第122話 誕生日おめでとうのプレゼントだよ

 ハンドメイド雑貨のブースまで案内してくれた真凜は、由那にとっては意外なことに、助言を一つだけ残して実に清々しく退散していった。


 ――自分が入場するときに通ったゲートは覚えていますか?


 ――覚えているのであれば、その近くで待ち合わせるのが一番わかりやすいでしょう。


 えらく実用性のあるアドバイスだった。いかにもきっちりとした真凜らしいな、と由那は素直に感服する。


「湊さんは見ていかないんですか?」


 由那がそう問うと、真凜は柔らかく微笑んで、


「ええ。私はもう、今年のアクアマーケットで見るべきものは見終えましたので。――それでは小清水さん、よい一日を」


 考えてもみれば、常連サークルといえどブースの配置は毎年異なるはずである。にもかかわらず今回の場所まですんなり辿り着けたということは、たしかに真凜は会場をひととおり回り終えてしまっていたのだろう。


「さて、っと」


 ゲートの方角へ去ってゆく背中を見送った由那は、くるりと店のテーブルへ向き直る。


 ずらりと陳列された商品の数々を見渡した瞬間、思わずほうっと吐息が漏れた。


「おぉ……ブローチにキーホルダーに、こっちはピアス? すごいや、これ全部手作りなんだ……」


 テーブルの上に並んでいたのは、色とりどりのアクセサリーだ。


 赤白黒に塗り分けられた金魚モチーフのキーホルダー。


 エンゼルフィッシュの形をしたピアス。


 アロワナやナマズといった大型魚を象ったブローチ。


 どれもこれもぴかぴかと照る透明素材を加工したうえで、繊細に彩色して作られている。ガラス細工なのかと思って手に取ってみると想像したよりも軽い感触が返ってきて、プラスチック製なのだと知れた。


 ――これなら落としたりしても簡単には割れないだろうし、いいかも!


 由那はすっかりこのサークルの仕事が気に入って、琴音へのプレゼントをここで選ぶことに決めてしまった。


「コトちゃんピアスはつけないよね。キーホルダーとブローチならどっちのほうが喜んでもらえるかなぁ」


 想像を働かせてみる。


 以前琴音の部屋でスネークヘッドを紹介してもらったとき、家の鍵を開けたのは琴音だった。つまるところ巳堂家では親が共働きで平日不在、最も早く帰宅する娘の琴音が鍵を持たされているわけだ。


 だから、キーホルダーの出番はある。


 けれど、鍵はあくまでも家のものであって、琴音の私物ではないだろう。


 と、いうことは――


「ブローチかな。コトちゃんに渡すなら」


 結論が出た。由那は視線をスライドさせて、魚型のブローチが展示されている一角へと注目を移す。


 鱗の一枚一枚までリアルに描き込まれ、体色も鮮やかに表現されたアロワナやポリプテルス。クオリティだけを見るならおよそ個人の手作りとは思えないほどで、それぞれの在庫が少ないことだけが辛うじてハンドメイドである事実を主張している。


 そう――在庫は少ない。


 真凜はこのサークルについて「毎年出店している」と言っていた。ならば相応の知名度があるのだろうし、現にこうして眺めている間にも客がひっきりなしに訪れている。


 あまりゆっくりしていると、琴音に相応しい一品が見つかるより先にブローチが完売してしまいかねない。由那はテーブルの上をチェックする双眸の動きを早めた。


「――あ」


 その目が、ある一点で静止する。


「スネークヘッドだ」


 より正確を期するならば、もちろんスネークヘッドを模したブローチである。


 琴音が飼っているギンガのようなビビッドな色合いでこそないものの、褐色のボディに散りばめられた銀色のラメと、艶やかに光る烏色からすいろのヒレが渋い美しさを醸し出していた。


 琴音に手引きされてスネークヘッドのカタログを読んだことのある由那には、このブローチが何というスネークヘッドを表したものなのか理解できる。


 記憶が正しければ、たしか――コウタイという種類だ。


「店員さん、これください!」


 琴音に魚のアクセを贈るならスネークヘッド型しかない。そして、ブルームーンギャラクシーでないのは少し残念な気もしたが、見る限りスネークヘッド型の作品はこのコウタイのブローチだけだ。


 迷う余地などあるはずもなかった。




 真凜の助け船に従ってゲート前を待ち合わせ場所に指定したところ、琴音はびっくりするほどすぐに飛んできた。


「由那!」


「あっ、コトちゃん! よかったぁ」


「よかったはこっちのセリフだよ……LANEに返事くるの遅かったから心配になってきてたとこだったぞ」


 そう言われると罪悪感が頭をもたげてくる。琴音の瞳にはいかにも気遣わしげな色が宿っていて、彼女が本気でこちらを案じてくれていたことが明らかだった。


「大丈夫だったのか? 変なヤツに声かけられたりとか、なかったか?」


「大丈夫だったよ。声はかけられたけど知ってる人だったから……あのね、湊さんに会ったの」


「まじか」


「うん。いいお店を教えてもらったり、ここで待ち合わせたらいいんじゃないかってアドバイスしてくれたり……いろいろお世話になっちゃった」


「へえ。あとでお礼のメッセージ送っておくかな」


 こういう機会でもなきゃ挨拶するきっかけなかなかないし、と琴音はかすかに口角を上げる。


 その言葉は取りも直さず、二人の関係が仕事上の付き合いの域を出ていなかったということだ。やっぱり変に焦る必要なかったんだなあ――などと由那は改めて胸を撫で下ろすものの、ではあのときの自分がどういう意味合いで心配していたのか、納得のいく説明を探し当てることがどうしてもできない。


 いずれにせよ、今はそんなことを考えている場合ではなかった。


「――コトちゃん、あのね、」


 由那は鞄を開けると、さっき買ったばかりのコウタイのブローチを取り出して、琴音に向かって差し出した。


「これ、って……?」


「誕生日おめでとうのプレゼントだよ。コトちゃんに贈るならアクアリウム関係のものがいいと思って、今日ここで選ぼうって決めてたの」


 琴音は息を呑んで沈黙していた。その感極まったかのような反応に、由那はひそかな満足感を覚える。


 そもそも考えてもみれば、自分が琴音の誕生日を知った経緯はまったくの偶然だったのだ。急な話でもあった。琴音からしてみれば、誕プレをもらえるなんて思ってもみなかったに違いない。


 サプライズ成功――由那はふにゃりと相好を崩しながら琴音の右手をそっと取り、ブローチを掌の上に載せてやる。


「ほんとはギンガちゃんに似たやつがあればよかったんだけど、スネークヘッドのアクセはそれしかなくって……でも、気に入ってくれたら嬉しいな」


 ひと息、ふた息。それだけの間を置いても、琴音の口から意味のある応答が返ってくることはなかった。


「……コトちゃん?」


 満足が不審に置き換わった。由那は琴音の手から視線を剥がして、おそるおそる顔を上げる。


「え」


 今度は由那が言葉をなくす番だった。



 琴音の頬を、一筋の涙が伝っていた。



 何と声をかけたらいいのかわからず立ち尽くす由那の視界の中で、琴音の薄いくちびるが音もなく、しかし確かに「ホクト」と動いた。

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