第52話 あたししかいねーっしょ

 改めて見ると、申請書はなかなかにいかめしい書式である。


 頭に「部活動申請書」とあり、その下に「新規創部」から「廃部」までのチェックボックスがあって、二番目の「活動再開」のところに莉緒のボールペンによるチェックが入っている。さらにその下に申請内容の詳細を記す欄がずらずらと配置されているのだが、どこに何を書けと指示する文体がいかにも格式ばっていて、これは本当に生徒に書かせる書類なのかと琴音は反射的に目を疑う。


 同じように書面を覗き込んだ千尋が、うげー、とテンションを低めて声を発した。


「公文書かっつの。私学なんだからもっとテキトーにやってくれたっていいじゃん、なあコト?」


「私に振るなよ。……同感だけどさ」


「だいたい校長先生がやりたがったってんなら、手続きも先生たちで勝手にやってくれりゃいいのにな。……んぉ?」


 しかし千尋は、莉緒が指で示した箇所を見るなり目を眇めて、


「あー、そういうことね」


「何だよ急に」


「こりゃたしかに全部先生が書くのは無理だなーって」


「はあ?」


 琴音は眉をひそめて千尋の視線を追う。


 莉緒が指さしているスペースはもちろん空欄だ。そこが何を書き込むべき欄なのかは、枠内の左上に記されている小さな文字を読めばわかる。


「部長、か」


 なるほど。


 これではたしかに、佐瀬先生が記入して処理することは不可能だ。莉緒に投げてきたのも頷ける。


 莉緒が首肯して、


「どなたが適任なんでしょう?」


 そんなの決まっているじゃないか、と思った。


 先生からの信頼も篤く、話し合いを仕切ることができ、現にこうして事務的な仕事もこなせる。誰が適役かと問われれば、琴音は迷わず莉緒本人の名前を挙げる。


「――そんなの決まってんじゃん」


 千尋が間髪入れずに応じた。


「あたししかいねーっしょ」


「はあ?」


 琴音の口から一分ぶり二度目の声が漏れる。


「なんでおまえなんだ。どう考えても翠園寺さん一択だろ」


 なあ? と小清水を見やれば、彼女はちょっと戸惑ったふうに笑いながらも「翠園寺さんはしっかり委員長できてるし、安心して任せられるかな」と同意を示した。


 ところが、千尋は小刻みに舌を鳴らしながら人差し指を振ってみせる。


「だからだよ」


「どういう意味だ?」


「ただでさえ委員長で忙しい翠園寺さんにこれ以上雑務任せられねーっしょ」


「む……」


 思わぬ正論に琴音はたじろぐ。


「だいいちこの部活、コンテストが目標なんだぜ。ってことは生体じゃなくてレイアウトで勝負することになるんだ。――誰が一番の戦力になる?」


「……翠園寺さんだな」


「エースと部長は兼任しないほうがいいと思わんかね」


「むむむ……」


 たしかに、筋が通っている。


 アートアクアリウムかネイチャーアクアリウムで勝負することになるだろう、というのは自分も考えていたところだったし、ネイチャー専門の莉緒がいるのだから、彼女を実作業におけるチーフに据えてネイチャー路線で水景を作るのがベストだ。


 このうえ部長の仕事までさせるのでは莉緒の負担が大きすぎる。それはこちらとしても心苦しい。


「同じ理由でコトもやめといたほうがいい。コンテスト用の水槽作り始めたら、翠園寺さんの意図を理解して作業進められるヤツが必要になるっしょ?」


「まあ……だろうな」


「小清水ちゃんは水草まだよくわかんないだろうし、あたしは生体にしか興味ねーからさ、コトが頼りなんだよ。――そんなわけで二人には水槽に専念してほしいから、余計な仕事はあたしにぶん投げてほしいんだよね」


 異論ある? と千尋は一同を見回して問う。


 ここに至っては言うまでもなかろうが、誰からも異を唱えられることはなかった。


 千尋は申請書の「部長」の欄に己の名前を書き入れ、職員室の佐瀬先生のもとへと提出に向かった。それが彼女の部長としての初仕事だった。

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