第95話 宿敵と同じ名前のペットはちょっとね
一年B組、蟹沢理沙。同じく海老名詩乃。
莉緒にとってのクラスメイトである二人がどうしてディープジャングルを訪れたのかといえば、もちろん彼女たち――より正確を期するならば詩乃のほうらしい――が「生体を引き取りに来る予定の客」だからとのことだった。
もっとも、千尋は詩乃とはほとんど初対面と言ってよい。
ヒートアップする理沙を一旦は制して自己紹介のタイミングを作ってくれた詩乃であったが、互いに挨拶を終えたが早いか、すかさず理沙が話を蒸し返してきた。
「ちっひ、週明けの昼休みは必ず体育館に来いよ。タピオカガエルのせいでウチめっちゃ恥かいたんだからな、ドリブル練習の実験台にでもしてやらなきゃ気が済まん」
「お、おう……まぁ埋め合わせはするわ……」
謝る
試合の合間に交わした世間話だった気がする。タピオカミルクティーに使われているタピオカは「タピオカガエル」なる生き物の卵らしいぜ、といった意味合いのことを吹き込んでやった覚えは確かにあるから、誰が悪いかと言えば自分が悪い。
とはいえ、まさか本気で信じているとは思わなかったのが正直なところだ。こういうのを所謂リテラシーの欠如と呼ぶのではないかと千尋は思う。
「――まあまあ蟹沢さん、そのへんで。騒いではお店の迷惑になってしまいますよ」
助け船を出してくれたのは莉緒だった。猛犬のように唸る理沙を宥めつつ、隣の詩乃へと視線を向けて、
「生体を引き取りに来たということは、海老沢さんたちもアクアリストだったんですか?」
「実はそうだったのよ……なんてわけじゃなくて、私がこれから新しく始めるところね。理沙はついてきただけ」
「お仲間が増えるのは喜ばしいですわ! 何を飼われるのでしょう?」
莉緒の問いに反応したのは革津だった。垂らした前髪の隙間から目を光らせて、彼女は「ふっふっふ」と奇妙に低い声で笑う。
「コンディション管理はばっちりですよぉ。ドワーフクラブ五匹、お好きな個体を選んでいってくださぁい」
――クラブってことは、蟹か。
千尋はそのようにあたりをつけて、生体の姿を脳内に思い描きながら革津たちの後を追った。
店の隅っこに並ぶ生体水槽の棚の前で立ち止まる。三段重ねの真ん中の段、立ったままでも覗き込める高さに置かれた小型水槽に、ビビッドな彩りの蟹たちがひしめいていた。
「おー、こりゃまたかわいい系だねー。一番でかいのでも甲長二センチあるかないかってとこか? サワガニと比べてもちっこいな」
「だからドワーフなのですぅ。グラミーやスネークヘッドなどでも最大体長の小さな品種がドワーフと呼ばれていますよねぇ? その淡水ガニバージョンと考えてくだされば概ね合っているかとぉ」
「ほーん……淡水棲なのねこいつら」
「はるばるインドネシアからやってきた淡水ガニですよぉ。……まぁどちらかといえば陸水棲って言い表したほうが正確だったりしますけど、少なくとも海水棲じゃないことだけは確かですぅ」
たしかに革津の説明どおり、ドワーフクラブたちは水槽内に作られた陸地により多く集まっている。水辺自体は当然に必要とするが、そのうえで陸棲傾向が強い種類なのだろう。
つまり、飼おうとしたら必然的にアクアテラリウムを組まねばならないことになる。カニの飼育においては珍しくもないが。
「色のバリエーションはいくつかあるのですがぁ、当店で扱っているのは代表的な二種類ですねぇ」
「あ……たしかに、赤いカニと紫のカニがいますわ」
呟いた莉緒の、ちょうど腰のあたり。水槽の下、金属製の棚に貼られている商品ラベルに、二種類の名前が記されていた。
赤と黒のコントラストが鮮やかなカニ――レッドデビルクラブ。
紫と黒のツートンカラーをもつカニ――バンパイアクラブ。
双方負けず劣らずの禍々しい名前に千尋は心をくすぐられ、直後に莉緒と初めてまともに言葉を交わした日のことを思い出して苦笑を漏らした。
もしもここに由那がいたら、ブラックゴーストを知ったときと同様に怖がるだろうか。それとも眼前の小さなカニ相手にはさすがにビビらないだろうか。
「革津さん、確認なのですが」
詩乃の落ち着いた声、
「飼い方はどちらも変わらないんですよね?」
「えぇ、同じですぅ。飼育容器の中に陸地と水辺を作ってあげてぇ、ヒーターを使って温度管理をしてあげてくださいぃ」
「適温は二十五度、で間違いありませんか?」
「だいたいそんなところでしょうねぇ。厳密に二十五度でなくても、そのプラスマイナス三度くらいの温度に収めれば問題ないかと思いますよぉ」
甲羅から黄色い目玉を突き出して、赤い悪魔と吸血鬼たちがこちらを見上げている。
「――それでお客様、どちらを何匹お選びになりますぅ?」
「五匹ともバンパイアでお願いします」
詩乃は食い気味に言い切った。
その即答ぶりときたら、普段クラスで彼女を見ているはずの莉緒が思わずぽかんと口を開けたほどだった。革津の表情はわからないが、わかりましたと返すまでにわずかな間が生じたあたり、やはり一度でも詩乃と会ったことのある者ならば誰でも驚く勢いだったようだ。
すんませんねお姉さん、と革津に苦笑いを向けたのは理沙で、
「ウチはレッドデビルもいいじゃんって思うんすけどね。こいつは宗教上の理由でだめなんすよ、名前がよくない」
「名前、ですかぁ。赤より紫のほうがお好きなわけではなくて?」
「いや、むしろ色としちゃ赤のが好きっすよこいつ。応援してるサッカーチームのクラブカラーも赤だし」
革津が首をかしげる。莉緒もますますわからないといったふうに眉根を寄せている。
だが、千尋には見抜けた。
詩乃が「レッドデビル」を選べない理由。理沙が口にした「サッカーチーム」のひと言で、千尋は完璧に答えを探り当ててしまった。
「――海老沢さん、赤は赤でもリバプールのファンでしょ」
理沙と詩乃は、揃って重々しく頷いた。
「さすがちっひ、正解だ」
「
三人で理解を深め合う傍ら、どうやらスポーツに疎いらしい莉緒と革津は、未だにピンと来ていない面持ちをしている。
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