もう少しだけこのままで① 安直だけど、一番の

◆ 伊理戸水斗 ◆


 今となってはいい思い出になりつつあるが、僕には中学二年から中学三年にかけて、いわゆる彼女というものが存在したことがある。

 比較的蜜月だったと言えるその前半部において、僕と彼女――綾井結女が一番驚いたのは、たぶんあの日のことだ。

 誕生日を教え合った日。

 僕たちが生まれた日がぴったり同じだと知って、無知にして蒙昧なる中学生の僕は、怖いくらいに運命ってやつを感じたものだ。


 十一月三日。


 日本国では例年、国民の祝日に指定されており、学校が休みなのもあって、家族以外に祝われた覚えはさっぱりない。けれど、それさえ当時の僕には好都合に思えた。なぜって、初めてできた彼女と、お互いの誕生日を、学校に邪魔されることもなく一日中、過ごすことができるんだから。


 はっきり言うけど、僕は自分の誕生日を重要視していない。

 当日まで忘れてることが多いくらいだ――何せ僕自身、誕生した瞬間のことは覚えていないわけだし、僕を産んだ母親のこともほとんど知らないとなれば、意識しろというほうが難しい。


 だから、あのときだけだったのだ。

 十一月三日を特別な日だと思ったのは、人生において、中学二年のあのときだけ。


 僕たちは当日、昼日中にデートして、お互いのプレゼントを見繕うことにした。何せ僕もあの女も初心者同士、人にプレゼントを贈った経験などほぼなかったのだから、これはデートのテーマも自然と決めることができる一石二鳥の策だと言えた。

 ……後に判明したところによると、あの想像を絶する根暗女・綾井結女は、僕が何気なく譲った消しゴムだの何だのをプレゼントとして保管していたらしいが――それはそれ。


 その日のデートは、普段、本屋だの図書館だの、色気のない場所しか行かない僕らが、デートらしいデートをした数少ない例だと言えた。歩き慣れないデパートに赴き、これはどうか、あれはどうかと、迷うことを建前にして幸せな彷徨を続けた。

 その果てに辿り着いたのは、結局のところいつもと同じ――本屋だった。


 ――あ、このブックカバー……


 綾井が目を留めたのは、本棚ではなく、ブックカバーや文房具などが陳列されたコーナーだった。

 落ち着いた桃色の、革製のブックカバーを、綾井は眼鏡の奥から見つめていた。


 ――欲しい?


 訊くと、綾井は迷うように目を泳がせて、


 ――うーん……ちゃんとしたの、持ってないから……欲しい、けど

 ――けど?

 ――その……ね? ブックカバーは、私も最初に考えたの! でも……

 ――でも?

 ――……安直かなあ、って……


 僕は小さく笑う。


 ――一緒だ

 ――一緒?

 ――僕も真っ先に考えたけど、安直かなって思った


 これだから自意識の肥大したオタクは。消費することしかしてないくせに、いっちょ前に作家ぶってセンスを出そうとする。

 僕たちはおかしくなって、静かな本屋でひとしきりくすくす笑い合うと、


 ――それじゃあ……






◆ 伊理戸結女 ◆


 今となってはいい思い出になりつつあるけど、私には中学二年から中学三年にかけて、いわゆる彼氏というものが存在したことがある。

 その彼氏との誕生日デート。お互いのプレゼントを選ぶことにした私たちは、最後に訪れた本屋さんで、色とりどりのブックカバーの前にいた。


 ブックカバー。

 読書家の彼氏に贈るに当たり、最も無難で、きっと誰でも思いつくプレゼント。


 だからこそ、当時の私は真っ先に考えて、真っ先に候補から外した。

 中学生らしい粋がった思考だ。自分はそんな安直なプレゼントを贈りたくない、もっとセンスフルでロマンチックなものを贈りたいって、できもしないことを考えた。

 けれど、それは彼も同じだったらしくて。

 だったら、と私が考えた瞬間に、彼が手を伸ばした。


 ――それじゃあ……


 水斗は、私が見ていた、文庫サイズの桃色のブックカバーを手に取る。


 ――お互いに、これが一番に贈りたかったもの……ってことか


 こういう瞬間に、まだ単純だった当時の私は、幸せでいっぱいになった。

 同じことを考えてる。

 心が一緒になってる。

 そう実感するたびに、伊理戸水斗が彼氏であることの喜びを噛み締めたのだ。


 ――……うん。そう……だね。だから……


 こういうときだけ、踏み出せた。

 臆病な私が。卑屈な私が。今ならわかってくれると、彼の心の中に。

 私は、黒い革製のブックカバーを手に取って、はにかむ。


 ――お揃いに、しよっか?


 正確には、色違いだったけど。

 水斗は小さく笑うと、珍しくおどけるように言った。


 ――うわあ。ペアルックだ

 ――ふふ。嫌?

 ――服とかならイタいと思うところだけど……いいと思うよ。僕たちらしい

 ――うん!


 本で繋がった私たちだから、初めてのプレゼントは、本を守るカバーにしよう。

 と、そんなカッコつけた理由は、まあ完全に後付けだけど。

 それから私たちは、学校でもお揃いのブックカバーを着けて本を読むようになった。

 ただの色違いでも案外気付かれない。私たちだけが知っているペアルック。

 何も気付かないクラスメイトたちを見て、こっそりと目で笑い合ったりもした。

 クラスが分かれるまでの、半年程度の楽しみだ。

 三年になってからも、彼があのカバーを使っていたのかどうか――私は未だに知らない。

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