煩悩戦争① 覚悟はとっくに、できていた


◆ 亜霜愛沙 ◆


 作戦は成功した。

 センパイに会うたび、徐々にパッドの数を少なくしていき、ついに本日、その数をゼロにすることができた。

 ブラは寄せて上げて大きく見えるやつ使ってるけど。

 とにかく、本日に至るまで、センパイがあたしの胸の大きさに違和感を覚えることはなかったのだ。


 そして……その日のデートの終わり際。

 ついに、運命の時がやってきた。


「……おれん家、寄ってくか?」


 不器用で、ぶっきらぼうで、でも下心が見え見え。

 人のことは言えはしない。あたしだって、下心で頭がいっぱいなんだから。


「……それじゃあ、お邪魔します」


 入れてもらったセンパイの部屋は、意外なくらいに片付いていた。

 まだ付き合う前、少しだけ覗いたことがあるけど、そのときはもっと散らかってたような気がする。……準備、してくれたんだろうな。


「何だか、ずいぶん片付いてませんか? 珍しいですね?」

「うっせ」


 いつものようにからかって、いつものようにあしらわれて、いつものようにくすくす笑う。

 いきなり雰囲気を出すのはがっついているみたいで恥ずかしかった。だから、あたしもセンパイも、普段通りの態度でいるように努めた。

 本棚を見たり、机を眺めたり、部屋の中をうろうろして、それとなくベッドに腰掛けた後は、二人で一個のスマホを見て、同じ動画を見たりして。


 そうするうちに、徐々に距離が近付いていって。

 ベッドについた手に、センパイの大きな手が重なった。


「……あ」


 ドクンと胸が大きく高鳴る。

 あたしは爆発しそうな心臓の音を聞きながら、勇気を振り絞って、軽くセンパイの肩にもたれかけた。

 すると、優しく肩を掴まれた。

 応えるように顔を上げて、しばらく視線を絡ませて――


 ――探り合うようにゆっくりと、唇を重ねる。


「……んっ……」


 初めてのキスは、付き合ってから初めてのデートで済ませていた。

 パッド減らし作戦のことをすずりんたちと話す前のことだ。

 いつもみたいにからかっていたら、口を塞ぐみたいに奪われた。唇が離れてもぽーっとしていたあたしに、センパイは『こういうの好きだろ、お前』と言って、恥ずかしそうに目を泳がせた。本当に、よくわかってらっしゃる。気障なことをしておいて恥ずかしくなっちゃう初々しいところも含めて、頭がどうにかなるくらい大好きになった。


 このキスは、その次の段階。

 お互いに触れ合うことを許して、認めて、受け入れる、……そういう、儀式……。


 長いキスの終わりは、心の準備が終わった合図だった。


「……………………」

「……………………」


 心臓の音だけが響く静寂の中、あたしは左右に目を泳がせてから、ガチガチに強張った手で何とか、ブラウスの一番上のボタンを外す。

 それから手を下ろして、自分の身体を、センパイに委ねた。

 センパイは意図を察してくれて、ゴツゴツした指でゆっくりと、ボタンを外していく。


 ブラウスの前がはだけて、ブラジャーだけの上半身がセンパイの視線に触れると、脳味噌が泡立つように熱くなった。

 一枚一枚、センパイの手によって、あたしを守る布が剥がされていく。それはどこか、神聖な作業のようにも思えた。あたしという存在と、センパイという存在を繋げる、象徴のような、作業……。


 それは、ぷちりとブラのホックが外れる音で、クライマックスを迎えた。

 ストラップが肩からズレて、二の腕を、肘を通り抜けていく。あたしは一度、大きめの深呼吸をすると、カップを押さえていた手を、震えながら下ろした。


 ぱさりと、脱げたブラがベッドの上に落ちる。

 センパイが少し目を見開いて、息を呑んだ。

 あたしの一糸纏わぬ、何の誤魔化しもない姿が、センパイの目に触れていた。


「……あ、ぁの、センパイ……」


 この期に及んで、往生際の悪い言い訳が、あたしの口を衝く。


「お……おっぱいって、ブラを外すと、ちょっと小さく見えるものなので、……その……」

「いや」


 焦ったような否定を口から漏らして、センパイは、逃げるように目を逸らした。


「……綺麗だ、とか言うのも、なんかキショいかと思って……すまん」


 ――ああ、もう、この人は。

 高身長で、女の一人や二人どうとも思ってなさそうなくせに、しっかり童貞なんだから。

 どれだけ好きになっても、全然追いつかない。


「……センパイ?」


 少しだけ余裕を取り戻して、あたしは悪戯っぽく笑った。


「次はセンパイの番ですよ? 万歳してください。ばんざーい!」

「ガキかよ……」


 緊張からか、いつもより力のないツッコミをいなして、あたしはセンパイの服を脱がす。

 部活で引き締まったセンパイの身体は、それはもう垂涎ものの、素晴らしいものだった。硬いけど、押し返してくる弾力がある。どれだけ触っていても飽きそうになかった。


 その後はもちろん、一枚だけ残ったトランクスに注意が向く。

 あたしもまだ、ショーツだけを穿いた状態だった。

 上目遣いで、アイコンタクトを交わす。


 覚悟はもう、できている。


 最後の一枚は、お互いに自分で脱いだ。あたしたちはベッドの上で、お互いの、他では決して見ることのできない恋人の姿を、何分も見つめ続けていた。


 センパイ、裸だ。

 あたしも裸だ。

 ……へへ。何これ。


 頭の中が痺れるような興奮の嵐にも、時間が経ったら少しは慣れる。そうなると、この状況が何だか面白く思えてきた。

 あたしは恐る恐るセンパイにくっついた。普段は触れ合わないところが触れ合って、くすぐったくて、温かい。それがますます嬉しくて、あたしはくすくす笑って、センパイにキスをする。センパイもあたしの身体を抱き締めて、あたしはセンパイの腕の中にすっぽりと収まった。


 そうしてしばらく、子供がくすぐり合うみたいに、ベッドの上で戯れる。

 やがて気付くと、あたしは仰向けになっていて、センパイはあたしに覆い被さっていた。


 センパイの瞳に、あたしだけが映る。

 あたしの瞳にも、きっとセンパイしか映ってない。


「……その、……ありますか……?」


 おずおずと訊くと、センパイは無言で肯いて、サイドテーブルに手を伸ばした。その引き出しから蓋の開いた、小さな箱を取り出す。

 まだ大人じゃないあたしたちが、それでも繋がるための道具。

 けど、一つだけ気になることがあった。

 がさごそと小箱に指を突っ込むセンパイを見上げながら、あたしは思わず口にする。


「……開いてる……」


 蓋が……。初めてなのに……。


「あ、……いや、これは」


 焦った顔をした後、センパイは気まずそうに顔を俯ける。


「……練習で、一個だけ使ったんだよ」


 あたしは口元を緩ませた。


「センパイ、かわい」

「しゃあねぇだろが……」


 練習の甲斐あって、準備はスムーズに完了した。

 ぎしり、とベッドのスプリングが軋む。

 あたしの顔の横に手を置いて、センパイは強張った顔で言った。


「……いい、な?」


 訊かれるまでもなかった。


「……はい」


 センパイが上半身を起こす。

 あたしは力を抜く。

 覚悟はとっくに、できていた。




「――――みぎゃあああぁあぁああああああああああああああぁぁーっ!!」




 けど、それはそれとして、痛いものは痛かった。

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