ⅶ.アクアリストたちの夏

第69話 バイト探すかぁ

 夏休みに突入するにあたって生物部が推し進めたことといえば、何はなくとも水温管理と給餌の自動化であった。


 現状立ち上げ済みの水槽二本はどちらも上部フィルターを採用している。ここからわざわざクーラーとポンプを別途用意するのは無駄が大きいというわけで、それぞれ冷却フィンを取り付けて対応することに相成った。


〔ことね:ちょっと残念。クーラー使ってみたかった ――十五分前〕


〔Rio Suionji:コンテスト用の水槽では外部フィルターを使うことになりますし、そこまでの辛抱ですよ ――十二分前〕

〔Rio Suionji:もっとも、どういう水槽にするかはわたくしが決めないとならない部分ですね ――十一分前〕

〔Rio Suionji:お待たせしてしまってすみません ――十分前〕


〔ことね:いやいや、急かしてるわけじゃないからゆっくり考えてよ ――九分前〕

〔ことね:レイアウトは私もそこまで自信あるわけじゃないから、翠園寺すいおんじさんが頼りなんだしさ ――七分前〕

〔ことね:もちろん何か聞いてくれたら意見は出すけど ――六分前〕


 そこで、やりとりに少しの間が生じた。


〔Rio Suionji:それは、水槽のことでなくても構わないでしょうか? ――一分前〕


 メッセージを見た瞬間、巳堂みどう琴音ことねはぴくりと眉を動かした。


 知り合ってから三ヶ月も経っていないとはいえ、翠園寺莉緒りおとはもう友達だと言っていい。これから協力してコンテストに臨む部活仲間でもある以上、何を遠慮することがあるだろうかというのが最初の感想だ。


 だが一方で、わざわざ断りを挟んでくるというあたりに不穏なものを感じないでもない。もしかすると莉緒が持ちかけようとしているのは、友達相手でも口にするのが憚られるような話なのだろうか。


 ――いや、ないな。


 琴音は二つの可能性を秤にかけて、後者は切り捨てていいと判断する。あの品行方正な委員長に限って、無茶振りをしてくることはあるまい。


〔ことね:OKに決まってるじゃん。アクアリストだからって水くさいのはナシにしてよ ――現在〕


 我ながらちょっとうまいこと言ったなと琴音が唇の端を持ち上げた直後、LANEレーンの通知音が「ピロリン」と鳴った。


〔Rio Suionji:では遠慮なく ――現在〕

〔Rio Suionji:夏休みを使ってアルバイトをしようかと検討しているのですが、巳堂さんはどうですか? ――現在〕


「む……バイトか」


 たしか、初めて顔を合わせた日にも俎上にのぼった話題ではなかったか。


 莉緒の生まれた翠園寺家は、おそらく亜久亜あくあ市でもトップを争うであろう名家だ。ところが「それはそれ、これはこれ」というやつで、一人娘の莉緒本人が月々与えられるお小遣いの額は、琴音たち庶民と大して変わらないらしいのだ。


 琴音自身もバイトを入れたいと考えていたこともあって、有益な情報を得たら共有しようという約束はしていた。


 していた、のだが――


〔ことね:ごめん。今はおすすめってほどの情報ないや ――現在〕

〔ことね:たたらの商店街に新しく喫茶店ができてて、募集の張り紙はしてあったけど ――現在〕

〔ことね:べつにそこまで条件いいわけじゃなかったしなあ ――現在〕


 ちなみに鈩というのは亜久亜市内の町名のひとつで、具体的には辰守たつもり屋敷ヶ丘やしきがおかのちょうど中間に位置している。さほど栄えている地区でもないのだが、駅前には小規模ながらも商店街が形成されているため、琴音は近さに任せてたまにふらりと足を運ぶことがあるのだった。


 と、スマートフォンが通知音を鳴らして、


〔Rio Suionji:待遇の面はそこまで求めていないんですよね ――現在〕


 おや。


〔Rio Suionji:わたくしも家の水槽にクーラーを取り付けようと思っているんです ――現在〕

〔Rio Suionji:六〇リットル冷やせる程度の機器で充分だと思うので、そこまで高価な品を買う必要はなくて ――現在〕

〔Rio Suionji:なので、いいことを聞きました。近日中に鈩まで行ってみようかと思います ――現在〕


 メッセージには感謝の意を示すスタンプがついてきた。この様子だと、莉緒は本気で喫茶店でのアルバイトを考え始めたとみえる。


 ――ま、たしかに60cm水槽用ならそんなに高くはつかないか。


 60cmレギュラー水槽の最大水量は六五リットルだが、満杯まで水を入れるわけではないため実際の水量はもうちょっと少ない。ソイルや流木を用いたレイアウト水槽ならば尚更で、六〇リットル捌ければ事足りるという莉緒の見立ては正鵠を射ていると言えるだろう。


「ペルチェ式なら一万七千……一万八千円くらいか? このへんは60cmの強みだよな。盲点だったなあ」


 琴音は机の脇の90cmレギュラー水槽に目をやりながら苦笑する。


 厳密に計算したことはないが、実水量およそ一五〇リットルといったところか。すでに外部フィルターを所持しているから新しく導入するのはクーラー本体だけでいいが、それでも莉緒の倍ほどの出費は避けられまい。


「90cmともなるとチラー式一択になるのがな……」


 水槽用のクーラーの仕組みは大別して二通り存在する。


 比較的安価で済むのは「ペルチェ式」と呼ばれるタイプだ。電極で繋いだ二種類の金属に電流を流すと、一方が発熱してもう一方が冷える。この現象を利用して飼育水を冷却する仕組みである。欠点は冷却性能がそこまで高いわけではないことで、ペルチェ式を使えるのはせいぜい60cm水槽までだというのがアクアリウム界における通説だった。


 したがって、必然的に琴音の選択肢は「チラー式」に限られる。


 チラー式はフロンガスを冷媒として循環させるタイプのクーラーで、早い話が冷蔵庫と同じシステムだ。安心と信頼の高性能機材。デメリットは値段がお高いこと。


 琴音は椅子に座ったまま、窓へと視線を滑らせた。燦々たる陽光が差し込んできている。カーテン越しにも快晴だとわかる。


 ――記録的な猛暑が続く見込み……か。


 今朝のニュースでキャスターが語っていた内容を思い出した。なるほど、あれはたぶん相当に確度の高い予言なのだろう。


 ただでさえ自分の飼育魚は低温を好むブルームーンギャラクシースネークヘッドなのである。夏を乗り切るためにも、クーラーを手に入れなければならない。


「私にもできるバイト探すかぁ」


 そのとき、スマホがまた「ピロリン」と鳴いた。


〔Rio Suionji:代わりに……というわけでもないのですが ――現在〕

〔Rio Suionji:こちらからも一つ、紹介できるお仕事があります ――現在〕

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