君が見ている僕のこと⑬ 初めての乳首

◆ 伊理戸水斗 ◆


 午後のプログラムが始まった頃、僕といさなはテニスコートに戻ってきていた。


「はふぅ……やっと落ち着けます……」


 何せノーブラの奴がいるのだ。人目のある場所にはそうそう留まっていられない。


「あの下着、何とかして直せないのか?」

「えー? どうでしょう……。ホッチキスとかで留められるんですかね?」

「僕が知るわけないだろ。もっとこう、テープ的なものとか」

「持ってないですよー。何の授業もないんですから、今日」

「先生に言って借りるか?」

「……えー」

「嫌そうだな」

「なんか……その程度のことでっていうか……先生に話しかけるのは最後の手段にしたいっていうか……」

「まあ、気持ちはわかるよ」


 人に頼る、というのは最終手段なのだ。僕たちみたいなのにとって。


「水斗君しか見てないなら別にいいですよ。締め付けがなくなって楽ですし。ジャージを着てれば乳首も浮きませんし」

「言うな。そういうことを」

「痛てっ。へへへ」


 軽くチョップすると、いさなはなぜか嬉しげにはにかんだ。

 それから、ジャージのジッパーを少し下ろして、顎を引くようにして中を覗き込む。


「いやあ、ビックリしますね。体操服ってこんなに生地薄いんですね。結構くっきり形出ちゃってますよ」

「世間話みたいに言うな」

「ほらほら。こんなにぷっくりと……」

「見せるな!」

「ふへへ。冗談ですよー。水斗君は可愛いですねえ、初心で!」

「……君、最近調子に乗ってないか?」

「え?」

「自分に自信がついてきたのは大変結構だが……そろそろわからせてやらなければならないようだな。上下関係というやつを……」

「え? え? ちょっ、その拳で何を――」


 己が拳でいさなのこめかみを狙い澄ました、そのときだった。

 コートの外から、密やかな声が漏れ聞こえてきた。


「――……ね。本当に誰も来ない?」

「大丈夫だって……」

「んっ……!」


 僕といさなは顔を見合わせると、息を潜めて背後を振り返る。

 ネットの向こう側。校舎の影に包まれた非常階段の辺りに、見知らぬ男女の姿があった。

 体操服を着たその男子と女子は、互いに抱擁し合いながら――唇を重ねていた。


「(ほあっ……! あっ、ふおおー……!)」


 すぐ隣で、いさなが鼻息を荒くする。

 体育祭に真面目じゃないのは、僕たちだけじゃないってことか……。それが恋人同士ともなれば、ああなるのも当然の話――

 などと余裕ぶっていたら、


「あっ……! だ、ダメだって……っ!」

「ごめん。すぐ済ますから……」

「ひ、人来たら終わりだからね……?」


 するっと、男子のほうが、女子の体操着の裾を捲り上げたのだ。

 突如として露わになった見知らぬ女子のブラジャーに、さしもの僕も凍りついた。


「(えっ……? 嘘っ……こ、ここで? ――ちょっ、水斗君!)」

「(おわっ!)」


 男子の指がブラジャーの下に滑り込んだと同時、隣のいさなが勢いよく飛びついてきて、僕はベンチの座面に押し倒された。

 むにりと、僕の胸板で柔らかなものが潰れる。見下ろせば、じっと僕の顔を見上げるいさなの顔と、体操着の襟から覗く潰れた膨らみ。そして、ジャージの生地越しに確かに感じる、水風船のような柔らかさの中に混じった、小さく硬い感触――


「(……ダメですよ)」


 ほとんど吐息のような囁き声で、いさなは言う。


「(水斗君の初めての乳首は……結女さんのか、わたしのじゃなきゃ、ダメです!)」


 ……誰も、見たことがないなんて言ってないが。

 というか、そもそも、見る、ということに限定しないなら、たった今――


「(……そこで自分を含める辺り、正直だよな、君は)」

「(あっ。……ももももちろん、初めては結女さんに、ゆゆゆ譲りますよ?)」


 もう手遅れだ、アホ。

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