第32話 ヒレがすごいね、恐竜みたい
「――小清水さん、見っけ」
琴音の感覚に照らせば、「AQUA RHYTHM」はアクアショップとしては広い部類の店である。それでもスペースの半分を器具の売り場に充てているとなれば生体売り場の面積は知れているのであって、つまるところ小清水を捜すのはそう難しい話ではなかった。
通路を曲がった奥。ちょうど角の位置にある45cm水槽を、小清水は興味深げに眺めていた。
「何見てるの?」
最もよく利用するショップとはいえ、どの水槽に何がいたかを琴音はあまり記憶していない。生体売り場に用があるのは生き餌を買うときと、あとはせいぜい何かのついでに特売コーナーを冷やかそうと思ったとき――最初に小清水と出会ったときはこっちのつもりだった――くらいだからだ。
生き餌でもなければ特売品でもない、まったく普通のペットフィッシュが収められている水槽。その中を泳ぐ一匹を指さしながら、小清水がこちらを振り返る。
「この子、さっきのウーパールーパーに似てるなぁと思って」
「この子……?」
琴音は小清水の指先を視線で追う。
ガーネットサンドを敷いた水槽の底で、細長い体の生き物がじっとこちらを見返していた。
「ポリプテルス・セネガルスか。アルビノだから体も白いし、たしかに雰囲気似てるかもね」
ポリプテルス。
アフリカの淡水域に分布する肉食魚だ。
ニョロニョロした円筒形のフォルムに、アルビノ個体ゆえの真っ白な体色と真っ赤な目が合わされば、なるほどウーパールーパーに似ているという感想もまんざら理解できないではない。
「でも、こっちは魚なんだよね? 手足ないもんね」
オタマジャクシだって手足はないだろうと思ったが、魚であるという結論だけは正しいので言わずにおく。
「うん、魚。古代魚だよ」
「あ、それ前に言ってたやつだよね。ずっと昔から姿形が変わってない魚……だっけ、ホームセンターで見たナイフみたいな」
「そ。古代魚の中でもポリプテルスはファンが多いな」
「メジャーなお魚さんなんだ?」
「まあ……古代魚としてはアロワナの次に有名かな。そこまでバカでかい水槽を用意しなくても飼える種類もいるから、飼ってる人の数でいえばポリプテルスのほうが多いかも」
実際、目の前の「セネガルス」はポリプテルスどころか、古代魚の入門種とさえ言われることがある。ブリード個体が流通しているせいか価格が安いし、そのわりには基本的に丈夫で、水温や水質を急に変化させたりしなければ長生きしてくれることが多いからだ。
「ヒレがすごいね、恐竜みたい」
水槽の中には三匹のポリプテルス・セネガルスがいる。小清水の目に留まったアルビノ個体と、気ままに泳ぎ回っている灰褐色の通常個体。
小清水が「恐竜みたい」と評したのは、彼らの背中だ。
剣のような形のヒレがびっしりと生え揃っている。その姿はたしかに、ジュラ紀から白亜紀にかけて繁栄を謳歌したという恐竜、ステゴサウルスを連想させる。
「ポリプテルス最大の特徴だな。千尋はこういうの好きそうだ」
琴音はそのように応じてから、
「……ていうか、実は私もお迎えするかどうか考えたことある。ポリプテルスはスネヘとでも混泳の成功率そこそこあるって聞くし」
「どうしてやめたの?」
「今うまくいってる水槽のバランス崩すの嫌だったから。――小清水さんはそのへん気にする必要ないんだし、これにしたいって言うなら止める理由はないよ」
「……ジャンプしない?」
「息継ぎに顔を出すことはあるから、そのときに飛び出すリスクはある。ただ、スネヘみたいにアグレッシブに跳んでくる心配はないはずだよ。底でじっとしてることが多い魚だから」
それに、サイズ的にもセネガルスなら60cmでも何とかなるしね――と琴音は言葉を結んだ。
「セネガルス、なら?」
「セネガルスがほぼ唯一の選択肢とも言える。モケーレムベンベは遊泳性高いって話だし、デルヘッジだと60cmはそもそも狭いし」
「そっかあ。そういえば古代魚は大きい子が多いって言ってたもんね」
ホームセンターでの会話を反芻したのだろう、小清水は納得したようにうんうんと頷く。
あまり未練がなさそうなのは知識が薄いせいなのだろうが、そのことを琴音は少し羨ましくも思う。
魚について知れば知るほど、手持ちの水槽のサイズに満足できなくなってくる――それはアクアリストの宿業であり、一度踏み入れば引き返せない沼だった。自分はブルームーンギャラクシースネークヘッドに惚れ込んでいるからまだいいが、迫力ある魚を好む千尋などは一人暮らしを始めたらヒドいことになるかもしれない。
「――ちなみに、大きい子はどんな感じなの?」
「ああ、それなら……」
小清水の問いを受けて、琴音は後ろを親指で示した。
小清水が、一八〇度体の向きを変える。
向き直ったところには120cm水槽が鎮座していた。「AQUA RHYTHM」では水槽の入れ換えも珍しいことではないが、大型水槽の数が限られているためだろう、この水槽だけはいつ来ても中身が変わらない。
「…………!?」
小清水の表情が引きつった。顔から血の気がひいたように見えたのは、決してまわりの水槽のライトが青いせいではないだろう。
褐色に濁った水の底、こちらの腰くらいの高さに、五〇センチはあろうかというポリプテルス・エンドリケリーの群れがひしめいていた。
――やっぱ怖いか、慣れてないと。
琴音は小清水の肩に手を伸ばし、安心させるように軽くぽんぽんと叩いてやる。
しばらくの間は、小清水が宿業を背負うことはなさそうだった。
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