第39話 深く考えないようにしよう

 いかにも業務用といった趣の、でかいドラム式洗濯機が目の前で回りはじめた。二人ぶんの服がたちまちのうちに攪拌されて交じり合う。どれがどちらのものなのか、もう取り出してみるまで判らない。


「……小清水さんはセーラーまで洗濯する必要あった? 下しか濡れてなかったんじゃなかったっけ」


「だってせっかく来たんだもん。洗えるときに洗っておかなきゃ損だよ!」


 ちなみに、料金は折半した。このコインランドリーは一回八〇〇円だから、琴音と小清水の財布から四〇〇円ずつが羽ばたいていった計算になる。


「でも、小清水さんは出さなくてよかったのに。やっぱりどっちかって言ったら私が原因だろ、バケツひっくり返したの」


「いいの。洗濯物の量は同じくらいなんだし。だいいち、さっきも話したでしょ?」


「それはまあ、そうだけどさ……」


 釈然としない。


 琴音としては全額自分で出すつもりだったのだ。というか、そもそも小清水とは別々の洗濯機を使うものとばかり思っていた。


 なのに、これだ。


 二人で来たのだから一緒に使ったほうが経済的、と主張する小清水に琴音が押し負けた、その結果であった。


 反論の余地がなかったと言えば嘘になる。


 しかし、どうしても言葉にする気にはなれなかった。


 乾燥が終わって洗い物を取り込むとき、どれがどちらの服なのか、下着やソックスまで検分することになるではないか――などということは。


「どのみち私は手遅れだけど……」


「えっ?」


「何でもない。同じ立場になるだけだし、気づいてないならいい」


「……? うん、わたしは巳堂さんがいいならいいよ。いつも水槽のこと教えてもらってるし、ヒーターだってもらっちゃったし。よくしてもらってばっかりじゃ悪いから」


 ――よくしてもらってばっかり?


 予期に反する科白だった。琴音はぴくりと眉を動かして、


「前にも言ったけど、あのヒーターは――」


「使わなくなったのをくれただけ、だったよね?」


 被せるように応じられて、琴音は思わず口を噤む。


 洗濯機を分けて使うか共に使うかの問答といい、小清水は普段ぽわぽわしているくせに、ときどき妙に押しが強くなることがある。


「わかってるけど、おかげでそのぶんお金が浮いたのは確かだもん。だからお魚さんをお迎えできたんだし、やっぱり感謝だよ」


「……そっか」


 小清水の意思は固いらしい。


 琴音が渡したヒーターの定価は五七〇〇円。対してテトラオドン・ミウルスの値段は七〇〇〇円だった。


 小清水の場合、一人暮らしで融通が利くとはいえ、高校生への仕送り額が大きいとも思えない。琴音がヒーターを譲っていなければ魚を買うだけの余裕が生まれなかったかもしれないと考えると、小清水にとっては的確な援助だったのだろう。


 琴音は長く息をつき、人差し指で頬を掻いた。


「あのさ……深く考えないようにしよう、お互い」


「お互い?」


「だって師匠なんだろ、私。アクアリウムを教えるのが役目なんだから、そこで引け目みたいなの感じられたら立場がないよ。――私も部屋でのこと、もう謝らないようにするからさ。お互い深く考えないようにしよう」


 琴音は目線を下げてゆく。そうすると当然、自らの体が――より正確に言えば、自らの体を包む服が視界に入る。


 小清水から借りた服である。


 ベージュのボトムスは初めて見るが、ピンクのパーカーには覚えがあった。


 初めて言葉を交わした日、小清水が纏っていたものだ。


 自分にはこういうガーリーなデザインは似合わない、と琴音は認識している。だからここに来るまでの道中は、行きあう人や車からの視線を集めているような気がして大変こそばゆかった。


 しかし今、コインランドリーの客は自分たち二人しかいない。


 ミスマッチな装いなんて小清水にも見られないほうがいいに決まっているが、服を貸してくれたのが当の小清水なのだから恥ずかしさも薄れる。


 そして、話をするにはおあつらえ向きのシチュエーションだ。


「このパーカーにあやかって、初心に戻ってみるか」


「初心に?」


 ごうんごうんと機械が唸り続けていた。


 琴音は長椅子に座り、ぽんぽんと隣を叩いて小清水を誘う。


「そ。――アクアリウム講座」


 あと数日もしたら小清水は魚を迎えるのだ。そのことを思えば、何を語るべきかなど決まっているようなものだった。


「水合わせの話。お迎えのときが一番気をつけなきゃいけないタイミングだからね」


「一番……!?」


 小清水が傍らに腰かけ、居住いずまいを正した。

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