第60話 なんぼなんでも張り切りすぎだろ
半ば予想していたことではあったが、アクアリストとしてまだまだ駆け出しである小清水はもちろん、莉緒もガサガサの経験を持ってはいないとのことだった。
「まー、そーだろうねえ」
タモ網を引き上げながら千尋が頷く。くっついてきた泥の中に指先を突っ込み、ヌマエビを一匹摘まみ上げる。
千尋は素足でざぶざぶと流れをかき分け、川岸に戻るなりヌマエビをクーラーボックスへと放り込んだ。
「ガサガサってタイプじゃねーもんなあ、翠園寺さん」
「すみません、あまりお力になれず……」
「いや、ガサガサで捕れるのは基本的に日淡だから、翠園寺さんが慣れてなくても仕方ないよ。ネイチャーアクアの水槽に日淡は普通入れないだろうし」
琴音はすかさずフォローを入れる。
目の前で千尋がヌマエビを捕っている以上どうにも説得力に欠ける理屈ではあるが、ミナミヌマエビならば店で買っても一匹五〇円するかどうかだ。莉緒でなくても充分買って済ませられる話ではあろう。
まあ、莉緒ならば水遊びするにしてもガサガサはない――という千尋の見立ても、それはそれで理解できてしまうのだけれど。
「正直あたしとコトがいりゃ最低限の数は確保できると思うし、翠園寺さんは楽しんでくれりゃいーよ。――ほれ、保護者もちょうどあんな感じであることだし」
そう言って千尋が岸のほうを指さす。突きつけられた人差し指の先を視線で辿れば、佐瀬先生は折りたたみ式のリクライニングチェアとミニテーブルを広げ、ノンアルコールのビールの缶を呷っているところだった。
「ああいうのをあらかじめ用意してたってことは、瑞穂ちゃん先生も完全にレジャー感覚で来てるわけよ」
「運転しないのにノンアルコールってあたり一応の理性を感じるな……」
「あはは……まあ、しっかり見てくださってはいるようですから。貴重なお休みの日を割いて引率に来てくださったんですし、楽しんでくださるに越したことはないかと思いますよ」
三者三様の視線に気づいたらしい、佐瀬先生が顔を上げてひらひらと手を振ってくる。とりあえずこっちも手を振り返してから、
「――で、小清水ちゃんもあんな感じだし」
千尋がくるりと別の方向に目を向けた。
小清水がどこにいるのかと言うと、自分たちと同様に川の中だ。
今日の予定が淡水生物の採集だとわかっていたからだろう、いつものガーリーな洋服ではなく、ホットパンツにビーチサンダルといういかにも濡れることを想定した装いで、膝から下を流水に浸している。
と、おっかなびっくり網を凝視していた小清水が、ぱあっと顔を輝かせて駆け寄ってきた。
「巳堂さん! お魚さんが捕れたよ!」
「わ。走るな走るな」
ときおり小清水が網を振り下ろす様子を横目で微笑ましく見守っていた琴音だったが、さすがにどきりとして制止する。足元はごろごろとした砂利で不安定なのだ。転んだからといってまさか大事には至るまいが、上までずぶ濡れになってしまってはかなわない。
琴音の心配をよそに、小清水は意外なほど軽い身のこなしでひょいひょいとこちらに渡ってくる。興奮した小清水が妙にアグレッシブになるのは知っていたが、あれは運動神経にも適用されるのかと琴音は舌を巻くばかりだ。
「この子、なんていうお魚?」
「え、ええっと……アブラハヤだね。北は青森から南は岡山まで広く棲み着いてるから、日淡の中でもメジャーな種類かな」
「じゃあこっちは? どことなく顔の雰囲気がうめぼしに似てないかな?」
「カマツカだ。目が上のほうに突き出してるって話なら、ミウルスと同じく砂に潜る魚だからだろうね。ミウルスみたいに狩りのために潜るわけじゃなくて、敵から隠れるために潜るんだけど」
「巳堂さんは何か捕れた?」
「さっきヤゴがいたけどリリースしたから……今のところザリガニくらいかな、まだ赤くもなってない小さいやつなんだけど」
琴音は何気なしに答え、そこではたと気づいて、
「……あれ、ちょっと待った。もしかして私、小清水さんに負けてないか」
「勝ち負けのある話なの?」
「そうじゃないけど、こう、メンツの問題というか……」
先程千尋が「あたしとコトがいれば最低限は確保できる」と口にしていたばかりである。戦力として見込まれておきながらビギナーズラック以下の成果というのはバツが悪い、というよりも後で千尋に煽られそうな気がしてならない。
その千尋はといえば、やや離れた位置に移動して莉緒に指南を行っていた。草の茂ってる場所を狙って、下から上へ、網を草に押しつけて擦りつけるみたいにして「これでもか!」ってくらいに動かしたらいいよ――。
「あ! 何か入りました。ハゼでしょうか?」
「んー、ヨシノボリだね。餌にしちゃうよりも飼いたいやつだなぁ」
琴音は、唇を引き結んで小清水へと振り返った。
「これはちょっと、頑張らないとまずいかもしれない」
「……巳堂さんって、負けず嫌いなとこある?」
小清水が眉尻を下げて苦笑する。明らかに、反応に困ったときの仕草であった。
一時間ほどの間に、クーラーボックスは生き物で溢れた。
持参したクーラーボックスは二つ。
魚を入れた片方にはまだかなりの余裕があるものの、甲殻類を放り込んだもう片方は、午後の採集をするまでもなく既に限界を迎えている。蠢いているのはほとんどがアメリカザリガニで、琴音が水の流れの淀んだスポットを見つけてまとめて掬い上げたものだった。
経験者としての面目は保った、と思う。
「コトぉ、なんぼなんでも張り切りすぎだろ」
「い、いいだろ外来生物なんだから」
「それを言われちゃったらリリースもしにくいじゃんか……駆除に貢献するのはいいけどさぁ、これ全部持ち帰ったら収拾つかねーぞ。どうやって処理する?」
「ぐっ……」
結局、千尋にやり込められることは避けられないのだった。
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