元カノはやきもきする。「はあああああ~~~~~っ!?」


 今にして思ってみれば若気の至りとしか言いようがないけれど、私には中学2年から中学3年にかけて、いわゆる彼氏というものが存在したことがある。

 したことがあるということは、つまり別れたということであって、古今東西、カップルが破局に至る理由など大体が似たようなものだ。

 ……浮気である。

 結論から言うと、当時の私の彼氏にして現在の義弟である伊理戸水斗は、浮気なんて高度なことをする甲斐性は持ち合わせていなかったのだけど、少なくともそう誤解されてもおかしくない場面が存在したのだということは、繰り返し主張しておきたい――あの男はきっと否定するに違いないが、あのときの私の怒りは至極正当なものだったのだ。


 中学3年の、夏休みを前にしてのことだった。

 彼氏との付き合いを重ねていくことでコミュニケーション能力が鍛えられた私は、3年に進級してからというもの、それまでが嘘のようにたくさん友達ができるようになった――それがあまりに楽しくて嬉しくて舞い上がっていたら、なぜか彼氏が顔を会わせるごとに不機嫌になっていって、経験値の足りない私はただただ混乱していた。

 さっぱりどうすればいいかわからなくて、私はネットを頼り、とにかくきちんと会う回数を増やすべきだと考えた――だから健気にも、夏休みに入ったら彼との時間をたくさん取ろうと、いろいろと予定を考えていたのだ。

 しかし、私が立てていた計画は、そのときの事件によって、ものの見事に雲散霧消する運びとなった。


 私とあの男との逢引きは、夏休みの終わりに付き合い始めた頃から一貫して、人目を忍ぶ形で行われていた――まあ、仮に見つかったところで、私たちを知るクラスメイトやら何やらは、まさか私たちが彼氏彼女の関係にあるとは思わなかっただろう。目立たない者同士が肩を寄せ合うようにしてつるんでいるだけだと、そう思ったことだろう。そのくらい、私たちというキャラクターのイメージと恋愛という要素は、縁遠い位置にあったのだ。

 だからかもしれない。昼休み、いつも待ち合わせ場所にしている図書室の奥まった場所で、自分の彼氏が知らない女子と一緒にいたとき、私は必要以上に動揺してしまった。

 普通に出ていけばよかったはずなのに、なぜか反射的に、本棚の陰に隠れてしまったのだ――そして盗み聞きをした。嫌な予感に打たれながらも、そうせずにはいられなかった。


 ――伊理戸くんって、彼女とかいるの?

 ――え? いや……。


 後で思い返してみれば、聞こえたのはたったそれだけの会話だった――けれど、そのときの私には、実際の何倍もショッキングな会話に思えた。彼女の存在を――すなわち私という存在を、その口でまるっと否定されてしまったのだから。

 何より、それが図書室という場所で、二人が本を手にして話していた、というのが、もう致命的にダメだった。聖域に踏み入られた、とでも言おうか――それまでの半年間、私が大事に大事にしてきた領域に、土足で入られたように感じたのである。何より、それを許した伊理戸くんのことが、猛烈に許せなく思った。

 冷静沈着を旨とする今の私ならば、自分の彼氏が誰に対してもフレンドリーなタイプの女子に絡まれているだけなのだと、あるいは察せたのかもしれない――けれど、まあ、なんというか、自分で言うのも何だけれど、当時の私にはまだ、思い込みの激しい根暗女な部分が残っていたので、そんな思慮深さとは無縁だったのだ。


 浮気現場――とまでは言わずとも、自分という存在を後ろ暗いものであるかのように否定された現場に居合わせたショックは、並々ならぬものだった。

 私は結局、その日は彼氏と顔を合わせることなく、直帰して翌朝までベッドの上で過ごした。もちろん、スマホにどうして待ち合わせ場所に来なかったのかと詰問するメッセージが入ったのだけど、これには友達との約束を優先したと返した。


 そうしてもやもやとした状態で、ある日あの男に呼び出されて、突如として頭を下げられたわけだ。

 私が友達のほうばかり優先するから嫉妬してたんです、ごめんなさい――と。

 え? そんなこと?

 と思った私は、責められるべきだろうか――その評価は人によって異なるところだと思うけれど、少なくともそのときの私は、衝動的にこう思ったのだ。


 男の人ならともかく、ただの友達に嫉妬するってどういうこと?

 そんな程度のことであんな風に不愉快な接し方をされていたんだったら、他の女の子と仲良くしていたのを見なかったことにして、できる限り普通に接してあげていた私は、一体なんだったの?


 当時の私は、怒るという感情自体に慣れていなかったものだから、不意に湧き上がった憤りを隠し通すことができなかった。そうなんだ、私のほうもごめんね、とでも言って終わらせておけばよかったものを、嫌味のようなことを言ってしまい、私たちの関係は致命的に掛け違った。


 もしかしたら、もうお気付きかもしれない。

 私たちは別に、どちらかがどちらかに対して、関係の続行が不可能になるほどの悪辣な不義理を働いたわけでは、決してないのだ――あったのはすれ違いであり、掛け違いであり、勘違いでしかない。でも、基本的にコミュニケーション能力に問題のある私たちにとっては、たったそれだけのことが致命的だった。たったそれだけのことが致命傷だった。

 私たちは、誰かと喧嘩なんてしたことはなかったし、当然、仲直りなんてしたことはなかった。

 やり方がわからなかったのだ。

 それが、その後半年以上に渡る冷戦状態の直接的原因だった――切っ掛けがすれ違いや勘違いであったとしても、長く続けば本物になる。別に相手のことが嫌いになったはずじゃなかった私たちは、嫌いになったかのような素振りを続けているうちに、本当に嫌いになってしまったのだった。


 だから、はっきりと別れを告げられたあのとき、私が心から安堵したのは、『もう嫌わなくていいんだ』と思ったからだ。

 あんなに好きだった人を、もう嫌いにならなくていいんだ――と、そう思ったからだ。


 それって、まだ好きなんじゃないの?


 もしそう言う人がいたなら、私はノーと答えよう。

 きょうだいになってからというもの、嫌味を言い合いながらとはいえ、そこそこ普通に話せている事実から、その辺りは察してほしい。

 まだ好きだったら、私は今頃ストレスで死んでいる。


 だからきっと、また同じようなことがあっても、今度こそ冷静に受け止められるはずだ。

 そう、私はもうあの男のことは好きではないのだから――もしあの男のそばに彼女らしき存在が現れたとしても、ショックを受ける理由はない。

 笑顔で言祝いでやろう。『あなたみたいなのを好きになる女の子がいるなんて、神様って意外と優しいのね』と。

 あの男もきっと笑顔で『ありがとう』と返すだろう。

 ……それはそれでちょっと気持ち悪いな、と思った。




※※※




「そういやさ、伊理戸くん、彼女できたの?」


 と。

 唐突にそう言ってきたのは、クラスメイトの暁月あかつきさんだった。

 お昼休みの昼食中に、雑談の流れでぽろっと出た言葉だった――同時に私のお箸から唐揚げがぽろっと落ちて、暁月さんが「ああっとっ!」とギリギリで受け止めた。


「えー!? なになに!?」「弟くん、彼女いんの!?」「見えないなー!」


 恋愛ネタを主食とする他の子たちが、暁月さんの言葉に一斉に食いつく。

 暁月さんは私の唐揚げを勝手に頬張りつつ、「いやー、彼女かどうかわかんないんだけどー」と話を続けた。


「昨日、女の子と歩いてるの見てさー。ウチの制服着てたし、1年の誰かじゃないかなあー? って!」

「そ、それって――ェッウン!」


 喉が私の意思とはこれっぽっちも(これっぽっちも!)関係なく声を詰まらせくさりやがったので、強めに咳払いをして喝を入れた。

「どしたん結女ちゃーん?」ときゃらきゃら笑われたので、「ご飯が喉に詰まって」と誤魔化しつつ、質問を再開する。


「それって、どんな子だった?」

「どんなー? どんな子って……うーん、そうだなあー」


 暁月さんは腕を組んで思い出しモードに入る。


「背が低くてー」


 ほう。


「地味ぃーなおさげでー」


 ほほう。


「あと、眼鏡かけてたなー。文学少女って感じ?」


 ほっほーう?


「……あれ? どしたの、結女ちゃん?」

「別に?」


 ちょっと、まるで昔の私みたいな女だな、と思っただけだ。

 もしかしてあの男、飽きもせず大人しそうな根暗少女を毒牙にかけているのか。


「おさげで眼鏡って、今時そんな子いるぅー?」「あ、でも、弟くんとはお似合いな感じする!」「あー! わかるかも! 静かな感じの子が似合うタイプだよねー!」


 みんなはすでにあの男に彼女がいるという前提で話し始めている。事の真偽が実際のところどうなのかは重要視されない。それが雑談である。

 とはいえ、私だけはそういうわけにもいかない。

 何せ今の私は、あの男の義理の姉なのである。

 あの見た目だけは人畜無害そうな男が人様に迷惑をかけないよう、私がきっちり監督しなければならないのだ。





 というわけで放課後。いつものように最速で席を立った義弟を、私はこっそり追いかけた。

 今日も直帰かと思ったら、どうやら図書室に向かうようだ。この学校の図書室は結構大きくて品揃えがいい。私もちょくちょく利用していた。


 入口扉の窓から水斗が本棚の陰に消えていくのを確認してから、図書室の中に入る。

 水斗と本棚を一つ挟んだ位置に陣取って、何か本を探しているフリをした。折悪しく、辞書みたいに分厚い背表紙に英語のタイトルが金色で刺繍された謎の本がずらりと並んでいるゾーンだったけれど、まあ誰も気にはしないだろう――それにしても何の本なんだろう、これ。せっかくだから確かめてみようかと思ったが、分厚すぎて立ち読みには適さなすぎた。


 本棚の角からそっと向こう側に目を覗かせて、水斗の様子を窺う。

 窓際に腰掛けて、図書室所蔵のものであることを意味するシールが貼られた文庫本を開いていた。……そういえば中学のときも、この男はなぜか図書室の椅子に座るということをしなかった。とにかく隅っこのほうが落ち着くらしい。ただのカッコつけだと思っていたのだけど(全然カッコよくない)、高校生になってもやっている辺り、どうやら本気らしかった。

 変な奴。こんなのに惚れる女がいたら見てみたい。


 と、義弟の変人ぶりを再確認していると、一人、誰かが水斗のいる辺りに近付いてきた――女子だ。化粧っけのない真っ黒な髪を、二房のおさげにして両肩から前に垂らしている。そして、ひどく野暮ったい、デカくてフレームの太い眼鏡を掛けていた。

 古い鏡を見ているような気分になり、私はその場で悶絶したくなった。あああ……! 昔の私がいる! 昔の私がいるよおおお……!!

 あからさまにぼっち臭を撒き散らしているその女は、水斗のすぐそばで立ち止まる。私は顔を引っ込めて、本棚を挟んだ位置で聞き耳を立てた。


 なんなんだ、あの昔の私みたいな女は。

 あんな子、1年にいたかな――いや、いたとしても、存在感がなさすぎて気付かないかもしれない。


「あの……」

「ああ」


 ひどく短いやり取りだった。

『あの……』が女子の声で、『ああ』が水斗の声だ。

 会話とはとても呼べない、何の意思疎通にもなっていないようにも思えるやり取りだけれど、私は知っている。

 伊理戸水斗という男は、頭が回る上に私たちコミュ力弱者の思考回路について熟知しているので、この程度の言葉のやり取りでも充分に意思疎通を成立させてしまえるのだ!

 全盛期は、もはや声すら出すことなく、指でつんつんつついたり目線を動かしたりするだけで会話していた――エスパーか、今にして思うと。


 そういうわけで、聞き耳を立ててみたところでろくに会話を聞き取れなかった。

 おかげで冷静になってしまい、『何やってるんだろう私は』という気持ちが拭いがたくなってしまった……。どうして私、こんな浮気調査の探偵みたいなことやってるんだろう。

 ……やめよ。

 あの女子を見ていると昔のことが思い出されて死にたくなるし、これ以上ここにいると精神衛生によくない。


 私はその場をそっと離れる。

 とにかくわかったのは、あの男は、どうやら他の誰にも見向きされないような地味な女が好みらしいということだけだ――ああそう。そりゃあムカつくわよね。彼女がどんどん好みから離れていったんだから! ごめんなさいね!

 なんだか無性に腹が立ったので、スマホで友達を誘ってケーキバイキングに行くことにした。暁月さんは何か用事があるとかでフラれてしまったけど、おおむね『いくいくー!(絵文字orスタンプ)』という返事が返ってくる。


 フフフ……! どうだ! あなたの好みのタイプからかけ離れた行動を取ってやったわ! ざまあみろ!


 溜飲は下がったけれど、体重の増加という新たなる敵と戦うことになってしまうことに、後から気がついた。この問題は、地味女にも派手女にも平等に降りかかるのだ。





 そして帰宅し。

 玄関で女物のローファーを見つけた。


「……………………」


 二度見する。

 玄関に女物のローファーがあった。


 ……はあああああ~~~~~っ!?


 全力で叫びかけたけど、ぐっと我慢する。

 あの男――女を連れ込んでいやがる!

 靴のサイズはかなり小さかった。察するに、背丈もかなり小さいほうだろう――そう、ちょうど今日、図書室で見たあの女子のように。

 ……私を家に招いたのは、付き合い始めて何ヶ月も経ってからだったのに……!


 と――私はふと気が付いた。

 私を自宅に招いたとき、あの男の目的はなんだったか?

 そう、この前判明したばかりである――あのとき、あの男は、私と一線を越えるつもり満々だったくせに、いざというところでビビったのだ!

 ということは、つまり、今回も……?


 私は玄関から二階に上がる階段を見る。

 もしかして……あの上で……今まさに……。

 いや――いやいやいやいや。ないないない。あの臆病者がこんな短期間で手を出すなんて。まだ入学して1ヶ月も経ってないのに……。

 ……でも、もし、私のときの反省を踏まえて電光石火の行動を起こしていたら?

 私が部屋の前を通った瞬間、いかがわしい声がピタリと止んで、ばたばたと慌てるような物音がしたら……?

 うううう……! 嫌だ。なんかシンプルにイヤ!

 とりあえず、探りを入れてみようか……。


 私はまず、証拠としてローファーをスマホで撮影しておいた。写真は音が出てしまうので動画で。

 それからそうっと玄関を上がると、脱いだ靴を持って脱衣所のほうに身を隠した。

 然る後に、水斗のスマホに電話をかける。


『……もしもし?』

「もしもし」

『何の用だよ』

「今どこにいる?」

『は? 家だが』


 水斗の声の向こう側に意識を向けた。……特に何も聞こえない。


「お母さんにお遣い頼まれてたの思い出したの。私、いま手が離せないから、代わりに行ってくれない?」

『ええー……』


 極めて嫌そうな声だった。これは、か……彼女が家に来ているからなのか、単にお遣いを押しつけられるのが嫌なだけか。


『わかったよ、行けばいいんだろ、行けば……』

「お願い」

『お願い?』


 ふふっと、電話の向こうで鼻で笑う気配がした。


『君が僕にお願いとは、珍しいこともあるもんだな』

「……うるさいわね。いちいち突っかからないで」

『代わりにお遣いしてやるんだから、このくらいは許してほしいね』


 なんて根性のひん曲がった男なの。こんな奴の彼女になるような女は、きっと同じように根性がひん曲がっているに違いないわ。


『じゃあ、何を買ってくればいいんだよ?』

「そうね……」

『そうね?』


 しまった! いま考えている風のリアクションを取ってしまった。


「あっ、いや……そうめん! そうめんって言ったの!」

『そうめん……? まだ夏には早いけどな』

「春にそうめんを食べて何が悪いの。そうめん業者だって夏にだけ働いているわけじゃないのよ」


 たぶん。


『わかった。そうめんだな。他には?』


 適当に日用品の名前を並べて、私は電話を切った。

 脱衣所の中で息を潜めていると、ドアの向こうを人が通り過ぎていく気配がある。

 ガチャン、と玄関の扉が閉まる音がした。


 忘れ物か何かで帰ってこないのを確認してから、私は脱衣所を出る。

 今、水斗の部屋には連れ込まれた女が一人で取り残されているはず!

 取り押さえて話をつけよう。……別に『ウチの義弟にコナをかけるとはいい度胸ね』などと脅迫をするわけではなく、むしろ『軽々に男の家に上がり込んではダメよ』と注意してあげるのだ。押しに弱そうな子だったし。


 私は階段を上がって、水斗の部屋のドアに手を掛けた。

 ――ガチャリ。


「えっ?」

「ん?」


 私がノブを回す前に、内側からドアが開かれた。

 見慣れた顔とお見合いになる。

 水斗が、怪訝そうな顔で私の顔を見ていた。


「は? 君……なんでいるんだ?」

「えっ? ……えっ?」


 混乱して、私は階段のほうを何度も振り返る。

 え?

 今……出ていった、わよね?

 この男、確かにさっき、脱衣所の前を通って、玄関の外に……。


「僕にお遣い頼んどいて、なんで家にいるんだよ。手が離せないんじゃなかったのか?」

「え、いや……ちょっと、ちょっと待って。それどころじゃないの」


 今ここに水斗がいる。

 この男は外に出ていない。

 だとしたら――さっき玄関から出ていったのは?


「――あっ!!」


 私は大急ぎで階段を駆け下り、廊下を走って玄関まで戻った。

 ……ない。

 ローファーがない!

 さっきまでここにあった、女物のローファーが!


「どうしたんだよ、いきなり。急いで階段降りたらコケて死ぬぞ」

「逃がしたわねっ!?」


 歩いて追いついてきた水斗の胸倉を、私は引っ掴んだ。


「うわっ!? お、おい! いきなりなんだ!?」

「逃がしたでしょ! さっき! 連れ込んでた女を!」

「は、はあ……? 女……?」


 水斗はいかにも困惑した風に眉間にしわを寄せる。

 やられた。

 自分が出ていったように見せかけて、女のほうを逃がしたのだ!

 私がすでに家に戻っているのを、何らかの理由で見抜かれたか……!


「連れ込んでたって何の話だよ? 僕はずっと一人だったぞ?」

「今さら言い逃れする気? 私、ちゃんと見たのよ! ここにあった女物のローファーを! ほら、証拠!」


 私は一応撮っておいたローファーの動画を水斗に見せつける。

「見たはともかく、なんで撮ってるんだ、君……」と若干ひきつつ(ひくな!)、水斗は動画を見ながら眉間のしわを深くしていった。


「これ……撮ったのは今日だな?」

「そうよ。というか、私のとはサイズが違うもの。捏造なんてできないわ」

「それもそうだ」


 水斗はスマホから目を離すと、自分の靴を足に突っかけて、玄関扉のノブをガチャガチャと回した。


「鍵が開いてる……」

「だから、あなたが連れ込んだ女が逃げたからでしょう? 私はちゃんと閉めたもの」

「…………自分の部屋を確認しろ」


 水斗は真剣な顔で私の目を見据えた。


「確認するんだ」




※※※




 言われた通り、私は自分の部屋を確認してみたけれど、特に荒らされているということもなければ、何かなくなったものがあるというわけでもなかった――水斗があまりに真剣な顔で言うものだから、もしかして空き巣だったのかと不安になってしまった。取り越し苦労じゃない。

 そのことを報告すると、水斗は「そうか……」と思案深げな顔で呟いて、そのまま部屋に戻ろうとした。


「ちょっと! まだ説明してもらってないんだけど!」

「ん? 何が?」

「結局、あのローファーはあなたが連れ込んでた女のものってことでしょ? そのことについて!」

「ああ……」


 水斗はいかにも面倒くさそうに頭を掻く。


「……うん、そうだ」

「え?」

「ちょっと女子を連れ込んでた。君が見たのはその子のローファーだ。君が脱衣所に入った隙に帰らせた。以上」

「い、以上って……それだけ?」

「それ以上に何をどう説明しろと?」

「いや、だって……謝罪とか」

「なんで家に女の子連れ込んだのを、君に謝らなくちゃいけないんだよ、


 私は答えに詰まる。

 その通り。謝ってもらわなければならない義理などどこにもない。

 去年とは違って。


「この件は忘れてくれ。次からは気を付ける。それじゃ」

「あっちょっ……!」


 今度は呼び止めても立ち止まらず、水斗は自分の部屋に引っ込んでしまった。

 ……結局、なんだったのか。

 そもそも、水斗の言う通り、別に義弟が部屋に女の子を連れ込んでいたところで、私に怒る理由などない。ちょっと気まずいというだけのことだ。

 なのに、私は――


「……ああもうっ!」


 わけがわからなくてイライラするっ!

 いろんなことに混乱させられた私は、部屋に閉じこもって不貞寝した――こんなコンディションでは本を読んでも内容が頭に入らない。布団にくるまってしまうのが一番いいのだ。


 そして、数時間後。

 夕食を終えてしばらくした頃に、私はさらなる混乱の中に叩き込まれた。


「おい」


 と。

 水斗が唐突に言ってきたのだ。


「明日、デートするぞ」


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