第126話 ザリガニが飼えなくなっちゃうって本当!?
翌日の放課後、第二理科室に小さな嵐が巻き起こった。
嵐の中心となったのは言わずもがな由那で、彼女は駆け込んで来るなり、自らのスマートフォンを握りしめてこう叫んだのだ。
「ザリガニが飼えなくなっちゃうって本当!?」
琴音も、
最初に我に返ったのは千尋だ。額の真ん中から左右に分けた金髪をぽりぽりと搔きながら、生物部の部長は努めて落ち着いたトーンで尋ねる。
「えーっと小清水ちゃん、それどこ情報?」
「ヤッホーニュースの記事だよ!」
「中身まで読んだ?」
「いちおう。でも、アメリカザリガニ科は十一月から全種規制だって……」
「なるへそ、そこかー」
様々な生き物を飼ってきたという千尋である。そもそも部室でザリガニを繁殖させている生物部の部長である以上、規制されるというなら影響は皆無でもあるまいに、どうしてそんなにも平然としていられるのかが由那には皆目わからない。
次の瞬間、それまで理科室に響いていた水音が不意に止んだ。
「わたくし、いかんせんザリガニについてはまだ疎いのですけれど――」
それまで水槽のガラス蓋を洗っていた莉緒が作業する手を止めていた。
「規制というのはつまり、外来生物法の絡みでしょうか?」
「んー……あたしは法律よくわかんねーけど、要はあれだろ? 特定外来生物に指定されるって話。だからたぶんその法律で合ってんじゃねーかな」
「アクアマーケットに出品されていたザリガニ、とても綺麗な種類ばかりでしたのに。あれらがすべて飼育禁止になってしまうのは気の毒な気もしますわね……というか、わたくしたちにも無関係ではありませんよね?」
「やー、まぁ、真面目にやってるブリーダーはとばっちりだろうけどねぇ……とりあえずあたしらは今んとこ大丈夫なはずだよ」
莉緒がようやっと懸念に触れてくれたのも虚しく、千尋の楽観的な態度は崩れる気配すらない。由那は大いに焦れて、
「大丈夫じゃないよう! うめぼしの餌、どうしたらいいんだろ……!?」
「――いや、千尋の言うとおりだ。安心していい」
琴音の声が耳に届いた。
「由那、もう一度しっかり記事を読んでみな」
「もう一度……?」
繰り返し読んだところで文面は変わるまいと由那は思う。しかし琴音が安心しろと言い切るからには、もしかして自分の見落としている記述が存在するのだろうか。
由那はスマホを操作してブラウザアプリを立ち上げる。履歴の一覧から昨日アクセスしたページを呼び出して、記事に再び目を通してゆく。
読み返してみても、やはり「アメリカザリガニ科は全種規制」と書いてある。
が、
「あれっ?」
琴音のおかげで注意深く読めたのがよかったのか、そもそも初見のとき衝撃のあまり動転してしまったのがまずかったのか。
いずれにせよ、今度は由那の目にも注釈のマークが見えた。
「アメリカザリガニ科は全種規制(※注1)――『※注1』?」
画面をスクロールして記事の終わりを表示させてみれば、そこに注釈の詳細が記されている。
「んんん? 『※注1:アメリカザリガニを除く』……?」
「そういうこと」
琴音は苦笑いするように口角を上げて、
「つまりだな、アメリカザリガニ科ってべつに一科一属一種とかじゃないんだよ」
「えっと……わたしたちが飼ってるみたいな普通のアメリカザリガニの他にも、アメリカザリガニ科に分けられてる仲間がいるってこと?」
「ああ。そして、私たちがアメリカザリガニって聞いて想像するやつはあまりにも定着しちゃってるし、社会への影響を考えてとりあえず規制見送りになってる」
「見送り……」
琴音の説明がゆっくりと脳に浸透してくる。やがて完全に理解が及ぶと、安堵の念が由那の胸を満たした。
「はああ~……助かったあ。わたし、これからもちゃんとうめぼしにごはん食べさせてあげられるんだ……」
「そういえば今日の小清水さん、授業中もどこか上の空でしたものね。うめぼしちゃんのことが気になっていたんですね?」
「うん。わたしの早とちりで本当によかったよ」
すっかり気が抜けた。気遣わしげな莉緒の言葉に応答を返して、由那はほとんど尻餅をつくかのように木製の椅子に腰掛ける。
と、一連のやりとりを見守っていた佐瀬先生が割り込んできた。
「こらこら。安心するのはそれこそ早とちりよ? あくまでも今回は見送りってだけで、将来的に特定外来入りさせる方向で議論されてるのは間違いないんだから」
「え。……そうなんですか?」
「要するに今回の規制でアメリカザリガニとニホンザリガニ以外は飼えなくなったわけだけど、そのうちニホンザリガニだけになるんんじゃないかしら。あれ北海道と北東北くらいにしかいないらしいし、ネットオークションなんかでも高値になりがちだから手に入れるハードルはけっこう高いし、だから手に入れたとしても餌として使うような生体じゃないわよ」
「えええ! やっぱりどうしよう、コトちゃ――」
結局備えは必要なのか。いよいよ恐ろしくなった由那は勢いよく琴音のほうを振り向こうとして、
――たぶん、特別だから。
――由那が特別なんだと、思う。
「あぅ、」
まともに琴音の顔を見られなかった。
由那の奇妙なそぶりに全員が気づいて、時間にエアポケットでも生じたかのごとく沈黙の間が理科室を満たした。
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