第94話 お二人はそういうご関係で?

 結果から言えば、千尋のチョイスは採用された。


 エレオカリス・ビビパラ――別名、ロングヘアーグラス。


 ヘアーグラスといえば名前のとおり髪の毛のように細い葉をつける前景草だ。CO2を添加したうえで高光量下で育てれば、横方向にどんどんランナーを伸ばして増えていくため、水中に芝生を敷き詰めることができる。


 そのヘアーグラスの草丈を長くしたのがエレオカリス・ビビバラなのだと莉緒は語る。


「かねまるには置いていませんし、小清水さんたちの向かったお店にもなかったとのことでしたから通販しかないと思っていたのですが……ここで手に入ったのは幸運でした。イメージどおりの水景が作れそうです!」


 水草の入ったビニール袋を革津から受け取りながら、莉緒がいつになくホクホクした面持ちで喜びを露わにする。


 ――ここまではしゃぐ莉緒ちー、初めて見るな。


 楽しそうじゃん、などとは口に出さないほうがいいのだろう。


 楽しんでくれていることはわかるし、それで充分だ。


 そんな彼女の様子を特等席で見届けることができるのは役得というやつだと思う。琴音は言うに及ばず、きっと佐瀬先生や小清水だって、こんなにも幸せそうな莉緒の顔を今日の自分ほど堪能したことはあるまい。


「――んじゃ、行こうぜ。今日明日は莉緒ちーの家の水槽に置いとくんだろ? なるはやで移しちゃったほうがいいだろ」


「え。……ええと、もちろん早くて困ることはないですけれど……そこまで急ぐ必要もありませんよ?」


「あれっ」


 対応をハズしたらしい。莉緒の声音に一転して戸惑いが滲むのがわかった。


「ブリクサ・ショートリーフもエレオカリス・ビビパラも買ったのは鉢植えで、根元がロックウールに守られていますし……葉も革津さんが湿ったキッチンペーパーで保護してくださいましたから」


 いくら残暑が厳しい最中とはいえ、そうそう短い時間で乾燥してしまうとは考えにくい――並べ立てる莉緒の口調には妙に熱がこもっていて、説明している話とは別種の意図を窺わせる。


「あー、そりゃそうか」


 いずれにしろ千尋は納得した。


 意図はどうあれ、語られた内容がそれ自体で正しいと察したからだ。


 まさに莉緒が口にしたとおり水草だって通販で売っているわけで、発送されてから客の手元に着くまでには数日間のラグがある。それでも水草は枯れないくらいなのだから、自分たちが殊更に急ぐ理由はあるまい。


「あたしは水草あんま買わねーからピンと来ないけど、要は通販とかでもそんな感じの梱包なわけだ。だったらたしかに心配いらんね」


「はい。……ですから、その……」


 そこで莉緒はわずかに言い淀み、


「千尋さんさえよろしければ、もう少しだけお時間をくれると嬉しいです」


 おそらく、言葉を絞り出すのに勇気が必要だったのだろう。袋を握る莉緒の手。力みによって白く染まっている細指の先端が、アクアショップの薄暗い照明の下でもハッキリと見て取れる。


 千尋は肩をすくめた。


「……ま、せっかく駅前まで出てきたんだし。こんだけで帰るってのは、あたし的にもつまんないからねー」


 今日のお出かけは楽しみだった、と莉緒は言っていた。そのために張り切って服を選んできたのだとも。


 ――よく考えたら、会ってからずっとそうだよな。


 これまでの言動を振り返ってみれば、なにも高校に入ってからに限ったことではなかったのだと改めてわかる。成績優秀にして品行方正なお嬢様――家柄と己の能力の双方によって、莉緒はずっと高嶺の花として扱われてきたのだ。


 そんな莉緒にとっての貴重な友達になれたのなら、それは何というか、自分にとっても彼女にとってもいいことなのだと思う。と考えるのはたぶん自惚れだとしても。


「おやぁ? お二人はそういうご関係で?」


 革津がレジカウンターから身を乗り出してきていた。極端に潜められた声を耳にすることができたのは一番近い位置にいた千尋だけで、革津もそのつもりで囁いたに違いなかった。


 長い前髪の奥。興味の色を宿して爛々と光る瞳に苦笑しながら、千尋は同じくらいの小声を返してやる。


「ビミョーっすね」


「微妙ですかぁ」


「今のところはまだ何とも」


「私の聞いた意味がわかってる時点で、お客様としては満更でもないって答えてるようなものですよぉ。攻めちゃいましょう攻めちゃいましょう」


「煽ってくれるなー店員さん。ノリがいいのは大歓迎っすけどね」


 苦笑を濃くしながら千尋は追撃を受け流す。この革津という店員、嫌いなタイプではないものの、どうやら見た目にそぐわぬ曲者らしい。


 と、次の瞬間、


「――おおっと」


 革津がふと顔を逸らした。首が向いた先には店の出入口がある。


「いらっしゃいませぇ。お待ちしてましたよぉ」


 来客だった。


 そういやこの人いつも土曜日はオフだとか何とかだっけ、と千尋は入店直後のやりとりを反芻する。たしか、売約済みの生体を引き取りに来る客がいるから今日だけ特別にシフトを入れた、みたいな話だったはずだ。


 その客がちょうど訪れたのだろう。


 革津につられるようにして、千尋も入口へと視線をやった。


「あっ!?」


「まあ!」


 莉緒も目を丸くしている。


 革津の「客」――生体を受け取りに来たその相手は、まさに自分たちが先程会話の俎上に載せた人間だったからだ。


「海老名さん、どうしてここに?」


「あら、委員長……偶然ね」


 水槽のライトから放たれる青い光が、セミロングの黒髪をストレートに下ろした少女の目元、メガネの透明なプラスチックレンズに反射していた。


 一年B組、海老名詩乃。


 そして、その後方から小走りで現れたのが――


「あーっ!」


 同じく一年B組にして女子バスケットボール部期待のルーキー。よく日に焼けた小麦色の肌をもつ蟹沢理沙が、千尋をぴたりと指さして叫びをあげた。


「ちっひ、てめー! よくもタピオカガエルなんて嘘っぱち吹き込んでくれやがったな! ここで会ったが百年目ーっ!」


「ぶふっ」


 瞬間、千尋のうしろで革津が噴き出した。

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