第96話 よさげなガラスパイプ見繕っといて

 理沙と詩乃が去ったのを見届けてから、千尋と莉緒もまたディープジャングルを後にした。


 LANEの友達欄に新しく登録された「海老名詩乃」の名前を眺めながら、千尋は地下街の中にあるカフェの隅っこの席で、対面の莉緒へと視線を投げる。


「いやー、莉緒ちーのクラスは面白い子が多いねえ。なんならお茶くらい一緒にしていきたかったけどなー」


「ふふ……仕方ありませんよ、あちらだってもともとお二人で過ごされる予定だったのですし。邪魔してしまっては悪いですわ」


「違いない。だいいちむこうは買ってったのも生体だしな、今日のところは引っ張り回しちゃ悪いか」


 スマートフォンをテーブルの脇に置きながら、千尋はふと「詩乃を生物部に誘ったらどうなるだろう」と考える。


 四人+先生だけで回す方針をとっていたのは、琴音の人見知りが発動することを懸念したのが発端だ。その点、家事代行のバイトで鍛えられた今の琴音ならば隣のクラスの女子くらい問題なく受け入れるだろう。


 ――いや、やめといたほうがいいか。


 聞けば詩乃は図書委員だという。放課後にも仕事があるはずだし、さっきの様子を見る限り、仕事がない日だって理沙との時間が減るのは本意ではないだろう。ただでさえ理沙のほうがバスケ部で忙しいわけだから。


 ――学祭の出し物に誘うのがせいぜいかな。


 ちなみに亜久亜高校の文化祭は九月の下旬である。猶予はもう一ヶ月もない。


 今から準備を始めたところで大がかりな展示はできまいが、たとえば市内に棲息する水の生き物のレポートあたりなら琴音の知識を使って仕上げられるだろう。理科準備室の日淡水槽をそれらしく整えれば何とか形にはなるはずだ――千尋はそのように算盤を弾いている。


「……にしても、シュリンプとかじゃなくてドワーフクラブっていうのは、海老名さんなりのメッセージなのかね……?」


 だとしたら苦労しそうだ。


 千尋の見るところ、理沙は決して鋭いタイプではない。ああいう相手には回りくどいアプローチなどそもそも無用で、ハッキリと言葉で伝えてやったほうがよほど効果的であろう。


 ――ま、コトと小清水ちゃんでも何とかなったくらいなんだし、余計なお世話はいらないだろうけど。


 千尋が含み笑いを漏らした直後、


「ん、LANE?」


 スマホから通知音が鳴った。


「……って、ああ、莉緒ちーか」


 グループチャットに新しくメッセージを投下したのは眼前の莉緒で、内容はもちろん水草についてだ。


 中景にはブリクサ・ショートリーフを、後景にはエレオカリス・ビビパラを使うことにしました――ディープジャングルの袋の写真を添付したうえでの簡潔な報告。


「そういや水草確保したってまだコトたちに伝えてなかったな。ごめんごめん」


「いえいえ。……というか、実はわたくしも一つ謝らなければならないことが……」


「へ?」


「外部フィルターのホースとパイプを本体付属のものではなく、別売りの透明な製品に交換したいのです」


「――ああ、なるほどそりゃそーだ」


 莉緒が言っているのは、つまりこういうことだ――フィルターに水を引き込むための吸水パイプと、フィルターから水槽へ水を戻すための排水パイプ、そしてそれらの間での水の通り道となるホース。この三つはもちろん外部フィルター本体を買えばついてくるのだが、その付属の品では水草レイアウト水槽の外観にはよくない影響を与えてしまう。


 なぜなら、イーハウス製外部フィルター用の正規パーツは、ホースもパイプも緑色をしているからだ。


 自然らしい水草レイアウトを見せたいときに、露骨に色のついた人工物がまわりにあっては妨げになる。その事態を避けたい、と莉緒は話しているのだ。


「たしかに今から取り換えようとしたら一旦水を止めなきゃいけねーもんな。外部フィルターで失敗すると部屋がひでーことになるし」


「あら? もしやご経験が?」


「あたしは外部使ってないから自分では経験ないんだけど、コトがやらかした現場なら見たことあんだよね。下に水漏れしておばさんにめっちゃ怒られててさ。あれは最高に笑えた」


「……わたくし、聞かなかったことにしておいたほうがよさそうですわね……」


「ここだけの話にしといてくれると助かるねー。あたしもコトのチョップ食らいたくないからさ」


 外部フィルターには絶えず水が流れ込み続けている。電源を切ると流れがピタリと止まるわけだから、流れなくなった水がフィルターやホースの中に残存する。したがって、接続部分のコックをすべて止水にしないまま取り外してしまうと、大量の水が流れ出てきて床が水浸しになる。


 言葉だけ聞けば千尋にもわかる簡単な理屈だが、いざ実践してみると意外と失念するものらしい。外部フィルターの扱いに注意が必要とされる原因だ。


「――まぁ、コトも今じゃミスんないだろーし、コトと小清水ちゃんに任せようぜ」


「お二人に?」


「どのみちいつかは濾材洗わなきゃいけなくなるんだから、フィルター止めるタイミングは来るよ。そんときのために小清水ちゃんにも慣れといてもらったほうがいいっしょ」


 実際、千尋としても莉緒の主張には同感なのである。美しい水景を引き立たせようと考えるならば、ガラスパイプや無色のホースはあったほうが絶対にいい。


 購入して取り付けるだけで見た目がすっきりするならば、やっておくに越したことはないのだ。


「莉緒ちーはよさげなガラスパイプ見繕っといてよ。そろそろ部費もキツくなってきてるだろうから、先生が渋い顔しない程度のやつを」


「わかりました。最近はADO以外からもセンスのよいガラスパイプが出てきていますから、おそらく安くても見劣りしない品が手に入るかと思いますわ」


「頼むわ。んで届いたらコトと小清水ちゃんに作業してもらおう」


「……いいんでしょうか、わたくしが入らなくて」


「こっちはこっちでやることあんだから、いーのいーの」


 水草を育てるならばCO2添加キットの設置も必須だし、生体選びだってこれからだ。仕事はまだまだたくさん残っている。


「小清水ちゃんはああ見えてキッチリ指示どおりにこなすし、コトは失敗込みで経験持ってっから監督役には適任さ。それに……」


「――それに?」


「たぶん、あの二人に任せとけばまた面白いもんが見られるから」


 一度止めた外部フィルターを最終的にどうするかイメージして、千尋はニヤリと邪悪な表情を浮かべる。


 もちろん、どうするもこうするもありはしない。ホースとパイプの交換が終わったら電源を入れ直して、元通りに稼働させることになるのだ。言うまでもない。


 だが、通電させた際に必要となる「ある工程」――。


 その作業に直面した琴音の反応を想像すると、千尋は今から笑いが止まらないのだった。

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