きっとあなたが見守っているから⑥ 生き方の学び方

◆ 伊理戸結女 ◆


 かくして、二学期中間テストが実施された。

 結論から言えば、二日間にわたるテストを、私は上々の手応えで乗り切ることができた。水斗のほうはよくわからなかったけど、リモート勉強会のメンバーもそれぞれ、絶望的な顔はしていなかったから、たぶん大丈夫だろう。

 問題は明日葉院さんだ。

 中間テストが全教科終わった後、私は久しぶりにフルメンバーが集結した生徒会室で、あのときぶりに明日葉院さんと顔を合わせた。


「会心です」


 小さな身体で大きな胸を張り、明日葉院さんは自信に満ちた笑みで私を見上げた。


「今回は今までで一番の手応えです。わからない問題を探すほうが難しいくらいでした。伊理戸さん――あなたの天下もこれまでのようですね」


 見事な自信家っぷりに、聞いていた亜霜先輩が言った。


「負ける奴の台詞で草」

「先輩! フィクションと現実を一緒にしないでくださいっ!」

「だってぇー」


 子供のように言いながら、亜霜先輩はコンビニのプリンをぱくぱく食べていた。テストが終わったから自分へのご褒美らしい。

 私は輝くような自信を秘めた表情を見返して、


「そこまで自信があるなら、何か賭けましょうか」


 案じていた一計を披露することにした。

 明日葉院さんは戸惑いもせず、ふんっと鼻息を荒くする。


「いいですよ? もしわたしが負けたら何でもしてあげようじゃないですか!」

「ん? 何でもって言った!?」

「愛沙。空気空気」


 身を乗り出した亜霜先輩を、紅会長が引き取っていく。


「その代わり、伊理戸さん、あなたが負けたら何をしてくれるんですか?」

「そうね……。ノートと教科書を見せるっていうのはどう? 結構参考になると思うけど」

「……なるほど。手の内を晒すというわけですか。いいでしょう。敵とはいえ、学ぶべき部分があるかもしれませんからね。それでは、負けたほうはノートと教科書を見せる、ということでよろしいですか?」

「ううん。私が勝った場合は、明日葉院さん――あなたには毎日八時間、きっちり眠ってもらうわ」


 告げた瞬間、沈黙が生徒会室を支配した。

 亜霜先輩がきょとんと首を傾げる。


「……え? それだけ? 普通じゃん」


 そう。普通だ。

 普通なら。


「なっ――なんということを!!」


 明日葉院さんは一歩後ずさり、恐ろしいものを見る目でわたしを睨みつけた。


「八時間なんて……! 時間がもったいないじゃないですか! わたしから勉強時間を奪う気ですね!? それで自分の順位を盤石にしようだなんて……! 姑息! あまりにも姑息です!」

「は? ……いや、ちょっと待って? ランラン、あんた、普段何時間寝てんの?」

「四時間程度です!」


 堂々とした答えに、亜霜先輩はあんぐりと口を開けた。


「四時間? 毎日? マジで? あんた死ぬよ!?」

「ご心配には及びません。わたし、ショートスリーパーですので」


 ……どうかなあ。

 本物のショートスリーパーは、居眠りなんかするのかなあ。

 ともあれ、私はヒールに徹する。


「そういうことよ。次のテストまでの間だけでいいわ。そのとき、また賭けをして、また私が勝ったら、さらに次のテストまでの間、睡眠時間八時間で過ごしてもらう。毎日四時間も勉強時間を失うことになるのよ。これで私の首席卒業は決まったようなものね!」

「……同じことです。どうせわたしが勝つのですから。その卑怯な計画が結実することはありません。今のうちに、わたしに捧げるノートを準備しておくんですね!」




 私が一位だった。




「……くぅ、……くぅ、……ん~……」


 中間テストの順位発表があった日の放課後――生徒会室のソファーですやすやと眠る明日葉院さんを、私、亜霜先輩、紅会長で覗き込む。

 可愛らしい寝顔を、亜霜先輩がぷにぷにとつつきつつ、


「いや~、ビビったぁ~……。順位表見た瞬間倒れるもんだから、気絶したのかと思った」

「張っていた糸が切れたのかもね。疲れが一気に出たんだろうさ」


 そう言って、紅会長は静かに明日葉院さんにブランケットを掛ける。

 順位は私が一位、水斗が二位、明日葉院さんはまた三位。二位と三位の間には総合点数に10点ほどの開きがあり、偶然で済ますことはできないだろう。

 水斗曰く――『睡眠不足なんて、脳に枷を掛けているようなもの』だそうだ。

 まったくもって。自分から能力を縛っている人になんて、私たちが負けるはずがない。


「毎日ちゃんと八時間。守ってくれるといいんですけど……」

「守るさ。なあ、ジョー?」


 会長が水を向けると、羽場先輩が会議机からこちらを見て肯きかける。

 いつも背景に徹して、口を開くことも稀な羽場先輩だけど、無理をしている様子の明日葉院さんを気に掛けていたのかもしれない。会長曰く、誰よりも細かく人のことを見ている……らしいし。


「ランランの背が小さいのって、睡眠時間が短かったせいじゃないの? ほら、寝る子は育つって言うし」

「なるほど。そういう考えもあるね。……ということは、ぼくの背がいまいち伸びないのもそのせいかな。こいつは困った」

「え? ……会長、普段何時間寝てるんですか?」

「三時間だよ。ショートスリーパーなんだ」


 けろりと言った紅会長に、私と亜霜先輩は冷たい目を向けた。その顔に疲れの色は一切なく、むしろ常人よりも健康かもしれない。ナポレオンなの?

 水斗の言う通り、いるところにはいるのだ。頭のバグった人間が。

 ……けれど、自分もそうだと根拠なく勘違いしてしまったら、むやみに命を削ることになってしまう。生き方は人それぞれ――だけど、身体はその意思に忖度してはくれないのだ。


「……お。なんだ、今日は埋まってんのか」


 ぐっすり寝ている明日葉院さんを、三人で眺めて愛でていると、星辺先輩がやってきた。

 いつも寝床にしているソファーで後輩がすやすやしているのを見て、少しばつが悪そうな顔をしつつも、安堵が混じった息をつく。


「ちゃんとやったんだな、伊理戸」

「どうでしょう。先輩の言葉が響くかどうかは、明日葉院さん自身によると思います」

「そうか。……そうだな」


 そもそも、星辺先輩は『見ててやれ』と言った。その通り、私は見ていることにしただけだ。


「あっれぇ~?」


 私たちのやり取りを聞いて、亜霜先輩がにまにま笑いながら星辺先輩に擦り寄る。


「もしかして、また出ちゃった感じですかぁ? センパイのお節介が! どうせランランを怒らせちゃったんでしょ~。口下手なくせに、後輩思いなんだからなぁ、センパイは!」

「うっぜえなあ……! たまにはお節介でも焼かねえと、本当にただ邪魔にしに来てるOBになっちまうだろが!」

「その通りですが?」

「違うと思ってたんですか、センパイ?」

「少しは気を遣え、二年ども!」


 理不尽な先輩然と毒づきながら、星辺先輩はずんずんと入ってきて、ソファーの前のテーブルに紙袋を置いた。


「これは?」


 と私が訊くと、星辺先輩は気まずそうに目を逸らし、


「……不躾なことを言った詫びだ。明日葉院に渡しといてやってくれ」

「え~? 中身はなんなんですか、センパイ?」

「どら焼き。餡子が嫌いな奴はいねえだろ」

「……いや、そうでもないですよ、センパイ?」

「あ? 嘘だろ?」

「言いにくいんですけど、ウチの義理の弟は餡子あんまり食べません……」


 私が実例を出すと、星辺先輩はにわかに表情を焦らせ始めた。

 そこに亜霜先輩が、ひょいっと上目遣いで顔を覗き込みながら追い打ちをかける。


「センパイってぇ……根本的なところで、マ~~~~~ジで無神経ですよね?」

「……ああくそっ! いいよ! もしダメだったらお前らが食っとけ! 代わりのもん何か買ってくるからよ!」

「あ~、拗ねた~♪」


 楽しそうにまとわりつく亜霜先輩を振り切って、星辺先輩は足早に生徒会室を後にした。

 仮に、明日葉院さんが約束を無視して、また無理をしようとしても、この優しい先輩たちが、きっと咎めてくれるだろう。

 その繰り返しが、無理の仕方を教えてくれる。たとえ明日葉院さんの生き方がそれしかなくても、死なない程度に無理する方法を学ぶことができる。

 どれだけ明日葉院さんが突っぱねても、もはやこの人たちは――そして私は、彼女を逃がしはしない。

 だって、もう充分に、この真面目で頑固で可愛い女の子のことを、好きになっているのだから。


 ……ちなみに、餡子は明日葉院さんの好物だった。

 もぐもぐとどら焼きを頬張る明日葉院さんは、小動物みたいで非常に癒されるものだったと、ここに付記しておく。








 その夜。

 相談した手前、報告の義務があるだろうと考えて、私は事の顛末を水斗に話した。

 手にした本を教科書から文庫本に変えた水斗は、最後まで聞き終えると一言、


「そうか」


 とだけ答えた。

 わかりやすく安心してくれたり、長々と感想を語ってくれたりするとは思ってなかったし、私としては予想通りの答えだった。


 ……星辺先輩は私を指名したけど、明日葉院さんのことは、私じゃなくても誰かが何とかしたのかもしれない。

 一番付き合いが長い亜霜先輩が無理やり寝かしつけたかもしれないし、目敏い羽場先輩が紅会長経由で解決したかもしれない。

 私はきっと、水斗に相談していなければ、あんな賭けは言い出さなかった。普通に勝って、明日葉院さんはさらに自分を追い詰めて、倒れるまで勉強をし続けたかもしれない。

 そう考えると、……何だかむず痒いけど、……支えられてる……って、いうか。

 今の私もなんだかんだで、水斗に頼ってるところがあるんだなあ……って、実感した、というか……。


「……ねえ――」


 ありがとう、と。

 文庫本に目を落とす水斗に、そう言いかけた寸前で、私は言葉を飲み込んだ。

 こんな簡単に済ませていいのかな?

 たった五文字の、そんな言葉で、私の気持ちを。

 そう考えたとき、アイデアが一つに収束した。


「ねえ――空けておいてほしい日が、あるんだけど」


 そう言うと、水斗はようやく、文庫本から顔を上げる。

 その日のことを、ずっと考えていた。

 中間テストの前から。体育祭の前から。……ううん、もっとずっと前から。


「……いつだ?」

「……次の、祝日」


 水斗の目が、少しだけ見開かれる。

 それは、私にとっても、水斗にとっても特別な日。

 たぶん、お母さんや峰秋おじさんにとってもそうだろう。この伊理戸家に済む全員にとって、ただの祝日では済まされない日だ。


 十一月になって、最初の祝日。

 十一月、三日。


「――私たちの、誕生日。予定、空けておいてね」

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