第25話 あんなの飼って、危なくないの……!?
千尋の家は巳堂家から見てすぐ隣で、表札にもきちんと「天河」とある。一度琴音の家を訪れている小清水がいまさら迷うこともあるまいが、琴音は念のため辰守駅まで迎えに出ることにした。
すでに翠園寺莉緒のLANEアカウントはグループチャットに登録されている。千尋が昨日の夜に招待したからだ。おそらく木曜日の昼休みの時点で、千尋と莉緒の二者間では連絡先の交換を済ませてあったのだろう。こういうときの千尋の手際はすばやい。
改札を潜って現れた小清水は、その莉緒といっしょだった。
「わざわざ来ていただいてすみません、巳堂さん」
「ホームでばったり会ったんだ~」
莉緒が上品に微笑んで、小清水がふにゃりと頬を緩ませてそれぞれ告げる。
「天河さん、翠園寺さんも呼んでたんだねえ。サプライズだね」
「まあ、私は聞いちゃってたけど、昨日」
「え、そうなの?」
「サプライズっていうより典型的なダブルブッキングだよ。あいつはテキトーだからこういうポカよくやるんだ、二人とも気をつけなよ」
うっかり約束かぶらせちった、ゴメンゴメン――けらけらと笑う千尋のにやけ面が脳裏を掠める。
十中八九、嘘である。
本当に悪いと思っているときの千尋は、あんな軽薄な態度をとったりはしない。真摯に謝ってこなかったということは、何らかの思惑があって故意にやったのだろうと琴音は半ば確信している。
――まあ、いいけどな。何を企んでようが。
結局のところ小清水に千尋の飼育魚を見せることが目的なのだ。それさえ果たせるのなら、どんな思惑であれ乗ってやってもいいと思う。
あいつにも見返りがあって然るべき話ではあるのだし。
「――さ、行こう。こっちだよ」
琴音は身を翻し、西口に向かって歩き出す。
◇ ◇ ◇
天河家はごく平均的な二階建ての一軒家だが、琴音の家と決定的に環境が異なる点として、アクアリウムが娘一人の趣味ではないということが挙げられる。
メインの90cm規格水槽は千尋の部屋ではなくリビングに堂々と鎮座ましましているし、それは他の三本も同様だ。二段式の水槽用金属ラックの上段に60cmのロータイプ。下段にも同じく60cmのロータイプで、こちらはトリートメント用に空けてある。そのさらに隣に小さな水槽台があって、そこに30cmのオールインワン水槽が載っている。
「いいんですか? 水槽を見せていただくのが目的とはいえ、リビングに上がってしまって……」
莉緒が遠慮がちに問うと、千尋はひらひらと手を振って笑った。
「いーからいーから。気にしないで上がってよ。あたしの部屋は散らかってるからさ、むしろリビングに来てもらったほうが都合いいくらいだよ」
冗談と受け取ったのだろう、莉緒と小清水は声を立てて笑う。
しかし、琴音は笑わなかった。
千尋の言葉が偽りなき真実であると確信できたからだ。
自分も小清水を上げるとき「見られて恥ずかしいものはないか」を気にしたが、千尋の場合はもはや「部屋に友達を上げる」選択肢そのものが存在し得ない――ということを、本当の意味で知っているのはきっと自分だけなのだろうと琴音は思う。
――ま、言わぬが華か。
琴音は軽く溜め息をつく。そこで千尋が振り向いて、
「お疲れさん、コト。ありがとねー」
「……何の話だ?」
「いやぁ、いろいろ? 約束ダブらせちゃったり、ふたりの案内任せちゃったりしたからさ」
部屋のことには一切触れない。そのことが逆説的にサインとなった。琴音は肩をすくめて、
「なんだ、そっちか」
「おうよ、そっちだ」
意味ありげな表情を交わし合う。
もっとも、面と向かって「そっち」を謝られると、それはそれで琴音としても多少の罪悪感がよぎらないでもなかった。
千尋がどういうつもりであれ、ダブルブッキングの原因が少なくともミスでないことは察していたのだ。フォローくらいしてやればよかったかもしれない。
――いや、どうなんだ?
――そんな義理はないか……?
「別に……頼んだの私だしな」
わざとやったのであれば余計悪いという見方もある。評価を下すのは詳しいことがハッキリしてからでも遅くは、
「あ、天河さん……」
琴音の思考は、喉が引きつったような震え声によって断ち切られた。
声の主は小清水である。
ギギギ、と錆びた機械を思わせる動きで細い首が廻る。どうやら魚を見ていたらしい双眸が、見るも明らかな怯えの色に彩られている。
「ああああれ、ピラニア……それとニュースで見たことある……ガーっていうやつだよね……!?」
小清水の人差し指が千尋のメインタンクを示していた。
フレームに支えられたガラス面の奥、驚くほど透明な水の中に、円形の扁平な体をもつ魚が五匹、それから長い口を前方に突き出した魚が二匹、たしかに泳いでいるのが見てとれる。
「あんなの飼って、危なくないの……!?」
「あー、だいじょーぶだいじょーぶ」
予想していた反応だとばかりに、千尋は慣れた様子でひらひらと手を振ってのけた。
「それ、ピラニアでもガーでもないから」
「えっ?」
「ピラニアっぽいのはメチニス。同じカラシンの仲間だけど肉より野菜派って感じの魚だね。ガーっぽいのはブラントノーズ・ガーってヤツで、ガーって名はついてるけど実際はやっぱりカラシン」
そこでいったん言葉を切り、悪戯っぽく目元を歪め、
「古代魚のほうのガーは規制かかっちゃったから、飼いたきゃコイツかニードルガーだね。60cmでもギリ単独飼いできないことはないと思うから、気に入ったなら一匹譲ろっか?」
小清水がものすごい勢いで首を横に振る。
「い、いいよ! ギリギリはかわいそうだし!」
「あはは、いい心がけだ」
千尋は水槽へと目を戻して、
「まぁ正直、あたしも60cmは適正じゃないと思うよ。だからこうして90cmで飼ってるわけだし。だいたいこいつら獲物追っかけるときとか勢い余って飛び出しちゃったりするしね、ジャンプする魚がダメなら向かないよ」
まあ、どんな魚だって飛び出し事故が起きるときは起きるけどな――とはツッコまずにおく。そんなことは千尋だって理解して言っているに違いないのだ。
要はスネークヘッドやアロワナのように、習性として頻繁にジャンプする奴でさえなければいい。
「それにさ、小清水ちゃんは底モノを見に来たわけでしょ。だったらウチで見せられる魚は一匹しかいないよ」
「でも、その……カラシン? の仲間の子しかいないけど……」
「いやいや、デカいのがいるよー。よく見てみな」
小清水は眉根をきゅっと寄せ、勧められるままに水槽の前へと歩み寄った。しゃがんで底に視線を合わせ、そろそろと顔を近づける。
千尋の水槽はシンプルだ。浅く敷いたガーネットストーンの砕石の上に、申し訳程度に流木が数本転がっているだけ。岩の類は置かれていないし、水草だってまったく植わっていない。例外は水面近くを漂うマツモの塊くらいで、あれはそろそろトリミングしたほうがいいように見受けられる。
「……あっ!」
小清水が短く叫んだ。
「お、気付いたみたいだね。そいつがあたしの――」
流木に紛れて、暗い色をした魚がいた。
小清水の接近に反応したのかもしれない。魚はうぞうぞと身じろぎし、翼のように真横に張り出した胸ビレと、薄く金色がかった背ビレを広げた。
見るからに頑丈そうな体つきをしたその底棲魚の名前を、千尋は得意げに胸を反らして告げた。
「ブラックアーマードプレコだ!」
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