君が見ている僕のこと⑯ 君が見ている僕のこと

◆ 伊理戸水斗 ◆


 結女に手を引かれ、僕は校庭を目指す。


 ――何のお題だったんだ?


 そう訊いた僕に、結女は少しだけ考えて言った。


 ――あなた以外は、考えられないお題よ


 僕以外は考えられない。僕以外は当てはまらない。

 家族? 体育祭は保護者が来ないから。

 きょうだい? 世界中を探しても僕しかいない。

 あるいは――


 都合のいいことを考えた。自分が何もしなくても望むものを手に入れられるような、都合のいい真実を仮定した。

 いいのか、それで?

 ありえないとは思わない。兆候はいくらでもあった。勘違いしようと思えばいくらでもできた。


 それでも、僕の思考にはストップがかかる。

 いいのか?

 そんな――簡単に片付けてしまって。


 ああ、この期に及んで痛感する。僕たちという関係の、なんと面倒なことか。

 ――好きな人、なんて。

 そんな簡単な言葉じゃ、もう表しようがない。


 なあ、結女。

 今の君は、僕をどんな風に見ているんだ?


『――さあ! 一年七組、伊理戸選手が帰ってきた! 男子を! 一人の男子を連れています!』


 視線と歓声とが一身に集まって、所在なさが募る。

 けれど、それらを振り切るように力強く、結女は僕の手を引いて校庭を突っ切った。


『さあゴール! 審判のOKが出れば一位ですっ! 果たして伊理戸選手が引いたお題とは!?』


 ゴールの先には、見覚えのある人物が待ち受けていた。

 小柄ながらも独特な存在感を放つ、生徒会長・紅鈴理。

 彼女は息を切らせて走ってきた結女を、そして引き連れられてきた僕を、悠然とした微笑を湛えて順繰りに見て、


「お題を」


 差し出された手に、結女は無言で手にしていた紙を渡した。

 紅先輩はその紙を開いて、目を通し――くつくつと、意味ありげに笑う。


「素直に伝える気になったのかい?」


 結女は照れたように笑った。


「はい。とりあえず今日は」


 その答えを聞くなり、紅先輩は放送席のほうを向いて、両手で大きくマルを作った。


『クリアっ! クリアのようですっ!』


 結女は紅先輩からお題の紙を返されると、僕に振り向いて言う。


「行きましょ」


 結局、僕が何者として連れてこられたのかわからないまま、放送席まで連れていかれた。元々そういう段取りなのか、結女がお題の紙を実況の放送部員に手渡す。放送部員はマイク片手に紙を開くなり、「おおっ!? なるほどぉ……」と唸って、僕の顔を見ながら少し笑った。


『お題を発表します! 一年七組、伊理戸選手が引いたお題は――』


 にわかな緊張が全身を包み、直後、マイク越しに朗々と、僕の正体が告げられる。




『――「一緒にゴールしたい人」、です!』




 おおっ……! というどよめきが、観戦の生徒たちから湧き起こった。

 一緒に……ゴールしたい?

 それが、僕? ……どうして?


『伊理戸選手! 理由をお聞かせ願ってもよろしいでしょうか! 連れてこられたのは……察しますに、同じクラスの伊理戸水斗くんかと思われますが! 二人は確か、ごきょうだいなのですよね!』


 なんでそんなに詳しいんだ、この放送部員。

 まるで芸能情報を取材するマスコミみたいな口振りに、生徒たちの興味が結女に集中するのがわかった。一緒にゴールしたい――解釈の余地があまりに大きいお題。同性ならば、仲のいい友達だから、と自然と誰もが解釈するだろう。しかしそれが異性ならば、邪推が生まれざるを得ない。こいつは、それをわかっていて――


『そうですね……』


 向けられたマイクに怯えることもなく、結女は堂々と答えた。




『ブラコンだからです』




 シンプルな答えだった。

 誤魔化しも躊躇いもない――そう、素直な答えに、あちこちから笑い混じりのどよめきが起こった。

 マイクを向けていた放送部員も、「ぷふぁっ!」と軽く噴き出しながら、


『なるほど! それは納得です! 見事一位となった、伊理戸結女さんでしたぁー!』


 パチパチパチ、と拍手に送り出されて、結女は僕を連れて選手の控えエリアに戻っていく。

 何も知らない奴らにとっては、それはちょっとしたウケ狙いの答えでしかなかったんだろう。

 だけど――僕にとっては。

 あるいは、都合のいい仮定に飛びついてしまいかねないほどの、素直すぎる――


「なあ――」

「たまには」


 話しかけようとした瞬間、結女は振り返った。


「私も、素直になるのよ?」


 捕まえるように、僕の手首を強く握り。

 懇願するように、僕の瞳をじっと覗き。

 結女は言う。


「だから……逃げたりされると、ちょっと悲しい」


 ……逃げる? 僕が?

 言われて、すぐに思い当たった。

 いさなのブラジャーを懐に隠しているときに話しかけられて、慌てて逃げてしまったことを。


「……あー」


 それを……気にしてた、ってことで、いいのか?


「……わかったよ……」


 その素直さに免じて、僕も割と素直にそう答えて、


「今日みたいに捕まえに来られたら、たまらないからな」


 続けて、結局、いつものような憎まれ口が出た。

 ああ、ダメだ――やっぱり僕には、難しい。

 むっとされるかと思ったが、結女はむしろ嬉しそうに唇を綻ばせた。


「それじゃあ尚更、捕まえに行かないとね」

「嫌がらせか?」

「放っておいたら東頭さんにエッチなことしそうだし?」

「あれは僕がされてたんだよ!」


 くすくすと結女は笑う。

 よくわかったよ。君が僕をどんな風に見てるのか。

 どこどこまでも広がる秋空に、借り物競走の歓声が遠く響く。

 ゴールなんてものがどこにあるのか、僕たちはまだ、これっぽっちも知らなかった。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る