君が見ている僕のこと⑥ 成長が止まらない女友達

◆ 伊理戸水斗 ◆


「んじゃ、行ってくるわー」


 自分の出番が来た川波がダルそうに去っていき、テニスコートの隅には僕といさなだけが残された。

 僕は引き続き本を読み、いさなはスマホで何かゲームをしていたが、たまに思い出したかのように口を開く。


「水斗君、水斗君」

「なんだ?」

「最近のゲームって、審査を通すために女の子の露出度を下げることがあるんですけど」

「ああ」

「そのときに、ストッキングを穿かせたりするんですよ。どう思います?」

「……いや、どういうコメントを求められてるんだよ、僕は」

「いや、エロくなってませんか? 逆に」

「同意すればいいのか? 言っておくが僕は同意できないぞ、その話には」

「えっ!? 素足のほうがエロいと思ってるんですか!? わたしがいつも靴下を脱ぐのを見て、実は密かに興奮してたんですか!?」

「話をややこしくするな。……僕の周りには一人、ストッキングだかタイツだかを愛用している奴がいるんだよ。だから、それを性的に見てるなんてことは、口が裂けても言えないって話だ」

「えー? あー……そういえば、会った頃の結女さんはタイツでしたね」

「生足を出すのに抵抗があるらしい。さすがに夏場は脱いでるみたいだが」

「じゃあ最近は復活してるってことじゃないですか! 少し会ってないうちに……うへへ」

「内なるエロ親父を出すなキショいな」

「別にいいじゃないですか、結女さんの脚を性的に見たって。好きっていうのはそういうことでしょう?」

「違うだろ」

「見たことないんですか? 結女さんを、エロい目で」

「……それとこれとは、切り分けておきたいんだよ」

「複雑な男心ですねえ。わたしは余裕でごちゃごちゃですけど」

「君ほど本能を肯定できないんだよ、僕は」

「それじゃあ、わたしがストッキングを穿いてきたら、素直にエロい目で見れるんじゃないですか?」

「素直にそういう目で見始めたら終わりだろ、僕ら」

「んー……明け透けになったほうが健全だと思いますけどね、わたしはー」

「というか、タイツとストッキングって違うのか?」

「違いますよ? デニールが」

「デニール?」

「ざっくり言うと糸の太さですね。太いほうがタイツです」

「ふうん……タイツのほうが色が濃いってことか」

「どっちが好きですか? わたしはストッキングです!」

「……どっちかといえば、タイツかな」

「へえー? へえええ~?」

「ニヤニヤすんな。他意はないよ」

「何にも言ってませんけどー?」


 などという雑談が、体育祭の実況や喧騒に紛れて流れていく。

 そうしているうちに競技が一つ終わったらしく、競技出場者召集のアナウンスがあった。

『綱引き・女子の部に出場する生徒は――』

 聞いて、僕は肘でいさなの二の腕を軽く小突いた。


「おい。綱引き出るって言ってただろ」

「え? ……あ! そうでした!」


 やっぱり忘れてたな。危ないところだった。


「はあ~、めんどくさいですねえ。まあ、さっさと終わらせてきますか~」


 言って、いさなは胸を張るようにして、丸めていた背中をぐーっと伸ばし――


 ――バツッ!


 何か、千切れるような音がした。

 いさなが、伸びをした姿勢のまま凍りつく。


「……おい、どうした? なんか変な音したけど」

「いえ……あの……その……」


 いさなはどこか焦った表情で、ゆっくりと胸の真ん中辺りに手を当てて、少しずつ顔を青くしていった。


「……壊れました……」

「は? 何が?」

「……ブラの、ホック……」


 んえ?

 ホック……? ホックって、あれか? 留めるやつか?


「……壊れたって、今?」

「今です……。胸を張った拍子に、前のが……」


 両胸に手を当てているのは、ずり落ちそうになるカップを押さえているのか。


「君……普通の着けてたのか……? よくわからないけど、運動用のがあるんじゃないのか? そういうのって……」

「く、癖でいつもの着けちゃって、スポブラ探すのめんどくさいしこれでいいや~ってなっちゃったんですよ! つ、綱引きだけなら大丈夫かなって……!」


 なんて爪が甘い奴だ。それに間の悪い奴だ。このタイミングで壊れるとは。

 いさなは背中を丸めながら悔しそうに目を瞑り、


「もお~っ……! 最近大丈夫だったから油断してましたぁ~……!」

「そもそも、壊れるもんなんだな……」

「中学の頃はしょっちゅうでしたよ。サイズがすぐに変わっちゃってたんで……」


 あ~……なるほどな……。

 え? ってことは……もしかして、サイズが変わったってことか? また?


「高校入ってからは大丈夫だったのに~……! 水斗君のせいですよ!」

「は? なんでだ」

「水斗君がわたしの女性ホルモンを刺激しすぎたんですよ! この前揉まれましたし!」

「揉んではいないけど……もしかして、その……本当に、サイズが変わったのか?」

「……………………」


 いさなは黙り込み、両手で押さえた自分の胸元を見下ろした。


「……ちょっとキツいなーとは、なんとなく思ってました……」

「そう、か……。まあ、うん、まだ高一だし、そういうこともあるか……」

「水斗君が」


 訴えるような目で僕を見上げて、いさなは言う。


「水斗君が……わたしを、エッチにしたんですよ?」

「……………………」


 エッチ。

 H。

 エイチ。

 ABCDEFGH。


「……発音はちゃんとしろ」

「えへへ。ダブルミーニングです」


 はにかんで、いさなは押さえた胸を確かめるように自分で揉み、


「まあ、段階調節できるやつを着けたら、まだGでも行けないことはなさそうですけど……お母さんに言って、新しいやつを買ってもらったほうが無難ですかね」

「……僕に訊くな」

「どんなのがいいと思います?」

「だから僕に訊くな」


 遊んでるだろ。本当にその点に関してだけは自信満々だな。

 僕は目を逸らしながら、


「とにかく何とかしろよ、それ。集合に遅れるぞ」

「んー、仕方ないです……。直す時間もありませんし、とりあえず――んしょっ」


 ジャージの中でもぞもぞとやったかと思うと、いさなは襟ぐりに手を突っ込んで――ずるり、と薄いピンク色のブラジャーを引っ張り出した。


「おい!?」

「これ、持っておいてくれますか?」


 そして、それをポンと僕の膝の上に置いた。人肌の温もりが残ったそれを、僕は唖然として見下ろす。


「い、いや待て、さすがに……!」

「言っておきますけど、わたしだって普通に恥ずかしいですからね!」


 少し頬を赤くしながら、いさなは睨むように僕を見つめた。


「でも、綱引きの最中に落としたりするよりはずっとずっとマシです……! すぐに帰ってきますから! ジャージの中にでも隠しておいてください! お願いします!」


 そう言って、いさなは立ち上がる。

 身体のラインが出ないジャージの上からだと、まさか下着を着けていないとはとても思えなかった。走ったり飛んだりしない綱引きなら、確かにバレることはないだろう。しかし、事実を知っている僕の目には――


「……行ってきます」


 覚悟を込めて告げたいさなに、僕はもう、何も言うことができなかった。

 ただ、彼女の背中を見送り――膝の上に残された、手のひらよりもカップがデカい、そしてぬるま湯のように温かいブラジャーを、ひどい後ろめたさに苛まれながら、ジャージの下に隠すことしかできなかった。

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