第26話 見るからに頑丈そうっしょ?
ブラックアーマードプレコ――。
鎧のようにごつい鱗を纏った黒いプレコストムス。
何度も天河家に出入りしている琴音にとっては見慣れたものだが、改めて言われるとつくづく体を表した名前だと思う。中二病みたいなインボイスネームが幅を利かせるアクアリウム界にあって、これほど説得力のあるネーミングは珍しい。
「プレコってどいつもこいつも鱗が硬いんだけど、アーマードプレコは特にわかりやすいんだよねー。見るからに頑丈そうっしょ?」
「うん、なんかこう、ゲームとかに出てきそうな見た目だよ」
千尋が小清水に説明している。
ゲームとかに出てきそう、という小清水の感想を聞きながら、琴音は「やっぱりなかなか鼻が利くとこあるよな」とひそかに感心する。
見た目だけなら獰猛そうなメチニス。怪魚によく似たブラントノーズ・ガー。そして重い装甲を着込んだアーマードプレコ。
およそ一般的な女子高生のチョイスではない――自分が言うのもなんだと自覚はしているからツッコまないでほしい――このラインナップを揃えた千尋の趣味は、少なからず彼女の父親の影響を受けて醸成されたものだ。
「ゲームか。たしかにね」
千尋が頷く。
「親父がデザインしたモンスターにもこういうやついたわ」
「え。天河さんのお父さんって、イラストレーターさんなの?」
「そだよー。水槽自体はあたしと弟で管理してるんだけど、こんなに増やしても何も言われないのは親父の資料としても重宝してるからだったりするんだな」
「あ、弟さんもいるんだ」
「まーね。今は友達とサッカーでもやってんじゃないかな」
生意気なやつだよ、と千尋は笑う。
――はて?
琴音は眉をひそめた。千尋の弟――
「会う前からテキトーなこと教えるなよ。どうせおまえがちょっかいかけるせいで言い合いになってるだけだろ」
しかし、千尋はやれやれと両掌を上に向けた。
「わかってねーなあ。あいつコトと会うときは猫被ってんだよ」
「はぁ?」
「まあ、おもしろいから放っといてるけどさ。コト相手ならどう転んでもあたしはおいしいし」
「なんだそりゃ」
そのとき、くすりと上品な笑い声がした。莉緒だ。
莉緒は穏やかに口元を綻ばせながら水槽に近づくと、小清水と顔を並べるようにしてプレコを覗く。
「つぶらな瞳ですわね、愛らしい。……天河さん、プレコってどの種類もこのようなお顔なんでしょうか?」
「ん? ――ああ、目ね、いや違うよ」
千尋は二人のほうへ向き直って答えたかと思うと、今度はリビングを横切ってテーブルの向こうへと回り込んだ。そこには簡素なつくりの書棚がある。ぶつくさ「あの本どこやったかなあ」などと呟きながら右手を彷徨わせること十秒。
再び水槽の前へと戻ってきたとき、千尋の手はプレコの図鑑を持っていた。月刊アクアキューブの編集部が昔発行したムック本だ。
「アーマードは数少ない例外なんだよ。そういう意味じゃ最初にあたしんち来たのはよくなかったかもね」
千尋はムック本を開き、ぱらぱらとページを捲ってみせながら語る。
「他のプレコはこう、ヤモリとかみたいにさ、明るいときと暗いときとで瞳の形が変わるんだよね。暗いときは丸いんだけど、明るいと三日月を寝かせたような感じになる」
開かれたページには何種類かのプレコの写真が掲載されていた。白黒の縞模様の個体、暗い緑色の個体――いずれも照明をつけた状態で撮影されたためだろう、千尋が言い表したとおり、虹彩が「三日月を寝かせたような感じ」に変化している。
「たしか用語があったはずなんだよなぁ。――コト、知らねえ?」
「……オメガアイ」
琴音は溜め息まじりに補足した。
「Ωをひっくり返した形、っていうのが由来じゃなかったかな。……なんでおまえが覚えてないんだよ」
「アーマードは例外なんだからしょーがねーじゃん?」
「こいつ……」
しかし、琴音はそれ以上の言葉を呑み込んだ。
わかっていたことだ。
知識で武装したがる自分とは違って、千尋は体験を楽しみたがるところがある。千尋のカバーできる範囲は自分と同じかそれ以上に広いが、あくまでも実際に飼育した経験や見聞きした記憶を引っ張り出して応用しているに過ぎない。専門用語の話は千尋にしてみれば興味の範囲外なのだ。
――そんなことよりも、
琴音は莉緒へと視線を向ける。
――すごいな。ほとんど脱線しかけてたのに、一瞬でアクア談義に戻すとは。
さすが、お世辞にも頼りがいがあるとは言えない
「プレコはガラス面のコケを処理できるとお聞きしますが、この子は何センチほどまで大きくなるのでしょう?」
「三〇センチくらいだね。翠園寺さんの水槽は60っしょ? プレコ飼うにしても小さいやつにしたほうがいいよ。水草レイアウトならなおさらだ」
そのとき、アーマードプレコがゆらりと泳いだ。手前の壁面に貼りついて、吸盤めいた口をせわしく動かし始める。
コケを「処理」――要するに食っているのだ。
きれいにメンテナンスされた水槽のように見えていたが、目立たない程度のコケが生えていたのかもしれない。
いつの間にか、小清水が琴音の隣に寄ってきていた。
小清水はプレコのへばりついた水槽と、その手前で喋り合う二人を見比べて、おかしそうに頬をふやけさせる。
「プレコさん、二人の話を聞いてたのかな?」
そんなわけあるかと思う。
が、なるほど。いい発想だ。今のは実際タイミングがよすぎた。
「……かもな」
琴音は口角を上げ、小さく鼻から息を漏らす。
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