第67話 スプラッターだったよぅ

 ガサガサで捕獲してきた生体は、トリートメント水槽で様子を見てからメイン水槽に移すのがセオリーであると言われている。水槽に病気や寄生虫を持ち込まれてはかなわないというのがその理由で、生き餌として飼育魚の口に入るのが前提なのであれば尚更だ。


 そういうわけで、生き餌としてすぐにでも使えそうなザリガニの幼体は、いったん千尋に引き取ってもらうことにした。


「トリートメント水槽持ってるの、天河さんしかいないもんねぇ」


 上部フィルターから落ちる水音が絶えず響くアパートの自室で、小清水はうんと伸びをしながらひとりごちた。


 魚と甲殻類をそれぞれ理科準備室の水槽に入れてしまった一同は、その場で解散と相成った。遊ぼうと思えばまだ遊べる時間帯ではあったが、みんな疲れていたこともあり、まっすぐ家路につくことを選んだのだった。


「とりあえず今日のところは、いつもどおりこれだなぁ」


 解凍したアカムシをピンセットでつまみ、水槽へと落としてやる。


 糸くずのような赤い束が水中を漂いながらほどけて散ると、底材から頭だけを突き出していたうめぼしが目ざとく気づいた。勢いよく砂を跳ね飛ばしながら現れ、たゆたうアカムシたちをついばんでゆく。


 ――来週には活きのいい餌を食べさせてあげるからね。


 次々とアカムシを口に収めていく赤褐色のフグを見守りながら、小清水は愛魚のザリガニへの反応を想像する。


 ゆっくりと近づくうめぼしに対して、まだ色づいてもいない小さなザリガニが果敢に前肢を振り上げる。成長途上ながらも立派に鋏としての機能を備えた二本の肢を、こっちもこっちでまだ若いうめぼしは、


「……どうするんだろう?」


 そこで小清水のイメージは止まってしまった。


 餌用ザリガニは幼体だが、うめぼしだって五センチ程度の若魚だ。体格では一応優るとしても、鋏という明らかな武器をもった相手をどうこうできるものだろうか。


 不安に駆られた。ザリガニの鋏は人が挟まれてもけっこう痛いと聞く。もし反撃でも受けようものなら、うめぼしが怪我をしてしまうかもしれない。


 ――何か、インターネットに情報がないかな……?


 琴音や千尋に訊くことも考えないではなかったが、そもそも今日のガサガサだって自分のためにしてくれたことである。頼るところと自分で頑張るところの線引きはしておくべきだったし、調べ物はひとまず後者だと小清水は思う。


 スマートフォンを取り出してブラウザを立ち上げる。検索キーワードは、ちょっと考えた末に「フグ」「ザリガニ」とした。


 動画へのリンクが表示された。


 サムネイルには黄色っぽい縞模様のフグが映っている。うめぼしとは別種なのだろうが、水草らしいものも見えることから少なくとも淡水フグではあるのだろうと判断できる。


「えっと……『ファハカ対アメザリ』? わ、ちょうどいいかも!」


 まさに知りたかったことがそのまま映っていそうなタイトルに、小清水の心が躍った。ブログやネットメディアの記事でも引っかかればと期待しての検索だったが、こうもドンピシャリの動画がヒットするとはつくづくいい時代だ。


 小清水は、リンクをタップした。


 一分後、アパートの一階に悲鳴が響き渡った。



     ◇ ◇ ◇



「スプラッターだったよぅ……」


 月曜日の昼休み。第二理科室にいつもの四人で集まって、黒板近くの机でお弁当を広げた。そのとき小清水が声を震わせて行った報告は、千尋と琴音に苦笑いをもたらした。


「あー、あの動画か。あたしはむしろテンション上がるけど、慣れてないと引くかもしれんねぇ」


「たしかにちょっとした衝撃映像ではあるかもな……」


 どうやら彼女たちも見たことのある動画だったらしい。もっとも反応から察するに、二人はこれといってショックを受けたりはしなかったようだ。さすがに肉食魚の飼育経験をもつアクアリストは違う、ということなのだろうか。


「な、なるほど……これはまた、強烈ですね」


 よほど気になったのだろう、莉緒はまさに今、例の動画を再生している。彼女のスマートフォンから漏れ聞こえてくる音が、小清水の脳裏に映像をフラッシュバックさせた。


 いみじくも莉緒が呟いたとおり、対決の様子は凄惨をきわめた。


 いや――対決、などという生温いものではない。


 勝負になっていたのはせいぜい最初の五秒くらいで、フグがザリガニの鋏を食いちぎってからは一方的なショーだった。いかにも堅牢そうな成体ザリガニの甲殻も、フグの強靱な顎と歯の前ではちっとも役に立たなかったのだ。


「ナイル川でアメリカザリガニが繁殖している、というニュースを以前見かけた覚えがあります。もしかしたら現地ではこういった光景が日常的に見られるのかもしれませんね……」


「捕食ってああいうことなんだね。うめぼしのためにも耐性つけないと」


 生き餌を使うことに対する覚悟は済ませていたつもりだった。しかし実際に繰り広げられた捕食の光景を目の当たりにすると、気構えもまた変わってくる。


 うめぼしはいい。自分の手元に来ることで、より上位の捕食者から逃れられたと言えるだろう。


 だが、やはり自分の手元に来ることになるザリガニたちはそうではないのだ。


 生き物を飼育するということは、どうしようもなく、大事にする命と犠牲になってもらう命を選別することにほかならないのだと小清水は思う。


「ま……『だから生き餌を使わない』とかじゃなくて、耐性をつけるってほうに考えが向くのは、肉食魚の飼い主としては健全なことだよ」


 琴音がそんなふうに言って、ミートボールを口に運んだ。


 もぐもぐと咀嚼してごっくんと飲み込み、


「ミウルスはファハカほど大きくならない種類だから、動画みたいに成体ザリガニをバラバラにできるかは怪しいかもしれない。でも、幼体相手なら間違いなくああいうことになる。そこは心しておいたほうがいいね」


 と、そのときだった。


 理科準備室に続く扉が開いて、白衣姿の佐瀬先生が姿を見せた。


「あんたたち、ちょっとこっち来て」


「どしたんすか、先生?」


 あまりの唐突ぶりに千尋が訝しげな声をあげる。白衣を羽織っているあたり次の授業の準備でもしていたのだろうが、それだけにしては先生の声音が昂揚混じりなのが気にかかる。


 佐瀬先生は、よくぞ聞いてくれたとばかりに口元を歪めた。


「天河さんには今更かもしれないけど。――委員長に小清水さんに巳堂さん、いいもんが見られるわよ」

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