第128話 なりゆきに任せるしかないの?

 格好のネタを見つけたと言わんばかりの表情を浮かべる千尋と、事のあらましを催促こそしないものの興味が顔に透けている莉緒、そして何やら据わった目つきで「女を視野に入れるのも……アリか……?」などと呟きはじめた佐瀬先生。


 このメンツを前にして通る言い分などあるまいとはおそらく琴音も承知だろうが、それでも彼女は抗弁を試みることにしたらしい。


「待て。私たちはその……そういうのじゃないからな」


 応じるのは案の定千尋で、


「そう言われてもだなコト、要するにそれ同棲ってことじゃん?」


「ルームシェア、だ! おかしな言い方するな!」


「いやどう違うんだよそれ」


 本質的なツッコミが飛んできて、琴音がぐっと言葉に詰まる。


 もちろん同じではない。ないが、他人どうしで共同生活を試みるという意味ではやはりどちらも変わらないわけで、では何が違うのかと言うと――


「……だから、私たちがそういうのじゃないことだ」


 結局、自分たちの関係へと話題が戻ってくるのだった。


「私だけならまだしも、由那まで変なふうに見るのはやめろ。迷惑だろ」


「やー、おまえまじでそういうとこだぞ」


 まあ面白いからいいけどさ――そんなふうに含み笑いを残して、千尋は引き下がることにしたようだった。


 悪戯っぽい双眸が由那を捉える。


 もちろん、そんな視線を送られても由那としては困ってしまうだけなのだけれど。


「と、友達。コトちゃんとは友達だよ?」


「へいへい」


 どうやら千尋にこの場で深追いする気はなさそうで、ひとまず由那はほっとする。


 が、落ち着きが戻ってきたはずの胸の裡を、新しいトゲがちくりと刺す。


 ――私たちはその……そういうのじゃないからな。


 ――友達。コトちゃんとは友達だよ?


 後者に至っては自分で口にしたセリフである。にもかかわらず、本来ならば事実でしかないはずのその言葉は、由那の心に決して小さくない落胆を投げかけるのだ。


 いったい自分はどうしてしまったのだろう。


 千尋の視線はしばらく剥がれてくれなかった。彼女は何も言わず、代わりに口を開いたのは、同じくこちらを見つめて様子を窺っていた莉緒だった。


「小清水さん」


「な、なにかな?」


「この際ですから、外来生物法まわりで他に確認しておきたいことなどありましたら言ってみてください。この先もアクアリウムを続けていくのであれば、いつかどこかで知識を役立てることになるかもしれません」


 視界の端で琴音が頷く、


「……そうだな。知識を役立てるときなんて来ないに越したことはないけど、現実問題、馴染み深い生き物がいつ規制されるかわからん世界だからな」


 何やらうまく話を逸らしてくれた気がしないでもない。むろん別方向への誘導は由那としても望むところであったわけで、乗らない手はないように思えた。


 それに実際、不安に感じていることはある。二人がこうまで言うのであれば、今のうちに聞いておいて損はあるまい。


 いいだろう。琴音と自分との間柄をどんな言葉で言い表すべきかは、ひとまず置いておくことにする。


 由那は意識して気持ちを切り替え、口をひらいた。


「じゃあ……もし自分の飼ってる生き物が規制のリストに入れられそうだったとして、そういうときってなりゆきに任せるしかないの?」


 気にかかっていたのはそれだ。


 規制対象になったとしても許可さえ取れば飼い続けられる、とは先程聞いたばかりだが、そうは言っても新しい個体をお迎えできないというのは長い目で見たら窮屈に思える。規制などされないに越したことはない。


 と、そこに佐瀬先生の声が割り込んできた。


「――こっちの意見を反映させる手立ては一応、ないこともないわよ」


 いつの間に己の世界から帰ってきたのやら、先生は実にまじめな表情で続ける。


「パブコメ……パブリックコメントって制度があってね。行政が規則なり命令なりを決めるときって、市民に広く意見を求めるもんなの」


「じゃあ、わたしたちの場合だと外来生物のことだから――」


「当然、送り先は環境省ね。省の公式ホームページから電子政府の窓口に飛べるようになってて、そこで意見募集中の案件の一覧を見られるようになってるから、興味があったら時間あるときにでもアクセスしてみなさいな」


 真顔に嘘はなかったらしい。佐瀬先生の喋りのテンションとテンポは、すっかり授業を行うときと同じになっていた。


 内面の親しみやすさが透けるせいか生徒たちから甘く見られがちな佐瀬先生ではあるが、ひとたび専門の話題になればやはり教師だ。説明は普通にためになる。


「なーるほど、その手があったかぁ」


 相槌とともにぽんと手を打ったのは千尋で、


「つまりその電子政府の窓口から意見出すフォームに飛んで、形式に沿って記入して送信すりゃあ、あたしらの声を環境省に届けられる……ってことで合ってる?」


「ええ、だいたいそんなところね」


「けどさー先生、パブコメって毎回募集してるもんなの?」


 もっともな疑問と言えた。もしも募集するときとしないときがあるのだとしたら、飼育者の声を届けるための確実な手段とはなり得ない。


 果たして、佐瀬先生はあっさりと断言した。


「毎回やってるわよ」


「あ、そーなの」


「だってあれ行政手続法に定められた義務だもの。広く一般の意見を求めなければならない、って条文に明記されてんのよ。それこそ今回のザリガニ規制でだってパブコメ募集してたはずよ」


 ぜんぜん気づかんかった、という顔を千尋はする。


 もちろん由那は知らなかったし、反応から察するに琴音や莉緒も似たようなものだったと思われた。


 佐瀬先生は一同を見渡すと、苦笑混じりに肩を上下させてみせる。


「まあ、生物愛好家の間でもジャンルによって温度差あるのよね、パブコメって。爬虫類飼育者あたりと比べると、アクアリストにはあんまり浸透してない印象は受けるわ」


「あー、先生が飼ってんのって亀っすもんね。爬虫類界隈とアクアリウム界隈に片足ずつ突っ込んでる感じだ」


「ミドリガメだって規制に片足突っ込んでたのよ。それが万単位のパブコメで先送りになったって言われてるわ。あんときは私もさすがに意見送ったし」


「……ちなみに、ガーんときは?」


「数十件しか集まらなかったって聞くわね」


 うへえ、と千尋が唇を曲げる。


「ミドリガメとガーじゃ飼ってる奴の数が全然違うだろうけど、そのへん差っ引いて考えても数十件じゃなー……そりゃアクアリストがパブコメ知らねーって言われてもしゃーねーわ」


「現に知りませんでしたものね、いま教えていただくまで。水草も無関係ではありませんし、わたくしも覚えておきませんと」


「私もだ。スネークヘッドは越冬可能性ある種類もいるわけだし、正直まったく他人事じゃない」


 莉緒と琴音が神妙な面持ちで頷き合う。


「知識って大事ですわね」


「違いない」


 そして由那は、四人の会話を耳に入れながら、傍らできゅっと唇を引き結んだ。


 ――うめぼしは心配いらないと思うけど……。


 琴音の口にした越冬の可能性は、たぶん淡水フグにはないのだろう。日本の環境に定着するおそれが薄い以上、うめぼしの仲間が特定外来生物に指定されるシナリオは現実的ではあるまい。


 しかし、琴音や千尋や莉緒に無関係でないのなら、自分にも関係のあることと考えるべきだと由那は思う。


 パブリックコメント。自分もしっかり頭に入れておかねばなるまい。

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