あなたの顔を赤くしたい⑤ 男たる者、耐え忍ぶべし

◆ 伊理戸水斗 ◆


『いいか、伊理戸……男は誘惑に乗ったら負けだ』


 僕は浮かせた腰をぷるぷるさせながら、通話越しの川波の声を聞いた。


『据え膳食わぬは男の恥なんて言うが、むしろ恥を忍んでこそ真の男ってもんだ。鎌倉武士じゃあるめーし、恥を掻いたくらいで死ぬこたぁない。その先にこそ本当の誇りがある。安易な誘惑に乗るのは自分の価値も相手の価値も下げちまうんだ。わかるか?』

『ふぃーっ……んぐぅーっ……!』


 川波の講釈に混じって聞こえてくる鳴き声は、同じ通話に入っている東頭いさなのものだった。いさなも僕と同じく、ベッドに肘を立てて腰を浮かせた格好――プランクをして耐えているのだ。


『耐えろ。耐えるんだ! 男の筋肉は鍛えなけりゃつかねーが、女の胸やケツはある程度勝手についてくる。そんなお手軽な武器に揺らぐんじゃねえ! 鋼の肉体と鉄の精神を手に入れ、奴らの浅ましい攻撃を返り討ちにするんだッ!』

『ぶはーっ!』


 ぼふんっといさながベッドに倒れ込む音がした。

 それから数秒して、僕も腹筋の辺りに限界が来て、顔面からシーツに沈む。

 僕といさながはあはあ言っているうちに、川波は平然とした声で、


『一分か。まあマシになったんじゃねーの、最初に比べりゃ』


 なんで僕たちが通話を繋ぎながら筋トレなどしているのかといえば、当然ながら川波の発案だった。

 曰く、女子を口説くには僕の身体はヒョロすぎるらしい。

 まあ反論できるほどの筋肉は確かにないが、汗を掻くのは正直苦手だ。僕が難色を示すと、川波はこう言った。


 ――あのなあ伊理戸。女子は日夜、保湿だのストレッチだので美容を保つ努力をしてんだ。だったら男だって、最低限の筋肉をつける程度のことはするべきだろーが


 川波はたまに真理めいたことを言う。女子が美容を保つように、男も筋肉をつけるべきだ、か。なるほどね。捻くれ屋の僕が納得する程度には正論だった。

 のだが。


「はあっ……川波……はあっ……君……最初と言ってること、変わってないか……?」

『ん? 何がだ?』

『そうですよ! ……ふふぁあ……なんですかっ、「女の胸とケツはある程度勝手についてくる」って! はー……大変なんですよっ! 胸とケツを維持するのも!』


 大変な努力をしている割には、いさなは体力がなさすぎる気がするが……。

 ちなみに、いさなが一緒に筋トレをしている理由は、母親である凪虎さんからの指令である。


『お、怒んなよ。「ある程度」って言ったろ? 「ある程度」って』

『いえ……今日のあなたには、女子に対するヘイトが感じられます。さては、南さんと何かありましたね?』

『は? 何にもねーし。何を根拠に言ってんの? は?』

『ほら逆ギレした! 何にもない人はキレないんですよ!』


 基本的にポジティブな川波がメンタルを乱すのは、大抵南さん絡みだ。発言の内容から察するに、今日は何かしら誘惑めいたことをされて、からかわれたと見た。


『……とにかくオレが言いてーのはだな! 簡単に下心を見せるのは良くねーってことなんだよ! 薄っぺらい奴だと思われて評価が下がるし! ひいては口説き落とすなんて夢のまた夢! そうだろ東頭!?』

『えー? わたしは水斗君にエロい目で見られたいですし、水斗君をエロい目で見てますけどねー』

『こういう奴はダメなんだよ! わかったか伊理戸!』

『反面教師にしないでください!』


 まあ、川波のヘイトがどうなっているにしろ、言わんとすることはわからんでもない。下心丸出しの男を喜ぶ女子はそうそういないだろう。いさなだって、相手が慣れ親しんだ僕だからそういう風に言うだけで。


『いいか……? もし伊理戸さんが迫ってくるようなことがあっても、鉄の意思をもって耐え忍べ。絶対に反応するな……。これは男の戦いだ』


 迫ってくる、ねえ……。あの女に、そんな大それたことができるとは思えないが。


『悪りぃ、ちょっとトイレ行ってくる。その間、あんたらは腕立てでもしといてくれ』

『いっといれー』


 クソしょうもないいさなのボケを、川波は無視した。通話状態がミュートになる。


『はふぁー……じゃあやりますかぁー……』


 んーっ、といさなが伸びをする声がした。その瞬間だった。

 枕元に置いていた通話状態のスマホに、急に映像が現れた。


「ん?」


 一瞬、理解が追いつかなかった。

 しかし、スマホに映っているのが、いつぞやに見たラフなTシャツ姿のいさなであることがわかると、僕はようやく事態に気が付いた。

 ビデオ通話になってる。

 いさなは腕立て伏せをするために、ベッドに両手をついていた。カメラはそれを頭側から映す形になっていた。寝巻き用のTシャツは襟ぐりがゆるゆるで、重力に従って床側に垂れ、同じく重力に引かれてぶら下がった二つの白い果実を晒していて――


『それじゃあ行きますよー。いーち――』


 潰れる。

 ぶら下がる。

 潰れる。

 ぶら下がる。


「……いさな」

『ふぁいー?』

「その腕立て、意味あるのか?」

『え? ……わひゃああーっ!?』


 悲鳴の直後、映像は真っ暗になった。

 ……なるほど。

 確かに、耐え忍ぶ必要があるらしい。

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