第76話 節穴じゃないですか!
グループチャットに書き込まれた琴音のメッセージを目の当たりにして、莉緒が最初に抱いた感想は「これならば千尋や自分が裏でこそこそする必要はなかったかもしれない」というものだった。
そういえば千尋から聞いたところによると、たしかこの前、琴音は自宅の前で小清水と鉢合わせたという話ではなかったか。それでろくに会話もしてやれなかったとあっては、いくら人付き合いの感覚に疎いらしい琴音でもさすがに心地の悪さを感じたのかもしれない。
――これも成長……とか言いそうですわね、天河さんなら。
ほっと胸を撫で下ろしかけた莉緒は、しかしその一瞬後、小清水の返信を見て眉をひそめた。
〔由那:LANEならいいよ~ ――現在〕
〔由那:今日はちょっと出かけてて、解散が夕方になっちゃうの ――現在〕
〔ことね:用事? ――現在〕
〔由那:駅前で遊ぶだけなんだけどね。今クラスの子たちと一緒なの ――現在〕
ちなみに亜久亜市民が単に「駅前」と口にする場合の「駅」とは、地域のターミナル駅にあたる亜久亜駅のことを指すことが多い。小清水は今春この街にやって来たばかりのはずだが、早くも街に馴染みつつあるようだ。
と、LANEに画像ファイルが投下された。
いわゆる自撮り写真だった。挙げた右手にスマートフォンを持って撮り下ろした構図。一番手前に写っているのは言うまでもなく撮影者の小清水本人で、彼女の奥には二人の少女の姿が見える。
もちろん、クラス委員長である莉緒には二人が誰なのか一目でわかった。
B組女子のムードメーカーとして一定のポジションを確立しているバスケ部の理沙と、やや朴訥気味だが人当たりはいい図書委員の詩乃というコンビである。
小清水と彼女たちは席が近い。そのおかげかクラス内でもよくお喋りしているところを見かけるし、莉緒自身その雑談に加わることも珍しくない。小清水が隣の教室に出向くようになってから休み時間を共にする頻度が減っているとはいえ、同じ教室で過ごしていれば話すチャンスなどいくらでもあるもので、やはり今でも三人の仲は良好のようだ。
「まあ、いいことではあるのですが……」
考えてみれば、小清水は本来わりと社交的なほうなのだ。男子はもちろん女子からだって嫌われてはいないし、千尋ほどではないにしてもそれなりに顔は広い。琴音以外の友人と遊ぶという選択肢は、休日の過ごし方として自然に想定され得た。
され得た、のだが――
「もどかしいタイミングですねえ……」
琴音が空いたと思ったら今度は小清水の予定が立たない。なんとも噛み合わないものだ。
「莉緒ちゃん、どうしました?」
背後から真凜の声。
この際、いっそのこと巻き込んでしまったほうが話が早いのではなかろうか――そんな思考が莉緒の脳裏をよぎる。
頭が秒でフル回転し、千尋のプランを崩さないギリギリのラインを弾き出した。
「……真凜さん、たとえばの話なのですが」
「はい」
「会いたい相手となかなか会う時間がとれないとき、真凜さんならどうしますか?」
「――ふむ。そうですね……」
真凜は表情を微動だにさせぬまま顎に人差し指を当てて、
「私なら何もしないでしょうね」
さらりとそう言ってのけた。
「何も……ですか?」
「特別なことは何も、という意味です。電話やLANEで連絡を取り合ったりは普通にします……が、それだけでしょうね」
「大丈夫なものでしょうか、それだけで」
「繋がりさえ断たなければ関係は切れないものですよ。現に莉緒ちゃんには学校での、私には職場での付き合いがありますけど、それでも私たちはこうして五年も一緒にいるでしょう?」
だから本当に何も心配はいらない。声のトーンだけでそんな心が伝わってくるかのような、泰然とした声音で真凜は語る。
彼女の口調が抑揚に乏しいのはいつものことだ。淡々と紡がれるだけの言葉にそれでも莉緒が説得力を覚えてしまうのは、真凜のしっとりとした声に魔法めいた力が宿っているからだろうか。
――あるいは、これが大人ということなのでしょうか……。
手の中でスマートフォンが通知音を鳴らし続ける。もう一度画面に目を向けてみると、LANE上でのやりとりは真凜の正しさを証明するかのように進んでいる。
〔ことね:わかった ――三分前〕
〔ことね:この前買ってたファンはちゃんと使えてる? ――三分前〕
〔由那:つけたよ! ――二分前〕
〔由那:水温三度くらい下がった ――二分前〕
〔ことね:そか、安心した ――一分前〕
〔ことね:あ、そうだ ――一分前〕
〔ことね:駅前にいるんなら地下街行ってみるといいよ。友達さえよければだけど ――三〇秒前〕
〔由那:何かあるの? ――三〇秒前〕
〔ことね:新しいアクアショップできてた。最近バイト帰りにぶらついてて気づいた ――現在〕
〔ことね:AQUA RHYTHMとはまた違った品揃えだったから覗いてみると面白いんじゃないかな ――現在〕
〔由那:行ってみる! ――現在〕
小清水が「サンキュー!」と文字の入ったスタンプを投下したのを最後に、LANEが沈黙する。
今度こそ一件落着だろうか。
莉緒は口元を綻ばせ、スマホを机に置こうとした。
「――しかし、まあ」
通知音が途切れるタイミングを待っていたのだろう、真凜がふたたび口を開いた。
「莉緒ちゃんが巳堂さんに入れ込むのもわかります。少々恥ずかしがり屋さんのようですが、気立ては決して悪くないし頭もよく回りますし……実際いい子に出会ったものだと思いますよ」
「……はい?」
違和感。
さっきまでとは明らかに違う。普段から平坦なはずの真凜の声音に、妙にしみじみとした熱感がこもっている。
「あの子にだったら、安心して莉緒ちゃんの隣を任せられます」
そうして真凜は、唇の両端だけを持ち上げる独特の微笑を向けてくるのだ。いつになくはっきりとした、これまで長く自分を見守ってきてくれた「お姉さん」としての暖かさを瞳に乗せて。
言うまでもなく、そんな情のこもった眼差しを向けられても、莉緒の額に浮かぶのは冷や汗だけだ。
「あの、真凜さん? すごい勘違いをされてませんか?」
「いえいえ、ここまでの話の流れで事情を悟れないほど私の目は節穴ではありません。……応援していますよ、莉緒ちゃん」
「節穴じゃないですか!」
どこまで本気なのだろう――先日カフェで千尋に説明したことは謙遜でも照れ隠しでもない。真凜の言動から彼女の真意を推し測ることは、自分にだって未だ至難の業なのだ。
「わたくしと巳堂さんとはあくまでも友人としてのお付き合いで……! ちょっと真凜さん、聞いているんですのっ!?」
笑みを表情に貼りつけたまま立ち去ろうとする真凜を捕まえるべく、莉緒はエプロン姿の背中を追いかけてゆく。
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