君が見ている僕のこと⑮ フッた責任

◆ 伊理戸水斗 ◆


「漫喫のときといい……わたしたちって、ああいうのに遭遇しがちですよね」


 いさなは古ぼけたベンチに座りながら、「うぇへへ」と気の抜けた笑みを零した。

 僕もまた、どっかりとその隣に腰を下ろし、


「漫喫のは遭遇したと言っていいのか……どちらにせよ、世の中乱れすぎてるよ」

「いいんじゃないですか? 少子化ですし」

「文明を捨てて野生に戻ることを少子化対策とは言わないんだよ」


 本当に、まるで動物だよ。……中学生の頃を思い返すと、自分にも思い当たる節がないでもないのが、尚更に嫌悪を加速させる。僕らもあんな風に見えてたんだろうな……。


「なんというか……目から鱗ですよね」


 へへ、とはにかみながら、いさなは両手の指の先を口の前で合わせた。


「何がだ?」

「本当にあるんだーって、思いまして……エッチな動画や漫画の中だけのことじゃないんだーって……当たり前なんですけど、そんな感じがして」

「……あー」


 まあ、わからんでもない。

 同じ学校に通う、同じくらいの歳の奴が。本当にそういうことをしているんだと、いざ目の当たりにすると……急に、現実感が強くなる。

 あるいは、中学の頃に粋がって、避妊具を買ったときよりも、生々しく感じたかもしれない。


「……わたしも、できるんですよね、ああいうの……」


 いさなが顔を俯けて、ぽつりと呟いた。

 一瞬、聞こえなかったフリをしようかと思ったけど、結局――慎重に言葉を選びながら――僕は口を開く。


「そりゃあ、まあ……機能としては、そうだろ」

「何だか……想像、できませんね。もし付き合ってたら……もっと、現実感あるんでしょうか?」


 なぜ僕に訊く、とは訊き返せなかった。その『もし』は、誰を相手とした仮定なのか――他の可能性を少しも窺わせない言いぶりは、きっと本当に、他の可能性を少しも考えていないからだ。


 たぶん、自惚れではなく。

 人生でたった一度の恋を、彼女は僕で消費してしまったのだろう。


 恋愛なんて面倒なことを、何度もできるような奴じゃない。いや、する必要がないと言うべきか。そこは僕自身、まったく同じだからよくわかる。

 友人として。できれば、そのたった一度を、叶えてやりたかった気持ちはある。

 けれど、僕も僕で、たった一度をもう、消費してしまっていたから。……だから僕たちは、友人同士なのだ。


「さあな」


 と僕は答えた。


「君、もしそうなったらぐいぐい来そうだけど、いざとなったらビビりそうでもあるからな」

「失敬な! ……言い返せませんけど」


 いさなは下唇を突き出すと、ベンチの上に膝を抱え込む。いつも図書室でそうするように。

 それから、膝の中に口元を埋め、もごもごと呟くのだ。


「……仕方ないじゃないですか。踏ん切りはついても……興味が尽きることは、ないんですから」


 さすがにこれには、僕もコメントのしようがなかった。

 いさなは口を膝に埋めたまま、横目で僕を見て、


「実はまだワンチャン狙ってる――って言ったら、怒りますか?」

「……例えば?」

「大人になって、一緒にお酒を飲んだときとか」

「思ったよりリアルでキモいな」


 少し茶化してから、僕は視線を外して答える。


「君が心の中で何をどう思おうが、僕の関知するところじゃないよ」

「……そうですか?」

「君は、悪いことは何もしてない。だから……フッた責任は、僕が取る」


 言葉を誤魔化さない。これもまた、責任の一つだと、僕は思っている。

 君は、何も気にしなくていいんだ。僕たちが友人であることを選んだのは、完全に僕の側の都合なんだから。


「……はあああ~」


 いさなは急に大きな溜め息をつき、抱えた膝に顔を突っ伏した。


「エロいことしたいい~~~! 水斗君にぐちゃぐちゃにされたいい~~~っ!!」

「おい! 声がデカい!」

「わたしが何を思おうが自由なんじゃないんですか?」

「声に出すのは自由じゃないだろ、普通に考えて!」

「うぇへへ」


 いさなは顔を上げてはにかむと、ずりっとお尻をずらして距離を詰めてくる。


「ちょっと安心しました」

「……何を?」

「フッた責任は、水斗君が取ってくれるんでしょう? だったら、わたしが特に気を遣わなくても……水斗君が徹底的に、越えちゃいけないラインを守ってくれるってことですよね?」

「まあ……そういうことだが……」


 何か嫌な予感が。

 ひひ、といさなは下卑た笑みを浮かべ、僕に詰め寄ってきた。


「つまり……わたしのほうからは、どんなにエロいことをしても構わない、ってことですよねえ……?」

「なんでそうな――」

「うりゃっ!」


 いさなの腕が素早く伸びて、僕の首に巻きつく。

 そのままぬいぐるみのようにぎゅうっと抱き締められた。胸に押しつけられた二つの膨らみは言うに及ばず、心がどうだろうとどうしようもない柔らかさと、人肌の温かさとが、一気に僕の全身を包む。


「ほれほれ~♪ ちゃんと守らないと~! ただの友達じゃなくなっちゃいますよ~?」

「ただじゃない友達ってなんだよ! 離れろ!」

「ええ~? 女の子に言わせるんですか? そりゃもちろん――」

「もういいもういいもういい! 言わなくていいから離れろ~……!」

「いっやでーす! わたしは気を遣いませーん!」


 すぐ調子に乗る! フッた責任云々は関係なく、こいつには一度ガツンと――




「――東頭さん」




 よそから飛んできた声に、僕もいさなも、凍ったように身を固くした。

 密着した身体を引き離すこともままならないまま、僕たちは錆びついた機械のように、ぎこちなく声のほうを向く。


 結女が。

 息を切らせた結女が――一歩一歩、僕たちのいるベンチに近付いてきていた。


 その表情は真剣で、怒っているようにも見え。

 それが僕たちの目の前で立ち止まると、いさなは猛獣から距離を取るときのように、ゆっくりと僕から身を離した。


「ゆ、ゆ、ゆ、結女さん……こ、これはその、と、友達同士の、お、おふざけというやつで――」

「東頭さん」


 もう一度名前を呼ばれると、いさなはびくんと固まって、口を噤んだ。

 結女は「ふうー……」と息を整える。よく見るとこめかみに、少し汗が垂れていた。

 それから改めて、結女は口を開いた。


「今……借り物競走やっててね?」

「え?」


 困惑するいさなをよそに、結女は手を伸ばした。

 僕の手首を、掴むために。


「だから――」


 僕をしっかと捕まえ、いさなの目を見据えて、


「――水斗のこと、少しだけ、くれる?」


 結女は告げた。

 明確に存在したその言葉の違和感に、いさなはぱちぱちと目を瞬いた。


「え? 借り物競走ならじゃ――」


 結女は繰り返して、今度は微笑んだ。


「……くれる?」

「どっ、どうぞどうぞーっ!!」


 哀れ、三下丸出しの調子で、いさなは僕から距離を取った。

 よし、とでも言うかのように結女は肯き、僕の手首を引っ張って立ち上がらせる。

 そして、ようやく僕に向かって言った。


「そういうわけだから、お願いね」

「……僕に許可を取るんじゃないか? 普通」

「どうせ嫌がるだろうから、無理やり連れていくわ」


 横暴だ!

 連行されていく僕をよそに、三下のように散らされたいさなは、一人でぽーっと空中を見つめていた。


「釘……刺されちゃいました……。うぇへへ……」

「……あの子は、なんで感動してるの?」

「……わからん」


 そこまでは責任取れん。

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