好きな人が家にいる⑥ 東頭いさなと初めての
◆ 伊理戸水斗 ◆
今日から生徒会の一員となる結女とは対照的に、僕はいつも通り今まで通り、放課後の図書室にいた。
ここのところ、放課後のみならず、図書室のみならず、昼休みでも教室でもつるむようになった東頭いさなは、ライトノベルの紙面に目を落としながら言う。
「ところで水斗君、何をしてくれるんですか?」
「ん?」
何をって何が?
いさなは窓際空調の上に持ち上げた裸足を曲げたり伸ばしたりしながら、
「埋め合わせですよ。文化祭の後夜祭で放置プレイをかました埋め合わせ、してくれるんでしょう?」
「あー、そうか……。そんな話もあったな」
「そんな話ってなんですかあ! 割と楽しみにしてるんですけど!」
まあ、埋め合わせじゃなくとも、文化祭のときは、いさなには本当に世話になった――僕としてもお礼をしたい気持ちはある。
「じゃあ逆に訊くが、何をしてほしい? 僕にできる限りのことなら何でもしてやるよ」
「えっ? いま何でもって言いました?」
ものすごいスピードで食いついてきたいさなを見て、僕は己の失策を察した。
ずいっと身を乗り出してくるいさなから逃げるように、僕は身を仰け反らせる。
「な、な、な、何でもって……ドゥフッ。何でもって、言いましたよねっ!?」
「キモいキモいキモい! 落ち着けキモオタ! できる限りのことって言っただろ!」
「か、簡単ですよう……。へへ、えへへ。ちょっと我慢するだけですから……。えへへ! ね? ちょっとだけですから!」
恩がなかったら即通報しているところだった。
僕はいさなの肩を掴んで引き剥がしつつ、
「……何をしてほしいんだ? 聞くだけは聞いてやる」
「えへ。あの、あのですね。前からですね、へへ、水斗君と行ってみたいところがありまして!」
「行ってみたいところ?」
「防音の効いた密室にですね、男女で入って、何時間かにつきいくらかで、ご休憩できる施設なんですけど!」
「オイコラ」
性欲の化身かこの女、と先制的自衛権を発動しようとしたその刹那、東頭いさなは鼻の穴を広げながら言った。
「――漫画喫茶! 一緒に行きませんか!?」
「……………………」
……なんだ、そっちか……。
その看板がその建物にかけられていたことだけは知っていたものの、当然のこと、僕もその中に入ってみた経験はなかった。本が読みたければ買えばいいし、買うお金がなければ図書館で借りればいい――そもそも、小説に比べると漫画はそんなに読まないので、漫画喫茶というコンセプト自体が僕向けではない。
そこへ行くと、東頭いさなにとっては話が違うらしく、
「漫画って場所取りますし、何よりライトノベルに比べるとコスパが低いじゃないですか。ラノベは一冊三時間ですけど、漫画は一冊一時間ですし」
「本をコスパで評価したことはないけど、まあ時間で言ったらそうなるな――内容的にも、ライトノベル一冊分を漫画化すると三冊だか四冊だかになるみたいだし」
「なのでまとめ読みしたくなるんですけど、そしたらお金がかかっちゃうんですよねえ」
そこで漫画喫茶というわけだ。図書館には置いてないしな、漫画は。
えへへ、といさなは笑い、
「まあ、水斗君と一緒にペアシートに入るのが、単純にドキドキして楽しいっていうのもありますけど」
「……こんなときでもない限り、君には一生縁がなさそうだしな」
「そうですねえ。水斗君は結女さんといくらでも行けるでしょうけど」
「そんなわけないだろ」
「そうですか?」
「過敏に反応するに決まってる、あの女は」
脳味噌がピンク色なんだ、ああ見えて。
「……ぬふ」
「なんだよ」
「わたし、男のツンデレも好きですよ?」
「何の話だ」
「ぬふふふ」
鬱陶しかったので軽く小突いて、僕たちはビル二階に入っている漫画喫茶に踏み込む。
予約はすでにウェブで済ませたらしい。人見知りを発動して背中に隠れてしまったいさなの代わりに受付を済ませ、ブースのほうに移動する。
「おー……」
いさなはパソコンが並んだオープン席や、天井までぎっしりと漫画が詰まった本棚などを、道すがら興味深そうに眺めていく。
「ソフトクリーム食べ放題……! ソフトクリームが食べ放題なんですよ、水斗君!」
「らしいな。でも漫画読みながらソフトクリームって、食べづらくないか?」
「別腹ですよ、別腹!」
「腹が別でも関係ないと思うが……とりあえず、荷物置いてからな」
いさなが予約したのは、完全個室ペアシートの三時間パック。割り勘にすれば高校生にも優しい値段だ。
ブースの中は、床が丸ごとクッションのようになっていた。フラットシートというらしい。いさなが先に中に入り、ばふっと勢いよくお尻を落とす。
「おお~……」
僕が扉を閉めると、決して広くはない密室の中を、いさなはぐるりと見回した。
「なんか、いいですね。世界を締め出したような感じです」
「世界を締め出した……なかなか面白い表現だな」
確かに、外の情報をほとんど遮断したこの感じは、なかなかどうして悪くない。広い場所よりもずっと自由な気分になる。僕たちの性には合っているのかもしれない。
「水斗君、靴下脱がしてください~」
「先に漫画取ってこないとだろ」
「あ、そうでした」
僕が荷物を下ろし、改めて扉を開けると、いさなはずりずりと四つん這いでブースを這い出てくる。
そして本棚のゾーンに移動した。
「これだけの漫画が読み放題か……」
「テンション上がりますね!」
確かに……このぎっしりと詰まった本棚を見上げるだけでも、なかなかの壮観だ。
僕がいくつか漫画を抜き取ってぱらぱらとめくっているうちに、いさなは「あ、これ。これも」と次々に胸に本を抱えていく。
「ぅあ~! 5巻から先がない~! 誰ですか、独占してるのは!」
「他人のことを言えないぞ、今の君は」
両腕で抱え込んでいる二〇冊ほどもある漫画を眺めながら、僕は呆れる。絶対に読み切れないだろ、三時間じゃ。
いさなセレクションの漫画を半分受け持つことにして、僕たちはブースに戻る。ソフトクリームは手が塞がっていたので諦めた。
パソコンが乗った机に持ってきた漫画を積み上げて、いさなは「よしっ」と脇を締める。
「それでは改めて!」
と言いながら、足を僕のほうに伸ばしてきた。
皆まで言わずともわかる。僕はフラットシートの上でいさなの靴下を脱がしてやった。
「こうしてると、何だか水斗君のお部屋にいるときみたいですね~」
「それだと金を払ってる分、損だけどな」
「いえいえ、いつもとは違うじゃないですか。制服ですよ、お互い!」
「ああ、それでか」
「はい?」
きょとんと小首を傾げたいさなの、太腿の隙間から覗いた水色の布地を指差す。
「見えてるぞ。スカートなの忘れてるだろ」
「……み、見せてるんですよ」
「それならそれで問題だろ」
「あうぅ~……」
いさなはシートの上で女の子座りになり、きゅっと太腿を閉じる。
それから、目だけを横に逸らし、
「……でも、水斗君、実のところですね」
「うん?」
「夏休みの間、毎日のように水斗君の部屋に入り浸っているうちに……ちょっと、なくなってきたかもです」
「何が?」
「羞恥心」
言って、いさなはスカートを押さえるのをやめた。
そして、恐るべきことに胡座をかいた。
「今更パンツくらい見られても平気かもです」
「取り戻せ! 羞恥心を!」
「え~? 水斗君がエロい気持ちにならないんなら、別にどうでもよくないですか~?」
……ならないとは言ってないんだよ。
それが厄介なところなんだ。
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