君が見ている僕のこと⑰ 見栄の楼閣

◆ 伊理戸結女 ◆


『洛楼高校体育祭、すべてのプログラムが終了しました――』


 無事に体育祭が終了し、後片付けもあらかた済んで、私はようやく肩の力を抜いた。

 生徒会に入って初めての行事運営……思った通り大変だったけど、中学の頃に比べたらずっと充実していたような気がする。元より自分から楽しみに行くっていうのが苦手な私には、こうやって仕事として携わるほうが積極的に参加できて面白いのかもしれない。


「結女くん、蘭くん。あとはやっておくから、上がっても大丈夫だよ」

「いえ、先輩! わたしは最後まで――」

「明日葉院さん」


 真面目さを発揮しようとした明日葉院さんを、私は柔らかに止めた。


「ここはお言葉に甘えましょ。あなたも疲れてるでしょ?」

「その通りだ。少しは先輩を立たせてくれ」


 不満そうにしていた明日葉院さんも、尊敬する紅会長の言葉に、「……はい」と折れた。

 明日葉院さんのやる気がすごいのは確かだけど、体力はそれについていかない。見えづらいところで頻繁に溜め息をついていたのを、私も会長も気付いている。彼女の小柄な身体で無理をすれば、それ相応の代償を払うことになる。


「それじゃあ、お疲れ様でした」

「……お疲れ様でした」

「うん、お疲れ」


 ……それと。

 私はそれとなく、無言で会長のそばにいる羽場先輩を見やった。

 会長は競技の合間も忙しく、ずっと体育委員の人たちに指示を出していた。……最後くらい、二人きりの思い出が欲しいだろう。

 あんまり抑圧して、この前みたいに人のいるところで暴走されても困るし。

 明日葉院さんを引っ張るようにして、私は生徒会室を目指す。まずは一日外にいて砂埃だらけになった体操服を着替えないと。


「どうだった? 体育祭」


 世間話として、私は隣を歩く明日葉院さんに訊いた。

 明日葉院さんは、いつも通りの堅い口調で、


「そうですね。……紅先輩の仕事ぶりを間近で拝見できて、興味深かったです」

「……それ、体育祭じゃなくて会長の感想じゃない?」

「楽しかったですよ。競技に出るよりも運営する側に回るほうが、どうやら性に合っているみたいです」

「ふふっ。わかる」

「……この手足の長さじゃ、スポーツに関しては限界がありますし。それにわたしの場合、余計なものまでくっついていますから……」


 言いながら、明日葉院さんはぽよぽよと、アンバランスに突き出た胸を持ち上げた。

 暁月さんが聞いたらキレ散らかしそう――ではあるんだけど、


「実際、大変そうよね……。錘をぶら下げてるようなものだものね」

「あなたも他人事ではないのでは? 小さいようには見えませんが」

「そう?」

「平均よりは大きいのではと」

「あー、そうね。友達に物凄い子がいるから、感覚が麻痺しがちなんだけど……亜霜先輩も私よりちょっと大きそうだし」

「え?」

「え? 何?」


 隣を見ると、明日葉院さんは虚を突かれたような顔をしていた。あれ? 何か変なこと言った?

 明日葉院さんは数秒、考えるような間を取ってから、


「いえ……何でもありません」

「気になるんだけど」

「気付いていないのならそれで……」


 え? 何を? はっきり言ってよ!


「それよりも、もうすぐ中間テストですよ」

「いや、話題変えないで? 何を気付いてないの、私!?」

「生徒会が忙しいからと言って、不甲斐ない結果を晒さないようにしてくださいね。張り合いがありませんから」

「無視!? 怖い怖い怖い!」


 そうこうしているうちに、生徒会室に着いてしまった。明日葉院さんは素早く扉に手を掛けて、


「どうでもいいことを気にしている暇があったら――あ」


 開いた瞬間、口を開けて固まった。


「あ」


 室内を覗いた瞬間、私も固まった。


「あ」


 中にいた亜霜先輩が、振り返って固まった。

 そう、亜霜先輩だ。

 生徒会室では、亜霜先輩が――ちょうど、体操服を脱いでいるところだったのだ。

 きっちり上下で色を揃えた、薄ピンクの下着姿だった。机の上にスポブラが脱ぎ捨てられているところと、背中に手を回してブラのホックを留めようとしている姿勢であることから、運動用の下着から普段使いの下着に着替えていたのだろう。


 問題は、下着そのものではなかった。

 今まさにブラを着けようとしている――胸のほうにあった。




 小さい。




 普段、服の上からでもわかるほど豊満であるはずの、亜霜先輩の山脈――しかし、ブラに覆われている今このとき、私の目には、なだらかな丘陵しか映っていなかった。

 B――も、たぶんない。寄せて上げれば、ようやくそのくらい。そういうサイズだった。

 そして、極めつけの証拠が。

 ブラのカップの裏側に、何枚も重ねられている、三角形の――


「…………パッド…………」


 亜霜先輩の顔色が見る見る青くなっていき、ぽろっ、と、胸のサイズを大きく盛るパッドが一枚、ブラの中から零れ落ちた。

 そんなに……盛ってたんだ……。

 一枚くらいなら珍しくもないだろうけど、そんなに何枚も……AカップがEカップに見えるくらいに……。


 その理外の盛りっぷり、うず高く積み上げられた見栄の楼閣に、私は衝撃を受けすぎて、しばらく放心してしまった。

 たぶん、放心度合いでは、亜霜先輩のほうが上だろうけど。

 ほら、無言のまま涙目になってる。


「……はあ」


 明日葉院さんが溜め息をついて、てくてくと凍りついた亜霜先輩に近付いていく。


「今までバレてなかったのが奇跡なんですから、気にすることはないですよ、先輩」


 推定身長147センチ、推定ブラサイズE~Fカップの明日葉院さんの慰めの言葉に、亜霜先輩は俯いてぷるぷる震え出す。


「…………か」

「はい?」


 明日葉院さんのジャージの裾を、亜霜先輩の手がおもむろに掴んだ。


「お前に……わかるかァーッ!!」

「ひゃあああっ!?」


 ずるーん! と下の体操服ごとジャージを捲り上げられ、明日葉院さんが悲鳴を上げる。


「たゆんたゆん揺れやがってえーっ!! 揺らしてえよあたしだって!! ズレるだけだよッ、パッドがよお!!」

「やめっ……いっ、痛いっ、痛いですからっ! 揺らさないでぇ……!」

「せ、先輩! 落ち着いて落ち着いて!」


 ようやくわかった。

 だから暁月さんと意気投合したんだ。

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