第127話 ちゃんと手続きさえ踏めば
「――そっ、それでっ!」
自ら作り上げてしまった静寂がいたたまれなくなって、由那は強引に話を進めにかかった。口調がちょっと慌てた感じになってしまうのは仕方のないところで、たぶん千尋や佐瀬先生には気づかれているだろうから勢いで押し切るしかあるまいと由那は思う。
「もしアメリカザリガニが特定外来生物になっちゃったら、ここの水槽ってどうなっちゃうんですかっ!?」
近い将来アメリカザリガニも特定外来入りするのではないか、との見方を示したのは佐瀬先生だった。当然先生が教えてくれるだろうと考えての質問である。
しかし――
「水槽はしばらく現状維持だと思うぞ」
答えは琴音の口から告げられた。
「特定外来生物になったからって即座に手放さなきゃいけなくなるわけじゃない。ちゃんと手続きさえ踏めば、今飼ってる個体に関してはそのまま飼い続けてもいいことになってる」
「あぅ……そ、そうなんだ。手続きっていうのは?」
「飼うための設備……私たちの場合で言えば水槽だな、それを整えて、飼養許可申請書を書いて提出する。許可がおりたらOKだ」
実に淀みない琴音の解説。さすがの知識だと感心させられる一方で、彼女の声が耳に流れ込んでくるたび由那の心は揺れに揺れる。
「ちなみに書類の提出先は環境省の地方環境事務所よ」
と、ようやく佐瀬先生が会話に入ってきた。
さらには千尋も、
「ついでに言っとくと、コトが説明したとおり『今飼ってる個体に関しては』飼えるだけだってのには注意だねー」
「え~っと……つまり、新しくはお迎えできないってこと?」
「それもそうだし、繁殖させるのもダメなんよ。だからマジで現状維持オンリーになるって考えていい」
「そ、そうなんだ」
二人の介入によって、由那の鼓動が落ち着きを取り戻していく。ありがたい。できることなら琴音との会話を楽しみたい気持ちはあるけれど、今はちょっとこっちの心の準備が整っていない。
ふたたび佐瀬先生が口をひらいて、
「ちなみに『飼うのがダメなら食うのはOKなのか』って大喜利やりたがる奴が毎回出るけど、特定外来生物って生きたまま移動させるのがそもそもアウトだから、食べる目的で獲るにしてもその場で絞めてから持ち帰らなきゃいけないわよ。またガサガサやるつもりなら注意しなさいね」
「あぅ」
おかげで気持ちは落ち着いたけれど、語られる内容自体は由那にとっておよそ落ち着いて聞いていられるものではない。
繁殖もさせられず、たとえ食用――食べるのは自分ではなくて自分の飼っているフグだが――だとしても生きた状態で持ち帰れないのであれば、結局は生き餌としてのザリガニを手に入れるすべがないということだ。
うめぼしは一応冷凍餌も食べているから、もしかしたら栄養面での心配は要らないのかもしれない。
が、生き餌のほうを好むことには変わりないのだ。
お迎えしたからには責任を持って育てていきたいし、そうであるからには食べ物のことであまり我慢をさせたくないというのが由那の偽らざる想いである。
「――小清水さん、ご心配は無用ですよ」
「翠園寺さん?」
「繁殖が容易な生体はなにもザリガニだけではありませんから。うめぼしちゃんのごはんは問題なく確保できます。――ですよね、千尋さん」
「まぁ、そーだねえ」
莉緒が会話の軌道を戻し、千尋が後を引き取る。
「あたしアクアマーケットでチェリーシュリンプ買ったんだけど、あいつら何匹かまとめて飼ってるだけで勝手に殖えるんよ。だから小清水ちゃんもさ、もしアメザリが使えなくなったらミナミヌマエビとか飼えばいいんじゃねーかな」
「そういうことです。シュリンプはコケ取り要員としても優秀ですしね。……うめぼしちゃんの水槽だと働く前に食べられてしまうかもしれませんから、そちらの期待はされないほうがよろしい気もしますけど」
「おおお、なるほどっ!」
言われて初めて思い出した。
ミナミヌマエビといえば来賓室の水槽にも入っている。たしかに稚エビの姿を由那もたびたび目撃していて、むしろ彼らを使うほうがザリガニよりも手間がかからないのではないかと思えるくらいだった。
「エビならギンガも食べるからな」
と、琴音。
「まだ先の話だから部屋のインテリアとか全然考えてないけどさ。養殖用の水槽ひとつ立ち上げることは頭の隅っこに入れとくよ」
「あ、うん、ありがと――」
意味はいちいち考えるまでもなくわかった。ルームシェアの約束を念頭に置いての言葉だろう。
それはつまり、琴音といっしょに暮らすということで。
元を正せば言い出したのは自分だったはずなのに、その未来を意識してしまった途端、由那の脳ミソはやっぱり熱を帯びて回転をやめてしまうのだ。
そして、沈黙したのは由那ばかりではなかった。
佐瀬先生が唇の端を引きつらせていた。
千尋が眼を見開いて固まっていた。
莉緒があんぐりと開けた口を手で押さえていた。
唯一怪訝そうな面持ちを浮かべたのは他ならぬ琴音であった。全員から集中する視線の意味に、聡い彼女が気づくのはさほど難しいことではなくて。
「しまっ……いや、その、今のはだな、」
弁解しようと琴音が息せき切った、まさにそのタイミングで三人が復活した。
「あんたたち、そこまで進んでたわけ!?」
「やー……コト、やるときはやるじゃんか……」
「素敵だと思います。わたくし、応援しますから!」
もはや言い訳など通用しないに決まっていた。琴音が天井を仰ぎ、由那は床のタイルへと真っ赤に染まった顔を向ける。
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