第116話 深淵にご招待しますよぉ

 さて、次は視点を革津へと移してみよう。


「ああああごめんなさいごめんなさい! 私ったらなんて失礼なことを……!」


 眼前では焦りに焦った様子で詩乃がぺこぺこと頭を下げている。初対面のときから理知的な子という印象を抱いていただけに、こういう姿はなかなかに新鮮だ。


「いえいえ、お気になさらずぅ」


 革津はひらひらと手を振ってみせる。


「こちらこそまたしても驚かせてしまい申し訳ありませんでしたぁ。いけませんね、気を抜くとどうしても存在感が消えてしまうようでしてぇ」


 思えば最初に詩乃たちがディープジャングルを訪れたときも、今とまったく同じ光景が繰り広げられていたのである。違いといえば犠牲者が由那だったか詩乃だったか程度しかないわけで、これはもう彼女たちの問題ではなく自分の問題だと革津は重々承知している。


 もっとも、承知しているからといって積極的に治すつもりがあるのかといえば、それはまた別の話になるのだが。


「お詫びにと言ってはなんですがぁ……シュリンプについていろいろと紹介させてもらっちゃいますよぉ」


「シュリンプ……その、私たち淡水エビならもう見て――」


「いいえぇ。先程のお話を聞く限り、お二人はシュリンプの奥深さに未だ触れられていない様子。選択肢の多さを知らないまま選ぶのは損ですよぉ」


 どうやら理沙と詩乃は色鮮やかなシュリンプを見たことがないらしい――淡水エビに関する二人の会話を耳にして、革津はそのように結論づけていた。


 実に勿体ないことだと思う。


 たしかにヤマトヌマエビやミナミヌマエビはホームセンターでも取り扱われるくらいにはメジャーだし、愛嬌があることも確かだ。


 だとしても、それしか知らないのはやはり勿体ない。


 アクアリウムにおいてシュリンプの存在感は大きいのである。その世界に触れないまま生体を選ぼうとしている客は、ショップ店員として見過ごせない。


「ぜひ当店のブースにお越しください。シュリンプ沼の深淵にご招待しますよぉ」


 ニタリという擬音がこれ以上ないほど似合うくらいに口元を歪めて、革津はJK二人を手招きする。




 長机を並べて作ったブース。机の上にプラスチック製のカゴが載っていて、カゴの中にはいくつものビニール袋が入っている。袋は水と酸素で膨らんでいて、その中ではアナカリスがゆらゆら揺れている。


 果たして革津の期待したとおり、アナカリスに目を凝らした理沙と詩乃はあっと驚きの声をあげた。


「この袋に入ってるエビ、きれいに二色に分かれてる……」


「紅白の縞模様かぁ。なんか縁起良さそうだな!」


 ふふん、と革津は鼻を鳴らす。


「レッドビーシュリンプといいますぅ」


 二人が述べた感想のとおり、袋の中では縞模様の入ったエビがツマツマと水草を齧っていた。


 大きさはミナミヌマエビと同程度。しかし、彩りがまるで違う。ミナミヌマエビが透明であるのに対して、このレッドビーシュリンプはまるで絵の具で塗り分けたかのように、鮮やかな紅白の体をもっているのだ。


「もともとはビーシュリンプという白黒模様のエビだったのですが、九〇年代に愛知県のブリーダーが赤みを帯びた個体の固定に成功しまして。東海を中心に広がり、今では日本全国のブリーダーがオリジナルの発色や模様を作り出すべく奮闘しているのですぅ」


「へえ……日本が発祥なんすね」


「はいぃ、それだけに国内のマニアが多くて値段が暴騰した時期もありましたぁ」


「暴騰?」


 理沙が首を傾げる、


「でもこれ、五匹で一五〇〇円なんすよね?」


 日に焼けた指の向けられる先、袋の詰まったカゴの前にはたしかに「レッドビーシュリンプ どれでも五匹入り一五〇〇円」と書かれている。


 スポーツ少女のもっともな疑問に対して、革津はまたしてもニタリと笑う。立てた人差し指を「ちっちっちっ」と振ってみせ、


「これは一番ポピュラーな『バンド』と呼ばれるタイプのレッドビーシュリンプでして、その中でもグレードの低い子たちなのですよ。ぶっちゃけ規格外です」


「規格外?」


「えぇとつまり……あんまり褒められた表現じゃないかもしれませんが、平たく言えば選別漏れ個体ってやつですねぇ」


 案の定、理沙と詩乃が微妙な顔つきになった。


「……まあ、ペットの世界の宿命ですよね」


「……ううん、こんなにきれいなのになあ」


 美しさを基準に命の価値を測る――それは背中から下ろすことのできない業と言っていい。特に選別漏れ個体については安価に売られるならまだいいほうで、生体によっては餌用を前提に販売されることも珍しくないくらいだ。


 ――もっとも、あまり気にしすぎてもいけないんですけどねぇ。


 ペットを飼うことにまつわる人間のエゴを自覚していればそれで充分、というのが革津の意見である。


 何よりこの場はアクアリストの祭典アクアマーケットであり、ここは自分が勤める店のブースであり、自分は一応セールストークをしている最中なのだ。楽しくない話題は切り替えるに限る。


「――裏を返せば、夢のある話という見方もできますぅ。規格外の『バンド』はご覧のとおり一匹あたり数百円ですがぁ、SSランクの『モスラ』ともなれば万単位の値がついたりしますし」


「万、ですか……!? 一匹で!?」


 素っ頓狂な声とともに目を丸くしたのは詩乃だ。


 メガネ越しの視線が袋の中身へと注がれている。こんな小さなエビがそれほどの高値で取引されるなんて信じられない――おおかたそんなところか。気持ちはわからないでもない。


 だが革津は、そんな彼女がさらに仰天するであろう情報を持ってしまっているのだった。


「もちろん一匹で、ですよぉ。これでも今は落ち着いたほうでして……先程『暴騰した時期もある』と申し上げたとおりぃ、かつてはオークションで百万円で落札されたこともあったとかぁ」


「ひゃ、ひゃくまんえん……」


「……やってみますかぁ? 相場がクールダウンしたとはいっても、オリジナルの品種を作出できれば高校生のお小遣いとしては余る額が稼げるかもしれませんよぉ」


「いいですやめておきます私はバンパイアクラブで手一杯なので」


 おそろしい話を掴まされようとしているとでも思ったのだろうか、詩乃は恐怖めいた色を帯びた様子でぶんぶんと頭を横に振った。


 からかいがいのある子だと革津は思う。


 けれど、聡明な子だとも思う。


「いい判断ですぅ。コンスタントに儲けを出そうと思ったら先行者優位の壁を崩さなければいけませんし、そのためには勉強も設備投資も必要ですしねぇ。結局はプロが強い世界ですよ」


「で、ですよね。……もう、変な誘惑やめてください」


 ほっとしたように表情筋を緩める詩乃。その隣で、


「――あのさあ店員さん、」


 真剣な面持ちの理沙が、レッドビーシュリンプの隣のカゴを眺めていた。


「こっちのエビは、また別の種類なんすよね?」


「おぉ、抜け目ないですねぇ蟹沢さん」


 鷹揚に革津は頷く。


 レッドビーシュリンプと同じように陳列されたそのエビたちは、姿形こそよく似ているが、まさしくれっきとした別種のシュリンプだ。


「そちらはチェリーシュリンプといいましてぇ……」


 革津は一袋取ろうと手を伸ばした。


 そのときだった。


「――うわっと!」


「――おやぁ?」


 指先が誰かの手に当たった。


 どうやらちょうどやって来た他の客とかち合ってしまったらしい――そう状況を把握して手のほうへと向き直った革津は、またしても視界に見知った顔を捉えることになった。


「おやまぁ……今日は常連さんのオンパレードですねぇ」


「莉緒ちーはともかく、あたしは常連ってほどじゃねーっすけどねー」


「ごきげんよう、革津さん。海老名さんと蟹沢さんも」


 千尋と莉緒であった。

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