十一月を迎えていた。
アクアマーケットが閉幕してから一週間と少しが経って、
けれども、月をまたいだからといって完全に心機一転できるかといえば、それはまた別の話だ。
このところ、由那はいまひとつ頭がシャッキリしなかった。宿題に手をつけられていないときにも似た、落ち着かない気持ち。まるで、心の一部がまだ十月に取り残されているかのような。
原因はわかっている。
――由那が特別なんだと、思う。
アクアマーケットのとき
変な意味ではない、と琴音は言った。
だとしても。
もともと押しかけ弟子のような形で琴音と関わることになった自分だ。少なくとも悪い意味でないというのなら、あの心優しい師匠の「特別」になれたことは、喜ばしい話以外の何物でもない。
そう――喜んでいるのだろう。自分は。
「ふへへ……」
あの日以降、琴音はいつも鞄にブローチをつけている。もちろん由那が贈ったコウタイ型のやつをだ。何かの拍子にふとそれが視界に入るたび、由那はぽかぽかと温かい気分になる。
これまで友達になった相手は何人もいたけれど、こんな気持ちを抱くことはかつてなかった。
琴音の言葉はつまるところ立場を逆にしても同じことで、自分にとっても琴音の存在は特別なのだろう。
いつからこんなふうになったのかは正直よくわからない。
が、わからなくても構わないと由那は思っている。
なぜなら。
「大事なのは今とこれからだもんね」
夏祭りの夜、花火の下で語り合った「これから」のビジョンは変わらず胸の中にある。高校を卒業した後も一緒にいようと切り出したのは自分のほうで、琴音は確かに頷いてくれた。
いまから思い出を積み上げて、描いた未来図に辿り着けたらいい。
そして、叶うならその先も、ずっと。
「……なんて、それじゃまるで――」
ふと我に返った。
当たり前のように紡がれた自分の願い。進学して同じ部屋で暮らして、その先までもずっと一緒にいたいとは、一体全体どういう意味か。
それは。
その構図は、まるで。
「か、家族……? でも、だって、わたしもコトちゃんも女の子どうしで……」
とっさに口をついて出たセリフがやっぱり言い訳に過ぎないことは、白状すると由那自身も把握している。たぶん男も女もなくて、琴音が琴音だから共にいたいと思うのだ。
しかし、取りも直さず言えばそれは、結局のところ「特別」の意味に話題を戻さねばならないわけであって。
「こ……コトちゃんは、どういう意味で言ったのかなぁ……?」
琴音は頭のいい少女だ。こちらの内奥に隠れていたものだってとっくに――それこそ夏祭りのとき交わした約束の時点で――見抜いていた可能性はあると思う。
もしもそうであったとしたら。
あのときの「よろしく」という返事は。またアクアマーケットでの「特別」という言葉は。
果たして、どんなつもりで放たれたものだったのか。
「あぅぅう……! まさか、だよね……!?」
自分と魚のほかには誰もいないアパートの一室で、ベッドにうつ伏せに寝そべりながら、由那は火のついたように熱いほっぺたを愛用の枕に埋めて唸る。
気づいてしまえば考えずにはいられなくて、かといってどんなに一人で思い悩んだところで答えなんか出るはずもなくて。逃げ場を求めた脳ミソが頭をわずかに持ち上げさせ、右手に握ったスマートフォンの液晶へと目を向けさせた。
ブラウザアプリのホーム画面、大手の検索エンジンを兼ねたポータルサイトが表示されている。
ポータルサイトのレイアウトのど真ん中には今日の新着ニュースが話題ごとに列挙されていて、そのうちの「科学」カテゴリの中から、由那の瞳が見慣れた文字列を拾い上げた。
ザリガニ。
縁の深い名前だった。現状唯一の同居人であるテトラオドン・ミウルスのうめぼしは肉食性が強くて、特に自ら獲物を狩ることを好む。そのため由那は生物部のスペースを水槽ひとつぶん借り受けて、ザリガニを繁殖させることでうめぼしの餌を確保しているのだ。
新種でも発見されたんだろうか。無邪気にそんなことを考えて見出しに視線を走らせた。
「――え」
次の瞬間、由那の思考は凍りついた。
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