第118話 メスのほうが発色がいいのですぅ

「チェリーシュリンプは台湾産のヌマエビを品種改良することで生まれた生き物でしてぇ、まあ平たく言うならばミナミヌマエビの近縁種ですぅ」


 飼い方もほとんど変わりません、と革津が説明するのを聞いて、千尋は「想像以上に楽そうだな」という感想を抱く。


 なにしろミナミヌマエビはシュリンプの中では丈夫なほうだし、何匹かまとめておくだけで勝手に繁殖までしてくれる。甲殻類だから薬品に弱いという欠点はあれど、最初の水合わせさえ乗り越えてしまえば維持すること自体は難しくあるまい。


 それこそ、初心者の理沙にもオススメできるくらいに。


「まさか蟹沢がアクアリストになるとはねー……」


「んだよちっひ。似合わねえってか?」


「や、そこはあたしも人のこと言えねーだろうから気にしないけど。――どこでどう縁が繋がるかわかんねーもんだなーと思ってさ」


 聞けば、理沙がアクアリウムに興味を持ったのは、詩乃のカニ水槽を見て自分でも始めたくなったのが理由だという。詩乃がドワーフクラブを購入する場面には千尋も居合わせたから、そのこと自体は想像の範疇ではあった。


 だが思い返せば、その詩乃がドワーフクラブを飼おうと考えたきっかけは、由那が彼女をディープジャングルに連れて行ったことだったはずだ。


「小清水ちゃん、ぶっちゃけあたしとかよりもアクアの布教に一役買ってる気がすんだよなー……」


「ちっひ、そもそも布教とかやってんの?」


「そういうわけじゃねーけど、それはべつに小清水ちゃんだって同じだかんね。あの子が魚飼い始めたのって今年の夏前だぜ? 駆け出しもいいとこなのにようやるなーと思ってさ」


「あぁ~……たしかに今の由那っち、熱量はすごいんだよな実際」


 ただなあ、と理沙が腕組みとともに宙を睨む。


「詩乃や由那っちだけの影響でもないんだよな。ボトルアクアにしたらってウチに薦めてくれたのは巳堂サンなんだぜ」


「は? コト?」


 まさかここで幼馴染の名前が出てくるとは思わなかった。千尋は目を瞬かせて、


「あいつと話したの? いつ?」


「さっき」


「……ほーん」


 千尋はだいたいの事情を察した。


 案の定、琴音もアクアマーケットを訪れていたわけだ。おそらくは由那といっしょに来て、会場を巡るうちに偶然理沙たちと出会って、由那と彼女たちの会話の流れに乗っかってアドバイスを施した――おおかたそんなところだろう。


「小清水ちゃんはどんな様子だった?」


「へっ?」


 ところが、理沙は「どうしてそこで由那の名前が出てくるのだ」とでも言わんばかりの、不意打ちを食らったような反応をした。


 千尋は莉緒と顔を見合わせる。どうやら莉緒も今の千尋がおかしな質問をしたとは思っていなかったようで、面食らった表情を浮かべるばかりだ。


 どこかにすれ違いがある。


 千尋がそのことを悟ったとき、やはり怪訝そうに眉をひそめた詩乃がおずおずと口を開いた。


「私たち、小清水さんの姿は見ていないわよ?」


 理沙も追随して、


「そうそう。巳堂サンひとりでいたけどなあ?」


 千尋と莉緒は、再び、どちらからともなく無言で顔を見合わせる。




 最終的にどうなったかと言えば、千尋はそのままディープジャングルのブースで黄色いチェリーシュリンプを買った。


「――とりあえず、」


 大前提として、琴音が由那を誘わなかったとは考えにくい。


 にもかかわらず琴音が一人だったということは、おそらく由那とはぐれたのだろう。この人混みの中では充分あり得る事態だ――千尋と莉緒、理沙と詩乃、そして革津を含めた五人はそのように結論づけた。


 そのうえで、


「できることはないねー、ぶっちゃけ」


「せいぜいLANEでお二人にメッセージを送ってみるくらいですけど、スマホを持っているならとっくにお二人の間でやり取りしているでしょうしね」


 放置。それが一同の出した答えである。


「そもそも由那っちが来てるはずってとこからして想像でしかねぇしなあ。そりゃLANE使って直接訊くことはできっけど……」


「やめておきましょ。どのみち巳堂さんと小清水さんが連絡取り合えるんだったら、私たちが首を突っ込んだって意味ないもの。――というか、詮索しちゃ悪いわよ」


 詩乃の言葉にすべてが詰まっていた。仮に想像が一から十まで当たっているのだとしても、結局のところ自分たちにできることは琴音や由那でもできるのだし、逆に当人たちにできないことは自分たちにだってできない。


 これといって有意義な手助けをしてやれないなら、余計なお世話は焼かないでおくに限る。


「――うっし。そうと決まれば」


 理沙がぱんっと強く両手を合わせて、


「ウチもチェリーシュリンプにすっかな。革津さん、今度お店行ったとき赤いヤツ二、三匹買わせてもらうんで、よろしくっす」


「おお、ご予約と受け取っていいんですかぁ?」


「まずはボトルの環境整えなきゃなんで今日いきなりは持ち帰れねぇんすよ。……あとウチ部屋のスペースあんまなくって、いくらボトルでもそんな何個もは用意できないんで、できれば殖えないほうがありがたいんすけど……」


「でしたら、メスだけ数匹見繕っておきますよぉ。チェリーシュリンプはメスのほうが発色がいいのですぅ」


「あざっす! 助かります」


 理沙と革津が取引の詳細を詰めてゆく。体育会系のさがなのか千尋に劣らずスパスパ物事を決めていく理沙と、アクアショップ店員として手際の良い革津だけに、会話のテンポが端で聞いていて心地よい。


「ところでウチ、レイアウトとかあんま自信ないんすよ。なんか簡単に組めてそれなりに見栄えする方法ないっすかね?」


「底材を敷いてマリモを何個か沈めるだけでも悪くない水景ができますよぉ。他には人工の水槽用アクセサリを入れるとかぁ……」


 もっと入り浸っていたい気持ちもあるが、いかんせん千尋はすでに生体を購入してしまっている。長居は禁物だろう。


「莉緒ちー、あたしたちはそろそろ行こーか。シュリンプが弱らないうちに水合わせしちまわんとな」


「そうですね。千尋さんの場合、飼育水はメインタンクからちょっと拝借すれば済むとして……よろしければわたくし、レイアウトのお手伝いしましょうか?」


「おっ、いいね。ネイチャーのエキスパートが力貸してくれるなら百人力だ」


 名残惜しさを振り切って理沙と詩乃に、さらには革津にも別れを述べて、千尋は莉緒とともにディープジャングルのブースを離れた。



 知り合いの大人二人――佐瀬瑞穂と湊真凜という意外な取り合わせと鉢合わせたのは三分後、出口に向かう途中で通りかかったブースの前でのことだった。

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