元カップルの日常スナップショット 鉄面皮の裏側
我が家にはテレビがひとつしかない。見る人間が少ないから別に困りはしないのだけれど、それでも唯一、生じる不都合について、私には訴えに出るべき理由がある。
それは取りも直さず、我が義弟、伊理戸水斗の素行に起因していた。
たびたびリビングで読書に勤しんでいることからわかるように、あの男は家庭内における公共の場であるリビングを、こともあろうに第二のプライベートルームとして利用している節がある――そしてごく最近、あの男に読書に限らないオタク趣味を持つ友人ができたことによって、その悪癖は性質を悪化させつつあった。
小説の中身は読んでいる人間にしかわからないが、テレビの映像は見ている人間以外にも見えるのだ。
この日、帰宅した私を不意に襲った事態も、その違いが生んだ悲劇のひとつと言えた。
「……何それ?」
私が訊くと、水斗は振り返りもせずに答える。
「東頭に勧められたアニメ」
だろうとは思った。この男は普段アニメなんて見ないし、見るとしたらそこには、この男のオタク友達である東頭いさなが関わっているであろうことは想像に難くない。
そこまではわかる。わかるのだが。
「どうしてよりによってそんな肌色だらけのアニメをリビングで見るの……?」
裸だった。
少なくとも私には裸にしか見えなかった。
裸の美少女が画面の中に乱舞していた。
その映像を、同居する義弟がしかつめらしい顔で視聴しているのだった。
「アニメをテレビで見ることに何か問題でもあるのか?」
「いや……私がいるのよ?」
「それがどうした」
「……恥ずかしくないの?」
「なんだと貴様。東頭が天地神明に誓ってクオリティを保証したアニメの何が恥ずかしいと言うんだ。僕の友達を愚弄するとは見上げた根性だ。法廷で会おう」
「キレすぎじゃない!?」
いつの間にそんなに過保護になったのか――などと考えているうちに、画面の中の美少女がますますあられもない姿になり、顔を赤らめ、夕方のリビングに相応しからぬ音声を垂れ流し始めた。
こ……これ、未成年が見てもいいやつなの……?
ドラマのキスシーンを悠々と凌駕する気まずさが私に押し寄せる。むずむずする。今すぐ逃げ出したい。ただ通りがかっただけの私でさえこれなんだから、義理のきょうだいとはいえ同年代の異性に目撃された水斗の心境は如何ばかりか――
「……ふむ」
義弟は美少女の痴態を眺めながら、何やら唸りつつ口元を押さえた。
「なるほどな」
何が!?
何か感心する点あった!?
私にはひたすらエロい映像にしか見えないんですけど!
この男、どういうメンタルをしているの……?
この状況で没頭できる、普通?
まるで私なんて認識もしていないかのような――
「……………………」
私は努めてリアクションを押さえた。
もう無視しよう。
見なかったことにしよう。
何事もなかったかのように、この場を去る。それが最善の策であるように思われた。
心を決めると簡単だった。
私は何も言わずに階段を登り、自分の部屋に入った。
そして、外出着から部屋着に着替え、LINEの返信などをして――
約30分後。
……喉乾いた。
リビングに降りたいけど、今はあの男が――ああいや、アニメって確か、30分なのよね? だったらもう見終わってるか。
そう思って、安心して、私は階段を降りた。
裸の美少女が乱舞していた。
「……………………」
「……………………」
そして、それを真顔で眺める水斗。
「…………ねえ」
「なんだ? いま忙しいんだが」
「私の記憶が正しければ……それ、さっきと同じシーンに見えるんだけど」
「……………………」
義弟は5秒ほど黙り、
「…………回想シーンだ」
「どういう作劇意図で!? どんなストーリーならこのエッチなだけのシーンを回想する必要があるの!?」
「うるさい素人。貴様ごときが脚本を語るな」
テレビから視線をまったく動かさないまま、水斗は硬質な声で言う。
これは……よほど、その……趣味に合ったということなのか。だから何度も見ているのだろうか。よくも公共のリビングで堂々と――
……いや?
何ら恥じることがないのなら、回想シーンだなんて言い訳はしないはずだ。だとすると、同じシーン、同じ話を二度も見る意味は――
「……ふむ」
私はにやついた口元を手で隠した。
「なるほどね?」
私は冷蔵庫からお茶を出して飲むと、コップを流しに置いてリビングのドアに手をかけた。
出ていく前に、ソファーに座る水斗に振り向いて言う。
「これから30分は部屋にいるから。――心置きなく、アニメに集中してね?」
「……ぐっ」
義弟の鉄面皮が歪んだのを見て、私はくすくすとせせら笑う。
まだアニメキャラには負けてないみたいね――残念なことに。
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