ゴールデン・ウィークエンド 元カップルは怪しまれる


「……起きてるか?」

「ひぇあっ!?」


 ノックと共に控えめに呼びかけてみれば、返ってきたのは情けのない悲鳴だった。

 僕は少し身を強張らせる。……もしかして、何か悪いタイミングだっただろうか。まあ、日付も変わろうという深夜に同い年の女子の部屋を訪ねるのは、ただそれだけで悪そうな感じがするが、そこはそれ、僕たちは曲がりなりにもきょうだいだ。多少は情状酌量の余地があってもいいはずだが。


 ばたばたと部屋の中から騒がしい音がした。

 着替え中って感じでもない。何してんだこいつ。

 ほどなく音がやむと、コンビニの棚の一番手前に置いてあるジュースのように冷え切った(つまりさほど冷たくない)声が、扉越しに聞こえてきた。


「……なに?」


 それは僕の台詞だった。

 本当にどういうタイミングだったんだよ。

 とはいえ、この女の深夜の事情なんて頼まれたって聞きたくないので軽くスルーして、僕は言う。


「ちょっと話したいことがある。……入ってもいいか」

「……好きにすれば?」


 どうしていちいち憎たらしい言い方をするんだ。いけすかねえ。

 イラッとしつつ、僕は扉を開けた。

 僕の義理の妹にして元カノであるところの伊理戸結女は、薄いピンクのパジャマ姿でベッドに腰掛けていた。

 傷めないようにするためか、長い黒髪を簡素なゴムで緩いツインテールにして、胸の前に垂らしている。そのおかげで、いつもより少し子供っぽく見えた。……中学時代を少しだけ彷彿とさせる。


「何よ、こんな夜に」


 ふっと嘲るような微笑みが浮かぶ。


「告白し直しに来たのなら、謹んでお断り申し上げるわ」

「……一応突っ込むが、昔、告ってきたのは君のほうだ。ラブレターの文面、今ここで諳んじてやろうか」

「覚えてるの? きもちわるっ」

「ああ、気持ち悪いな。あのポエム一歩手前の文面は」

「……クソオタク」

「……クソポエマー」


 僕らは睨み合った。

 挨拶みたいなものである。


「……それで、一体何の用よ? 一応は家族とはいえ、一応は女子の部屋に、どうして入ってもいいと思ったのかしら? 事によっては出るとこ出るけど?」

「上等だ受けて立つ。が、その前にひとつ訊かせろ。君、今日、由仁さんになんか言ったりしたか?」


 ピキリ。

 と、結女の身体が一瞬固まったのを、僕は見逃さなかった。


「…………別に、何も? というか、言ったって何?」

「嘘がへったくそな奴だな。それでよくやっていけてるな、高校デビュー」

「う、うるさいっ! 1ヶ月経ったんだからもうデビューじゃないでしょ!」


 期間の問題じゃないだろ。

 どうやらしらばっくれるつもりのようなので、僕は溜め息混じりに説明を試みた。


「今日の昼間、由仁さんに頼まれて買い物に付き合ったときに、ちょっと探りを入れられたんだよ」

「……探り?」

「僕と君の仲について」

「……………………」


 あっ、目を逸らした。

 クラスの連中は誤魔化せても僕の目は誤魔化せない。


「由仁さんとしても、僕らがうまくやってるかどうかは気になるところだろうし、気にしすぎかもしれないんだが、ちょっと妙な雰囲気だったからさ。……君、なんかやらかしたろ」

「…………なん、にも?」

「こっちを見て言え」


 僕は学習机から椅子を引っ張り出すと、ベッドに座る結女の前に移動させて、どっかりと腰掛けた。絶対に逃がさんぞという意思表示である。

 ……座面がちょっと暖かいな。こいつ、さっきまでここに座ってたのか?


「さあ、さっさと吐け。この件がはっきりしないと、僕はもやもやして眠れそうにもない」

「…………うるさい。寝不足で死ね」

「このままだと君も道連れということになる」

「ううううう…………」


 結女は枕を掴むと、それをぎゅっと胸に抱きしめて口元を隠した。絶対に喋らないという意思表示か? 上等じゃないか。やったるぞコラ。

 僕は腕と足を組んで貧乏揺すりを繰り返し、結女の顔をひたすら睨んだ。結女は枕で口を隠したまま視線を逸らし続けていたが、やがて――


「……い、いつまでそこにいるつもりなのよ……!」


 あっさり痺れを切らせて、降参も同然の質問を放ってくる。

 当然、僕は悠然と腕を組んだまま。


「君が自分の失敗を素直に懺悔すればすぐにでも出てってやる。僕も君も晴れて安眠だ」

「懺悔って……神父とは対極にいる存在のくせに……」

「僕をなんだと思ってんだよ」


 神父の対極ってなんだ。悪代官とかか?


「確かに僕は神父じゃないが、誰にも言わないことは約束してやる」

「…………(他の誰よりも、あなたに知られるのがマズいんだけど)」

「ますます興味が出た」

「地獄耳……!!」


 聞こえよがしに呟くのが悪い。

 ようやく観念したのか、結女は顎を枕の上に乗せて、ぶすっと拗ねたような顔をした。

 そして、ぽつりと言う。


「写真を……間違えて、お母さんに送っちゃったの」


 写真?


「写真って、何の? …………まさか、中学のときのじゃないだろうな」

「ち、違う……! それだと一発でアウトじゃない!」

「それもそうか」


 探りを入れるまでもなく、カップル感満載だろうからな。脳に障害でも負ったのか記憶が曖昧だが。


「…………こ、これ…………」


 結女が躊躇いがちに自分のスマホを差し出してきた。

 僕はそれを受け取って、表示されている写真を見る。


「……………………」


 裸の僕が眠りこけていた。


「はっ……? えっ? ああ!?」

「ううう~……!」

「こ、これっ、いつっ――あっ!?」


 答えを聞くまでもなく、自分で思い至る。

 ……一昨日だ。

 一昨日、5月4日。起き抜けにシャワーを浴びて、服も着ずにリビングでだらだらしていたら、そのまま二度寝してしまったことがある。写真の僕は髪も濡れている感じだったし、あのときの写真で間違いなかった。


「……き、君……あのとき、家にいたのか……?」

「そ、そうよ……! 部屋の中に籠もってただけで……! リビングに降りてみたら、裸のあなたが眠りこけてて、びっくりして……」

「……びっくり?」


 僕は目を細めて結女に冷えた視線を送る。


「びっくりしたら写真を撮るのか、君は? 『うわあっ! びっくりしたあっ! パシャッ!』って? そんな奴いるか?」

「………………黙秘権を行使します」


 そう言って、盗撮女は枕で顔を隠した。おい。

 ……まあ、たぶん、あとで強請りにでも使おうと思ったんだろうな。この女のことだから。それにしては2日も音沙汰なかったのが奇妙だが、きっとそうに違いない。

 今の問題は別にある。


「…………これを、由仁さんに送ったのか」


 これを。

 僕が裸で寝ている写真を。

 僕は冷え切った視線を結女に送った。

 結女はさっと顔を逸らした。


「貴様…………やりやがったな?」

「~~~~~~っ!!!」


 声なき悲鳴を枕に炸裂させながら、結女はばたーんとベッドに横倒しになった。

 枕に顔を押しつけたまま、どたばたと足を暴れさせて悶絶する。


「わ、わかってるわよおっ……!! それが一番マズい写真だってことくらいっ! わかってるから、わかってるから言えなかったんでしょーっ!?」


 背景が僕らどちらかの部屋のベッドではなく、リビングのソファーだからまだ言い訳のしようがあるものの、この女が僕が裸でいる写真を持っているという事実から、果たして由仁さんがどう考えるか。

 僕らがもっともしてほしくない勘違いに至る可能性は、決して否定できなかった。


「うっ、ううっ……! ホントありえない……。こんな大ポカやるなんて……。笑いなさいよ、鈍臭い奴だって……。所詮は付け焼き刃の高校デビューだって……。本性は根暗でコミュ障でつまんない陰キャだって……。ううっ、ううう~っ……!!」


 ベッドに突っ伏したまま妖怪のように呻き続ける僕の義妹。何やらヘコんでいるようだった。

 ……ああ、そういえばこういう奴だったな。

 些細なことをいつまでも気にして、すぐに感情が負のスパイラルに入る、クソ面倒臭い女。付き合っていた頃は、この状態になったこいつを何度も慰めたっけ。

 ちょっとした懐かしさを覚えつつ、僕は溜め息をつく。


「……とりあえず、この写真消しとくぞ」

「うえっ?」

「ん?」


 結女が顔を上げて、僕が見つめ返して、結女は慌てて顔を背けた。


「そ、そうね……。そんな写真が入ってたら、私のスマホが汚れてしまうものね」

「丸2日も後生大事に保存しといてそれは無理あるだろ……」

「………………………………」


 結女は再び瞼に突っ伏して無言になった。

 こいつ、今日はいつにも増して隙だらけだな。


「……もうダメ……。死ぬ。もう死ぬ。さようなら……」


 ついにはそんな呟き声すら聞こえてきて、さすがに哀れに思えてきた。

 学校じゃあ完璧超人を装っているが、元来、この女は要領のいいほうではまったくない。有能に見えるのはすべてハリボテ。不断の努力の結晶だ。だから一度崩れたらとことん崩れ去るのみ。

 今回、ボロが出たのが家族相手でまだしもよかったと考えるべきだろう。だが、まあ、このネガティブ女にそんなポジティブシンキングを期待するほうが無理な相談か。


 僕は一計を案じた。

 ベッドにうつ伏せになった結女に自分のスマホを向け、パシャリと1枚。


「――えっ!?」


 瞬間、結女が飛び起きる。


「いま撮らなかった!?」

「あー、しまったぁー。いま撮ったばかりの写真を由仁さんに送ってしまったぁー」

「はあああああっ!?」


 結女は猛然と僕からスマホを奪い取ると、その画面を見てわなわなと震え出した。


「……ほ、本当に送ってる……」


 もちろんだ。本当に送った。

 パジャマ姿でベッドに寝そべっている義理の妹の写真を、義理の母親に。


「ど、どーするの、これ……! ぜ、絶対怪しまれる……!」

「大丈夫だろ」

「どこが!?」


 愕然とした顔で睨みつけてくる視線を口笛を吹いて受け流していると、コンコン、と部屋の扉がノックされた。


「……水斗くん? 結女の部屋にいるの?」


 ひあっ、と結女がビビった声を上げかける。

 それは由仁さんの声だった。

 結女が『どうするのどうするのどうするの!?』という視線を僕に送ってくる。僕は『まあ見てろ』と目で答えながら、結女のスマホを投げて返す。

 それから立ち上がって扉に向かい、普通に由仁さんを出迎えた。


「どうも、由仁さん」

「わ、ほんとにいた。……水斗くん? さっきの写真はどういう……」


 由仁さんは僕の身体越しにベッドの上の結女を見ながら、怪訝げな顔をした。

 まあ、普通の反応だな。

 一応は年頃の男女が、こんな夜更けに同じ部屋にいたら。

 だけど、僕は動じることなく、堂々と説明した。


「本を借りに来たんですけど、そしたら結女さんが珍しく悩み込んでいて面白かったので、思わず送りつけてしまいました。すみません」

「悩み? って?」

「由仁さんに変な写真を間違って送ったとかなんとか」

「あ! もしかして、あの裸の……?」

「はい。一昨日だったかに、僕がリビングで寝てたときの」


 隠すことも誤魔化すこともしない。

 僕はただ、ありのままの事実を喋るだけだ。


「由仁さんに変な風に思われたかも、って、正直すごいどうでもいいことだったんで、とりあえずあの写真は消しときました」


 由仁さんは「ぷふっ」と口を隠して噴き出す。


「そうそう。その子、すっごい些細なことですぐ悩んじゃうの!」

「いいからさっさと寝ろと言っておきました」

「正解! ……でもねぇ」


 じろりとした視線が、僕と結女の間を交互に動いた。


「水斗くん? 結女と仲良くしてくれてるのはわたしも嬉しいんだけど、こんな夜に部屋で二人きりっていうのは……」


 きっと結女は後ろで身を固くしていることだろうが、僕はきょとんと首をかしげてみせた。


「もしかして、怪しまれてますか?」

「そりゃあ、年頃の男女だし……ねぇ?」

「そういう意識があったら、こんなに平然としてられないと思いますけどね」


 由仁さんはじっと僕を見る。値踏みをするように、どんな些細な表情も見逃すまいと。

 対して僕は、困ったような愛想笑いを崩さなかった。

 やがて、


「確かにね~!」


 と、由仁さんはぱっと明るく笑った。


「考えすぎだったかしら。ごめんね、水斗くん。疑うようなことを言って」

「いえ。僕も考えが足りませんでした」


 お互いにぺこりと頭を下げて、ここらが潮時だ。


「じゃあ、僕はこれで。おやすみなさい」

「あ、おやすみなさ~い」


 自然な流れで結女の部屋を出て、自分の部屋に移動した。

 由仁さんの足音が階下に消えたところで、自分のベッドに腰掛け、スマホで結女にかける。

 向こうが応答すると、開口一番に行った。


「ほら、大丈夫だっただろ」

『なんてことするのよっ!』


 するとすぐさま金切り声が返ってきた。由仁さんに聞こえないようにか声量は抑えてある。器用だな。

 僕はちょっとスマホを耳から離しつつ、


「こそこそ隠れるほうが怪しいんだよ。堂々としてるのが一番なんだ、結局」

『そうは言ってもね……!』

「そもそも」


 僕は断ち切るように言った。


「僕らにそういう感情がないのは、ただの事実だ。……そうだろう?」

『…………まあね』


 返ってきたのは、ちょっと不満そうな硬い声。


『火のあるところにしか煙は立たないしね? 私たちには、むしろ液体窒素が滞留してるくらいだものね?』

「それはそれで煙が出そうだが……まあ、そういうことだ。いちいち気にするのはもうやめろ。それができないならさっさと寝ろ。僕から言えるのはそれだけだ」


 結局、それが一番の対処法だった。

 付き合っていた頃、こいつが悩んでいたときも、似たような意味のことを言ったはずだ。言い方はもうちょっとオブラートに包んでいたが。

 結女はしばらく沈黙したのち、ぽつりと、か細い声で言った。


『………………あり、がと』


 僕は瞬時、息を詰まらせる。


「…………明日から学校なのに、雪でも降りそうなこと言うなよ」

『バカ。……おやすみ』


 それを最後に、通話は切れた。

 通話終了と表示されたスマホを眺めながら、僕はまた溜め息をつく。


「……堂々としてるのが一番、ね」


 我ながら、本当にその通りだ。

 リズムを早めた心臓を服の上から押さえていると、手に握りっぱなしのスマホが震えて、なおさら動悸が乱れた。

 由仁さんからのLINEだった。


〈結女のこと、よろしくね❤〉


 ……前にどこかで見た話では、女性が使うハートマークに深い意味はないと言う。

 これもそうだったらいいんだが。


 スマホから目を上げると、机の上に出しっぱなしの日記帳が目に入った。

 もうすぐ日付が変わり、ゴールデンウィークが終わる。

 そして朝が来れば学校が始まり、あの女は完璧超人の演技を再開する……。


 思ったことがあった。

 僕は再びスマホに目を戻すと、結女宛てにLINEを送った。


〈おやすみ〉


 それからちょっと逡巡して、


〈もし雪が降ったら、傘くらい貸してやる〉


 通じるだろうか。

 通じなくたって別にいいが。

 ほどなくして、返事が来た。


〈バカ〉


 ちょっと間を空けて、


〈二度と忘れないって決めてるから、大丈夫〉


 そうかい。

 そりゃ結構なこった。


「……ふん」


 僕は鼻を鳴らして、ベッドに倒れ込んだ。

 明日はせいぜい、晴れるといいな。

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