第89話 きれいに四分割されんだろ

 芽山沼水域の川底をモチーフにする。レイアウトの方向性がそのように決まった以上、次なる問題は水草と生体をどう選ぶかだ。


 ところが、これに関して莉緒は実にあっさりと練り込み不足を認めた。


「え……まだ決めてない?」


「正確に言えば、おおまかなイメージはできているのです。ただ、実際に使う水草の品種までは絞り込めていない状態でして……皆さんの知恵をお借りしながら詰めていきたいと考えています」


「なるほど。おおまかなイメージっていうのは?」


「水面に向かって葉を伸ばす、細長いタイプの水草を中心にしようかと。底材は何種類かを敷き分けて、前景に明るめの砂を出して清涼感を演出したいですね」


 なるほど、妥当な線だろう――水景を想像に起こしてみて、琴音は莉緒の狙いをおぼろげに悟る。


 水槽を飾るのは学校の来賓室なのだ。そのロケーションを踏まえれば、爽やかさを押し出すのは最善手であるように感じられた。


 千尋へと視線を移してみれば、彼女も莉緒の作ろうとしているレイアウトを概ね思い描けたようで、それで行こうぜと言わんばかりの表情を浮かべている。


 由那へと視線を移してみれば――


「ん~……」


 何かが喉につっかえているような、微妙な面持ち。


「どうした、由那?」


「あ、うん……ちょっと気になることがあって。もちろん翠園寺さんのアイデアはわたしもすっごく素敵だなって思うんだけど……」


 琴音はそのとき、続きを促すべきか迷った。


 ネイチャー系のアクアリストほどではないにしても、自分とて水景には凝りたがるタイプだ。そんな自分の見解を言うならば、莉緒の構想が欠陥を抱えているとは――少なくとも現時点では思えない。


 ところが、莉緒はむしろ嬉しそうに口元を綻ばせた。


「――どうぞ。ぜひ忌憚なく仰ってください」


「いいの?」


「それはもう。……白状してしまいますと、この段階でわたくしの意見だけ素通しになってしまうほうが不安だったりしまして」


 眉尻をかすかに下げて肩をすくめてみせる莉緒だが、声音はしみじみとしたものだった。場を円滑にせんとする気遣いがいくらか含まれているにせよ、不安だという吐露は紛れもなく本音なのだろう。


 考えてもみれば、アクアリウムは本来一人でやる趣味だ。


 しかし今、自分たちは生物部というチームとして大会に参加しようとしている。メンバーで唯一ネイチャーアクアを専門とする莉緒には、通常アクアリストが背負うことのないような、多大なプレッシャーがかかっているに違いなかった。


「まー学校の看板使うってこともあるし。責任感ある人だとけっこう重荷だよなー」


 責任感など欠片ほども匂わせない口調で千尋が嘯く。


「心配事があるなら今のうちに全部出しちゃおーぜ。全員で話したら責任もプレッシャーもきれいに四分割されんだろ」


「なんだ、珍しくいいこと言うな?」


「そりゃーあたし部長ですしー」


 いつもの様子でけらけらと白い歯を見せる千尋。そんな幼馴染の顔を琴音はジト目で眺めながら、つくづく得な性格してる奴だよなと呆れ交じりの感心を覚える。


 仮にも部長という立場がある以上、こいつには莉緒以上に重圧がかかっていてもおかしくないはずだ。


 こういうところで気負わないのは美点なのだろうか。それとも単に「結果の責任は言い出しっぺの大人に引っ被ってもらうのが筋だ」とでも考えている――もしそうならそれはそれで間違っていない気もするが――からだろうか。


「……ま、いいや」


 琴音はひとつ息を吐き出して、


「たしかに由那は目のつけどころがいいからな。言ってみてよ、もしかしたら私たちが見落としてることに気づいてるのかもしれない」


「うん。……ほんとに何となく思っただけなんだけどね?」


 由那自身でも「ひょっとしたら」程度の懸念でしかないのだといった感じの、あまり自信を持っているわけではなさそうな前置き。


「〆切が一月末ってことは、審査は二月だよね?」


「発表が二月十四日だから、そうだな。ほぼ半月かけて審査される感じか」


「亜久亜って冬、寒いかな?」


「さすがに二月だと、そうだな。毎年雪が降るくらいには気温下がってるよ」


「じゃあ……」


 由那は、遠慮がちに口をひらいた。


「あんまり涼しそうな見た目にしちゃうと、よくないんじゃないかなって……」


「「「――あっ」」」


 琴音は硬直した。


 千尋がぽんと手を打った。


 莉緒がハッとしたように口元を手で押さえた。


「い、一理あるな……!?」


「夏ならノープロブレムだったけどなぁ……!」


「盲点でしたわ、どうしましょう……?」


 やはりこの場で聞いておいて正解だったかもしれない。


 先に確認したとおり、採点の基準は厳格に決められている。冬の時期に清涼感を前面に出すミスマッチを抱えていても、技術や構図、持続可能性といった項目でマイナスを食らうことはないだろう。


 しかし、インパクトの面での減点はあり得る。


 少なくとも、たとえば熱帯の密林を思わせるレイアウトと比較したとき、こちらが有利になる要素ではあるまい――残念ながら。


「……おし」


 沈黙を破ったのは千尋だった。


「底材さ、化粧砂じゃなくて普通のにしようぜ。それならなんとか許容範囲に収まるっしょ?」


「川砂やレイクサンドあたりでしょうか? 大丈夫かとは思いますが……使ったことがないので何とも言い難いですね」


「川砂だったら私、ホムセンの園芸コーナーで売ってたやつを使ってる。見た目的には大磯をもっと細かくしたようなもんだから、石組レイアウトなら違和感は出ないはずだ」


 話し合いが熱を帯びる。時間が車輪のように回ってゆく。


 最終的に四人で出した結論は、百二十センチオールガラス水槽の三尊石組川底レイアウト、細長い後景草で涼やかさを演出しつつも、濃緑のウィローモスと明るさ抑えめの川砂で色調を整える――というものだった。


 翌日、佐瀬先生を経由して器具と材料の注文が通った。もはや不退転である。

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