湯けむり旅情思春期事件⑥ やめてくれますか?
◆ 星辺遠導 ◆
日が傾くまで温泉街を回った後、おれたちは宿に戻り、ひとっ風呂浴びた。それからメシの時間になるまで、それぞれ自由にすることにした。
浴衣姿でロビーのラウンジに腰を落ち着け、スマートフォンをいじる。後輩どもに混じって街を散策するのも悪くはなかったが、人には一人になれる時間ってもんが必要だ。高校生には分不相応な旅館の雰囲気を、ただ一人で味わうのも、なかなか乙なもんだった。
「――セーンパイ?」
だった――のだが。
耳慣れた声に不承不承、顔を上げると、亜霜が見慣れた笑顔でおれの顔を覗き込んでいた。見慣れた笑顔ってのはつまり、わざとらしい媚び売り顔だ。
「何してるんですかぁ? こんなところでぼっちになって」
「何もしないをしてるんだよ」
「ふふっ。似合わなぁ」
そう言うと、亜霜はおもむろに自分の袖を掴み、ひらひらと身体の横で振った。
見なかったフリをしていると、亜霜はおれの目の前に回り、腰を傾けておれの顔を覗き、またひらひらと目の前で袖を揺らす。
「センパイ? センパーイ? 何か言うことはありませんかー?」
……ったく、主張の強い奴だな。
亜霜はおれと同じく、浴衣に羽織をまとった姿だった。さっきひらひら揺らしていたのは、赤っぽい羽織の袖だった。
普段の私服が地雷系丸出しのこいつが着ると、ただの浴衣でも新鮮に見えやがる。まともにしてればそこそこ見られる外見なんだよなあ、こいつ。
おれは皮肉っぽく唇を歪め、
「馬子にも衣装だな」
「世界最強に可愛いって意味ですか?」
「小学校から国語やり直せ」
「センパイ語だとこれで合ってるんですよー」
誤訳もいいところだ。
亜霜は許可を取ることもなく、おれの隣にぼすっと座った。おれに逃がす暇も与えず、ずりっとお尻を滑らせて、肩が触れ合うくらい距離を詰めてくる。
そして、
「(お疲れ様です、センパイ♪)」
息を吹きかけるようにして、耳元でそう囁いた。
おれは首を傾けて耳を逃がし、
「何がだ」
「後輩たちの引率、頑張ってたじゃないですか」
「別に頑張っちゃいねぇよ。むしろ川波の奴におれが引率されてたくらいだぜ?」
あいつを抜いた三人だけだったら、確かにおれが引率の立場だったんだろうが……川波が積極的な奴だったおかげで、ずいぶん楽ができた。
「一年生の川波君が率先して動ける空気を作っただけでも偉いんですよ。センパイってなんだかんだ言って、面倒見いいんですから」
「褒めるなよ。お前に褒められると騙されてる気分になる」
「本気ですよ」
不意に。
からかうようでもなく、甘えるようでもない、真剣な声が聞こえた。
一瞬、誰の声かと混乱した。しかし、振り向いてみれば、そこにあったのは見慣れた後輩の顔だった。
「ねえ、センパイ。あたし、本気で言ってるんですよ? 本気で――センパイは、すごいって思ってるんです」
「おい、どうした? いつもの痛々しい一人称は……」
「だって。たまには本気で言っておかないと、センパイも本気で受け取ってくれないじゃないですか」
そう言いながら――亜霜は、おれの手に自分の手を重ねてくる。まるで捕まえるように。
「センパイはすごいです。頭はいいし、運動はできるし、人を見る目もあるし。それに……どれだけウザがっても、あたしを追い払ったりしません」
「……追い払ってるつもりなんだがなぁ」
「本気じゃないじゃないですか。本当に距離を取りたがってるんなら、引退した後にまで生徒会室に来たりしませんよね?」
「……………………」
引退後も生徒会室に顔を見せ続けたのは、後輩がちゃんとやってるか気になったからだ。
とは言っても……おれ自身の後釜である、紅のことは心配してなかった。何せ、副会長だったときから、会長であるおれよりも会長然としてやがった奴だ。おれよりもよっぽど上手くやるであろうことはわかっていた。
それよりも心配だったのは――
「あたし……話したことあるかもですけど、家族で一番お姉ちゃんなんです。……えへ、わかりやすいでしょう? 下の子の面倒ばっかり見てたから、愛情に飢えてるんです」
「……おれは兄貴代わりかよ」
「そうですね。頼り甲斐のあるお兄ちゃんです。嬉しいですか?」
「嬉しくねぇなぁ。お前みたいな妹は。疲れるったらねぇよ」
「それじゃあ」
亜霜の手に、ぎゅっと力がこもった。
「お兄ちゃん――やめてくれますか?」
……それは。
それは、やめたら……その次は?
いや。……何を考えてんだ、おれは。そもそもおれは、こいつの兄貴になんざなったつもりはない。ただ、こいつの目が、真剣な瞳が、まるでその次の――その先の何かを、示しているかのようで。
「――あっれ~? センパイ、変なこと考えてませんか?」
「……、は?」
気付けば、亜霜の顔には、まるで世界が切り替わったかのように、悪戯っぽい笑みが戻っていた。
「お兄ちゃんをやめる――つまり、男になる……ってコト!? ……って、思っちゃいました?」
「……思ってねぇよ……」
「あれあれ? 声がイラついてますよ? 図星、突いちゃいました?」
「うぜぇ!」
ぐいっと肩を押しやると、亜霜はくすくすと笑いながら立ち上がった。
「では、愛沙はこれにて! ……もっと素直になったほうがいいですよ、センパイ?」
上機嫌な足取りで、亜霜は去っていく。
おれは肘掛けに頬杖を突いたままそれを見送り、煮え切らない、もやもやとした気持ちを、腹ん中で掻き混ぜた。
なんなんだよ、あいつは……。
ふざけるか、本気になるか、どっちかにしろっつの。
◆ 亜霜愛沙 ◆
「にへ~」
「「「……………………」」」
運ばれてきた豪勢な夕飯に舌鼓を打っている最中、あたしの頬は緩みっぱなしだった。
美味しいから? それもある。
けど、それよりもっとご飯が進むのは、頭の中に保存したセンパイの顔で。
「にへへ~」
あの虚を突かれた顔! 少しは期待してくれたんだ、あたしとそういう関係になれるかもって! まったくもう! 飄々としてるようで、センパイもしっかり男の子なんですから! 誤魔化さなくたっていいのに~!
「……愛沙」
不意に、すずりんがお箸を置いた。
「ん~? なになに~?」
「そろそろいいよ」
「何が~?」
「自慢しても」
瞬間、ゆめちやランラン、あっきーがバッとすずりんのほうを向いた。
「か、会長!? いいんですか!?」
「オススメできません! せっかくのご飯が不味くなりますよ!」
「さすが会長だぁ、器が広いなあ~」
なんだかわからんけど失礼じゃないかな君たち。
すずりんは頬杖を突いて、
「このままへらへらされているほうがよっぽどご飯が不味くなるよ。この際、洗いざらい喋ってもらって、肴になってもらおうじゃないか」
「え~? 何の話かな~? 愛沙わかんなぁ~い♪」
「いいからとっとと星辺先輩と何があったか喋れ!」
きゃー怖~い♪ なんで怒ってるの~? 好きな人と上手くいってないのかなあ~?
「そんなに聞きたいなら~、恥ずかしいけど話しちゃおっかな~?」
ホントに恥ずかしいんだけどね! 本当はあたしとセンパイだけの秘密なんだけどね! みんながどうしてもって言うならね! 仕方なくね!
そうしてあたしは、さっきセンパイとあったことを話した。
「――ね! 可愛いでしょ、センパイ? それにしても脈アリ過ぎて困っちゃったな~!」
「「「……………………」」」
どうしてか、すずりんたちは無言になって顔を見合わせた。
あ……あれ? 『キャー!』はどうしたの? 『キャー!』は。色めき立つところじゃないの?
「ずいぶんへらへらしているから、キスでもしたかと思いきや……」
「私は告白が成功したのかと思いました……」
「その程度のことでよくそんな緩み切った顔ができますね、先輩」
ひどくない!?
「祝福してよ! あのセンパイに照れ隠しさせたんだよ!? 大金星だよ!?」
「失礼ですが、照れ隠しだと思っているのは先輩だけなのでは? 『うぜぇ』と言われたのなら、普通にウザがられたと考えるのが妥当では」
「正論を言うなあーっ!!」
ランランはいつもそうだ! すぐあたしに現実を突きつける! 後輩のくせに!
「まあ、照れ隠しだとして、だ」
と、すずりん。
「案外安い女だね、キミも。照れ隠しくらいでそれだけへらへらできるなら、それ以上のことがあったときはどうなるんだ?」
「へらへらするならマシなほうですよー」
と、これはあっきー。
「嬉しいことがあって顔に出るってことは、逆のことがあっても顔に出るってことですからね。へらへらするよりヘラるほうが百倍厄介ですよ」
「それもそうだね……。メンヘラ女ほど厄介なものはこの世にないからね」
「まったくもってその通りですね!」
「誰がメンヘラじゃあ!!」
むしろメンタルは強いほうだと自負しておりますけど! どれだけ女子に嫌われてもまったく気にしない精神の持ち主ですけど!
「ま、まあ、進展があったならいいじゃないですか」
おお、ゆめち! 持つべきものは可愛い弟子だ!
「今まで一年も何もなかったんでしょう? 多少でも手応えがあったんなら、必要以上に喜んじゃってもおかしくないですよ」
「うぐっ! ……言葉の端々がチクチクと突き刺さる……!」
ああ、そうだよ……一年も何もなかったんだよ……男子を誑し込むのが趣味ですみたいな顔して、一年も何も……悪いかよぉ、見た目だけで……ビッチよりマシだろぉ……?
「あ、ヘラった」
「ごっ、ごめんなさい先輩! 可愛らしくていいと思います、私は!」
「ひぐ、ひぐ……ほんとぉ……?」
「変に余裕ぶってるよりずっと可愛いですよ!」
「……あたし、普段、変に余裕ぶってた……?」
「あっ、いや、そんなことは……!」
そう思ってたんだあ! 師匠とか言いながら、裏ではそんな風に思ってたんだあ! ううう、女の子怖いよう……。
「そう落ち込むことはないよ、愛沙」
すずりんが再びお箸を動かしつつ、
「一年前に比べたらずいぶんマシになった」
「それで慰めてるつもりかあ!!」
「一年前の亜霜先輩、そんなに酷かったんですか?」
小首を傾げるゆめち。その言い方、今のあたしも充分酷いみたいに聞こえるんだけど?
「酷いなんてもんじゃなかったさ。事あるごとにジョーにコナかけようとするし、なんでこんな奴を生徒会に入れたのかと、愛沙を推薦した庶務の先輩に直談判したくらいだよ」
「あの頃、マジで仲悪かったよねー、あたしら! あっはっは!」
「笑いごとか。ぼくはあの頃、キミを追い出す方法を本気で考えてたんだからね」
「それがなんで変わったんですかー?」と、あっきー。「今の二人は、そんなに仲悪そうには見えませんけどー」
「そりゃまあ、皆まで言うな、というやつだよ」
そう言って、すずりんは意味ありげな流し目をあたしに送ってきた。なんか嫌な予感。
「良くも悪くも、人を変えてしまうのさ――恋ってやつは」
「ああー! 確かに亜霜先輩、男で変わるタイプっぽい!」
あっきー、君も大概、先輩に失礼なこと言うね!
あたしは不貞腐れてそっぽを向きながら、
「その言い方だとあたしから好きになったみたいじゃん。最初に近付いてきたのはセンパイのほうからだし!」
「確かに、最初の頃のキミは、星辺先輩を避けてたからね」
「えっ? そうなんですか?」
驚くゆめちに、すずりんはにやりと笑い、
「あのマイペースさだからね、からかい甲斐がなかったんだろうさ。むしろ苦手意識があったんじゃないかな。愛沙はこれで案外、男性っぽい男性が苦手だからね。自分がマウントを取れそうな大人しい男子にしか強く出られないのさ」
ふくっ、と小さく噴き出す声がした。
声の主を探してみれば、これまで黙ってご飯を食べていたいさなちゃんだった。
いさなちゃんは視線が集まったのに気付いて、わたわたと慌てつつ、
「すっ、すみません! 何でもありません! 典型的なオタサーの姫で草、とか思ってません!」
「言ってる言ってる」
あっきーに突っ込まれ、いさなちゃんはあわあわするけど、あたしとしては満更でもない。そうなのです。あたしはオタサーの姫気質なのです。スタイル以外はね!
「まあ、そういうわけで、最初はあまり星辺先輩には絡んでなかったのさ。けど、ほら、星辺先輩はあれで結構、面倒見のいい人だからね――愛沙があんまり痛々しいものだから、ときどき話しかけて様子を見ていたらしい。そのうちに気付いたら……」
「ちょいちょい! それだとあたしがチョロい女みたいじゃん!」
「その通りだけど?」
けろっと言うな! この女~……!
「……きっかけがあったの。それまでは本当にウザいとしか思ってなかったし!」
「へえ? だったら聞かせてもらおうじゃないか、そのきっかけとやら」
やば。墓穴掘った!?
すずりんは意味ありげな薄い笑みを浮かべて、
「惚気るのが好きなんだろう? だったらとことん惚気たまえ」
……アプローチが上手くいったのを自慢するのとは違うじゃん。もっと、こう、なんか、弱いところを晒すみたいっていうか……。
「なあ、みんな。みんなも聞きたいよね?」
「聞きたいです!」
「聞きたーい!」
ゆめちとあっきーに期待の目を向けられて、あたしは逃げ場がなくなったのを悟った。
溜め息をついて、あたしは不承不承、約一年前のことを思い返す。
「……確か、体育祭のときだったかな――」
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