きっとあなたが見守っているから⑤ きっとあなたが見守っているから
◆ 伊理戸結女 ◆
「結女ー、水斗くーん、わたしたちはもう寝るからー」
「二人とも、あまり無理はするなよー」
「はーい!」
お母さんと峰秋おじさんが、リビングから自分たちの部屋に引っ込んでいく。隣の水斗は教科書に目を落としながら、二人に向かって軽く手を挙げた。
毎夜のリモート勉強会が終わった後、私と水斗はどちらともなくリビングに集まって、それぞれに勉強をするようになった。
夜中にどちらかの部屋に集まれば妙な勘繰りを生んでしまう可能性がある。けど、リビングならお母さんたちの目も届くし、勉強していれば余計な心配をさせることもない。別に水斗と相談したわけではないけれど、まるで抜け道を通るようにして、私たちは夜を一緒に過ごしていた。
一学期までの私なら、きっと気が気でなくて、勉強どころじゃなかったんだろうけど。今の私は、すぐ隣に水斗の気配があっても必要以上に意識することもなくて――むしろ安心するような、落ち着いた気分になれていた。
以前に比べると、ずいぶんと気楽に机に向かうことができている。そのおかげか、勉強の進捗も前より良好だった。
……明日葉院さんは、今日も無理して勉強に打ち込んでいるのだろうか。
どんな金言も、然るべき人の口からでなければ響かない――星辺先輩は、私に向けてそう言った。確かに私自身、彼女のように無理をして勉強した一学期の中間テストでは、水斗に負けて学年二位に陥落した。その後、首席を取り返した期末テストでは、中間のときほど根を詰めてはいなかった。
だからって、私みたいに気楽にやれ――なんて言っても、上から目線のアドバイスにしかならないし……。
私に何ができるんだろう?
努力に取り憑かれている彼女に、同じ手段で今の自分を作り上げた私から、何を……?
「――手」
不意に、水斗が言った。
「止まってるぞ」
「え? ……あ」
考えているうちに、自分の勉強の手が止まっていたみたいだ。
水斗は教科書から私の顔に視線を移し、
「何かあったか」
「ん……いや、別に、私は特に、何もないんだけど」
「生徒会か」
なんでわかるんだろ。……水斗の目が届かない範囲のことなら、自然と絞られるか。
「うん……。生徒会の子のことで、ちょっとね」
「他人の心配をする余裕ができたか。結構なことだな」
「おかげさまでね」
くすりと笑って返しつつ、もしかして、と思った。
理由はない。態度で示されたわけでもない。
けど――もしかして、相談するのを待ってくれてるんじゃないかって、そう思った。
「……もし、あなたにも余裕があるならでいいんだけど」
「君の五倍は余裕だよ」
「話してもいい? ……今、ちょっとだけ悩んでること」
無言で、水斗は教科書に目を戻した。話を聞く程度のことなら勉強しながらでもできる。そういう答えだと、私は解釈した。
掻い摘んで、私は話した。今日、生徒会室で起きたこと。明日葉院さんの状態と、それに対する星辺先輩の意見を。
すべてを話し終えると、水斗は教科書から目を上げないまま、簡潔に言う。
「僕は、その元会長の意見に賛成だ。無理して死ぬくらいなら無理せず生きるほうがいい。けだし至言だと思うよ」
「うん……。私も、正論だとは思うんだけど」
「何かを拠り所にするってことは、それがなくなったときに踏ん張りが利かなくなるってことだろう。一学期のときの君が危うかったみたいにな。それは、あまりバランスのいい生き方だとは思わない」
あのときの私は、水斗に負けることで、別に首席じゃなくても友達は離れていかないってことに、気付くことができた。たった一つの足場に縋りついていた状態から、他にも歩ける地面はいくらでもあるってことを、見つけることができたのだ。
でも――
「――でも、それは効率の話だ。情熱を持った人間には通じない。ゲーム動画についた指示コメントみたいにしか聞こえないんじゃないか?」
「そう……よね。本当に。正論って……いくら正しくても、響かないときは響かないもの」
「思い出すよ。受験先を決めたときのこと。進学実績がない上に特待生狙いだったもんだから、担任が歯に物が挟まったような言い方で考え直させようとしてきてさ」
「あ! それ私も! 『知るかーっ!』って思った。だって、洛楼にでも行かないと、あなたと同じ高校になっちゃうと思ったし」
「合格が決まった後の手のひらの返しっぷり、響かないったらなかったな」
くく、と水斗が小さく笑う。あのときは、結局水斗と同じ高校になっちゃったのがわかって、だいぶ絶望的な気分だったけど、今では笑い話だ。
「あのときに思ったよ。いつだって成功を確信してるのは本人だけで、周りは失敗ばかり心配する。どちらが正しかったのかなんて、蓋を開けてみなければわからないんだ。拠り所にしたものがなくなって、めげるかもしれないし、めげないかもしれない。たまたまその子が、めげるということを知らない頭のバグった人間だって可能性も否定できない」
「頭のバグった人間って……そんな人、会ったことあるの?」
「東頭いさな」
……あー。納得してしまった。水斗にフラれても全然めげなかったしね、あの子……。
「結局……人それぞれってことなのかな」
人の生き方はそれぞれで、みんな違って、みんな良くて――だから、口出しできない?
「それって、何だか……寂しい気がする」
他人と理解し合うことはできないんだって、言われてるみたい。
どんなに通じ合えた気がしても、結局は人それぞれで、みんな違うから、根本的なところではわかり合えないんだって……そう言われてるみたい。
水斗はしばらく黙ったかと思うと、おもむろに私のノートを指差した。
「だったら、とりあえず勉強しとけ」
「え?」
「蓋を開けてみればいい。全力で。どちらが正しかったのか……それでわかる」
水斗らしからぬ、シンプルな答えだった。
いや……むしろ、水斗らしいのかもしれない。
勝ったほうが正しい――なんて、シンプルな答えを導き出すのに、これだけの理屈を費やしたのは。
明日葉院さんはきっと、私に勝つことでしか、自分の正しさを証明できないんだ。
だったらそれを、阻んで、阻んで、阻んで――いつかめげかけて、自分のやり方を振り返ったとき、ようやく言葉が届くようになるのかもしれない。
それまでは友達として、ただ見守るだけ。
歯痒いようだけど……人の生き方にできることなんて、そのくらいしかないのかもしれない。
「もしキツそうだったら言え。僕が代わりに、首席を守っておいてやるよ」
憎たらしい言葉に、私は全力で煽り返す。
「気を遣わなくていいわ。あなた、二位のほうが居心地良さそうだし」
「ふん」
前よりも、そばにいて安心できる理由がわかった気がした。
私が明日葉院さんを見守るように――きっと彼が、私を見守ってくれているから。
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