第136話 贈った甲斐があったなあ
「――へくちっ」
空港のロビーから一歩外に踏み出すと、眩いばかりの銀世界が出迎えてくれた。北国ならではの真っ白な景色に感動を覚えたのも束の間、山から吹き下ろしてきた冷風に吹かれて、由那は反射的にくしゃみを漏らす。
青森である。
年明けである。
前回来たのは中学校に上がったその年の盆だったはずだから、三年ぶりの来訪ということになる。
「ほら、だからダウンにしなさいって言ったじゃないの。そのコートじゃ青森の冬は寒いって」
「だって、あのダウン色が明るすぎて子供っぽく見えちゃうんだもん~……あっ」
唇を尖らせて母に反論しつつ、由那は屋外駐車場へと目を走らせる。ずらりと並んだ車列を見渡していく視線が、見覚えのある白い車体を捉えてぴたりと静止した。
「おじいちゃんだ! あけましておめでと~!」
由那は瞳を輝かせ、ぶんぶんと頭の上で両手を振りながら飛び跳ねる。その様子はどこからどう見ても子供でしかなくて、父と母は互いに目配せして苦笑を交わし、フロントガラスのむこうの祖父は微笑ましげに双眸を細めて手を振り返してくれるのだった。
森林調査員として定年まで勤め上げたキャリアがそうさせるのか、それとも道路が雪に埋もれる土地柄のためか、祖父は走破性の高いオフロード車に絶大な信を置いている。
愛車はいかにも年季の入ったランドクルーザー70。広い青森県のあちこちを共に走った相棒らしい。手入れの行き届いた内部の快適ぶりたるや、無骨な外見と裏腹に、新型の高級車と比べても何ら劣るところがないはずだ――後部座席に座った由那と母、そして助手席の父に向かって、祖父は自慢げにそんな内容のことを語る。
もちろん、由那には自動車の善し悪しなどさっぱりわからない。祖父に対しては話したいことと聞きたいこととがあって、今もうずうずと由那の胸を疼かせている真っ最中だ。
だから。
どうやら唯一クルマ談義についていけたらしい父との会話が止んだタイミングを見計らい、由那は自分から切り出すことにした。
「ねえねえ、おじいちゃん」
「おお?」
「水槽プレゼントしてくれてありがとう! おじいちゃんのおかげで熱帯魚にすごく詳しい子とお友達になれてね、いろんなお魚さんのこと教えてもらったの!」
祖父はハンドルを握っていないほうの手で「ほう」と顎下をさする。
「楽しくやってるんじゃないか。そいつは贈った甲斐があったなあ」
「楽しいよ~。わたしね、生物部に入ったんだ」
「って言うと……つまり、学校の部活動か?」
「うん! 部のみんなといっしょに水草レイアウト水槽を立ち上げてね、いま亜久亜市のアクアリウムコンクールに応募してるところなの。来月には結果が発表されるんだよ」
「そうかそうか。入賞するといいなあ」
祖父の声は落ち着いていたが、不思議とよく通った。でこぼこした雪道を踏み越えるタイヤ音にも負けず、ランクルの車内に穏やかな空気をもたらしてゆく。
――よかったぁ、言えた。
ずっとこれを伝えたかったのだ。ひとつ肩の荷が下りて、由那はほうっと息をつく。
ホームシックに罹って両親や祖父と電話したのが、由那にはすでに遠い昔のことのように思える。あれから本当にいろいろなことがあって自分は寂しくなくなったわけだが、いろいろなことが起こるだけの月日を祖父も過ごしていたはずだからこそ、元気な姿を見せて安心してもらいたかった。
あとは、せっかく青森まで来たのだから、祖父の家のトロ舟を数年ぶりに見ていきたい。多少なりとも魚の知識がついた今なら、これまで何となしに眺めてきた金魚たちの魅力に改めて気づけるかもしれない。
と、由那が期待を膨らませているところに、今度は祖父のほうから言葉が投げかけられた。
「――ところで、由那」
「うん?」
「贈った60cmなんだが。あの水槽で何飼っとるんだ?」
そうだ。それについてまだ話していなかった。
由那はぽんと手を打って、満面の笑みを浮かべて答えを返した。
「うめぼしだよ!」
バックミラーに映る祖父の目が真ん丸に見開かれた。
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