第61話 ザリガニパーティーですね!
意外なことに、と言っていいのかどうか。
助け船を出してくれたのは佐瀬先生であった。
「何よあんたたち、そんなの簡単じゃない」
「簡単って言いますけどね瑞穂ちゃん先生……幼体はまだいいとして、成体もメチャクチャいるんすよ。全部持って帰って水槽に入れたら、共食いで地獄絵図になるか殖えすぎて手に負えなくなるかの二つに一つっしょ。かといって一度捕まえた外来生物リリースすんんのもマナー的にアレだし……」
「リリースできない、持って帰れない。だったらやることは一つじゃない」
何を迷うことがあるのだ、と言わんばかりの口ぶり。
「食えばいいのよ」
「は?」
「食えばいいのよ、ここで」
千尋の目が点になる。
「はあ?」
もとをただせば自分が原因だとわかってはいる琴音だったが、このときばかりは珍しく心の底から千尋の味方をしたい気分だった。隣に立つ小清水を見やれば、かわいそうに、担任兼顧問のあまりの発言を受けて「聞き間違いかな?」などと首を捻っている。
さらにその隣の莉緒を見る。
網を持って水場を動き回ったことなど生まれて初めてなのだろう、莉緒は額に珠の汗を滲ませていた。
が、整った顔立ちに浮かぶ表情は明るく、
「なるほど!」
合点がいった、というふうにポンと手を打って、
「ザリガニパーティーですね!」
「……まじか?」
思わず琴音が漏らした呟きに、佐瀬先生はしごく大真面目に、莉緒はにっこりとした表情で、それぞれ首を縦に動かしてみせる。
莉緒の説明によると、北欧やアメリカには春から夏にかけてザリガニを食べる風習があるらしい。
「ボイルしたザリガニを食べながらお酒を飲む行事でして。現地ではウチダザリガニを使っているそうなのですが、アメリカザリガニでもできないことはないはずです。わたくしたちだとお酒は飲めませんけどね」
ちなみにウチダザリガニとは、最大十五センチほどまで育つ北米原産の大型ザリガニの名前である。日本では特定外来生物に指定されているから、飼育はおろか生きたまま持ち運ぶこともできない。
アメリカザリガニはウチダザリガニと比べて小さいぶん、可食部位も少ない。アメリカザリガニだけでパーティーなどしようとすれば、クーラーボックス一杯といえどもまだ足りまい。
しかし、今日は昼食用の食材を別に用意してきているのだ。
そこにちょっと調理して一品加えるくらいなら、この場にあるぶんだけでも充分足りるのではないかと思われた。
「なるほどねー……そういやロブスターなんかもザリガニだもんなぁ」
「言われてみれば、ウチダザリガニだって食用として輸入されたわけだし、アメリカザリガニを食べるのもそんなにおかしくはないのか」
「アメリカザリガニもフランスでは『エクルビス』という高級食材ですし、中華料理に使われることもあるんですよ」
だからちゃんと食べられます、と莉緒は太鼓判を押す。
佐瀬先生が後を引き取って、
「そりゃドブみたいなとこにいるやつなら私だって食おうなんて言わないけどさ、ここのは大丈夫でしょ。しっかり熱さえ通せば食える食える」
喋りながら、ぱんぱんに膨れたリュックサックから調理器具を取り出してゆく。カセットコンロにスキレット、鍋にまな板に包丁。
弁当でも作ってくれば荷物はこの三分の一以下で済んだだろうに、佐瀬先生は現地で料理することを主張したのだ。先程はレジャー感覚という千尋の指摘に同意した琴音だが、こうなっては先生の遊び心に感謝するしかない。まさかこうなることを見越していたわけではないにしても。
「あれっ?」
唐突に、小清水が声を発した。
「先生、このへんって火とか使っちゃっていいんですか?」
「OKOK。隅っこも隅っことはいえ、一応キャンプ場の範囲内だからここ」
「お客さん見当たらないですよ?」
「そりゃまあ、普通のキャンプ客は沼のまわりでテント張るからわざわざこっちのほうまでは来ないわよ。……あーでも、さっき一人いたな」
「いたんですか? わたしたちみたいな人が?」
「ガサガサ目的じゃないでしょうから、私らみたいって言うと語弊があるでしょうけど……トイレ行ったとき、女の人がすぐそこまで歩いてきてるのを見かけたわね。ひょっとしたら炊事場で会うかもよ」
「へええ」
そうこう話しているうちに、佐瀬先生は必要な道具を全て取り出したようだった。
「――さて! 炊事場に行きましょ」
「ここでも火を使えるのに、結局行くんですか?」
「水道使えたほうが都合いいのよ。――そっちのリュックに食材入ってるから、誰か持ってくるように」
「はぁい」
小清水が指定されたリュックを持ち上げて、佐瀬先生の後を追う。
◇ ◇ ◇
千尋と莉緒が荷物番として沢に残った。
これといって人選に意図があったわけではなく、単に慣れないことをした莉緒が思った以上に疲れていそうだったからだ。
そういうわけで、料理担当として炊事場にやってきたのは佐瀬先生と琴音と小清水の計三名である。
「ところであんたたち、料理はできるの?」
「私は正直、レシピ見ながらじゃないと自信ないです。小清水さんは?」
「わたしは最近だんだんできるようになってきたよ。ひとり暮らしだから自分で作らなきゃだし。先生は?」
「あんたその理由言ったあとでこっちに返してくるの凄いわね」
佐瀬先生(二十八歳独身)から不穏なオーラが漂いはじめるも、当の小清水は自身が火の玉ストレートを投げ込んだことにまったく気づく様子もなく、頭に「?」のマークを浮かべている。
――小清水さん、おそろしい子……。
琴音は早くも胃が重くなる感覚を覚えながら、話題の軌道を戻しにかかった。
「その、先生? さすがに小清水さんだってザリガニを捌いた経験はないはずだし、私もないんですけど……どうやって料理すればいいのか、先生は知ってるんですよね?」
すると、佐瀬先生は威圧感を引っ込めた。
「当ったり前じゃない。じゃなきゃ食べようなんて言い出さないでしょ?」
「で、ですよね」
「ザリガニはたまに食べるのよ。今のあんたたちみたくペットの餌にしようと思って獲るんだけど、ちょうどこんな具合に獲れすぎることがあるから。――ああでもしまったな、料理酒がない」
食材と調味料を入れた袋を片っ端から炊事場に並べていく。オリーブオイル、チューブに入ったペースト状のニンニク、タマネギ、キュウリに生ハムにバゲット。
そもそも手間のかかる料理を作る予定がなかったのだ。佐瀬先生が自らぼやいたとおり、どこをどう眺めても料理酒は見つからない。
「料理酒がないとまずいんですか?」
「泥抜きしたら酒で絞めるのがいいのよ。どうするかなぁ」
と、そのときだった。
「――お困りのようですね?」
聞き慣れない声とともに、横合いから紙パックが差し出された。
印刷されている文字は「料理酒」と読める。
パックを持つ、形はいいけれども乾燥の跡を残す指。家事か仕事かは知らないが数多の作業をこなしてきたことを窺わせる手だ。
視線を移すと、声の主である女性の顔が目に入った。
眠たそうな目元と微笑みを湛える唇からはアンバランスな印象を受ける。が、不思議と吸い寄せられるような深い魅力を感じる――そんな顔立ちの女性だった。
「あぁ、あなた、さっき沢の近くを歩いてた……」
佐瀬先生が思い出したように口を開いた。
「はい。上流のほうから皆様の声が聞こえまして。面白そうなことをしていたので興味を引かれまして、思わず眺めてしまいました」
隙のない所作で、しかし物腰柔らかく女性が語る。
「料理酒が要るのでしょう? たまたま私に持ち合わせがありますので、ぜひお使いください」
「いいんですか? こっちは大量のザリガニ絞めるのが目的なんで、けっこう使っちゃうと思いますが」
「構いませんよ。私は使わないなら使わないで済ませられますから」
女性はにっこりと口元の笑みを広げる。彼女がわずかに首を側方へ傾けると、ウェーブのかかったミディアムヘアが風に揺れた。
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