湯けむり旅情思春期事件① 常在戦場


◆ 紅鈴理 ◆


「逢引きしよう。みんなには内緒だよ?」


 堂々とそう言い切ったぼくは、そのまま席を立ち、ジョーに背を向けて離れた。

 そして、あたかも内装を見物しているように壁際に移動すると、


「……はあ~……」


 誰にも聞こえないよう小さく、溜め息をついたのだった。

 が。


「――すずりん?」

「うっ!」


 不意に肩に手を掛けられ、振り向くと、目を意地悪く輝かせた愛沙と結女くんが、ぼくの顔を見てにやにや笑っていた。


「見てたよ~? ジョー君に何か言ってなかった~?」

「今、溜め息をついてましたよね! 緊張してたみたいに! 何を言ったんですか!?」

「や、ちょっ、それは……!」


 おのれ! ハイエナみたいな奴らだ! 人が頑張って格好つけた直後に!


「あっれ~? 赤くなってるぅ~?」

「会長かわいい~!」

「うっ、うるさいうるさい! 何でもないよ、これは!」


 ジョーにバレたらどうするんだ! ったくもう! 空調暑いな、ここ!





 

◆ 伊理戸結女 ◆


 北野異人館街を後にした私たちは、新神戸駅から地下鉄に乗り、いくつか電車を乗り継いで、有馬温泉へと向かった。


「見て結女ちゃん! ローソンが青くない!」

「わ、ホントだ。京都のマクドみたい」


 駅を出るなり、看板が茶色いローソンという不思議なものに出迎えられて、私たちは謎に盛り上がった。景観保護的な何かのためなのだろう。

 駅から川沿いに坂を登っていくと、歴史のありそうな古めかしい構えのお店があったり、ホテルらしき大きな建物が遠目に見えてきたりして、少しずつ温泉地の雰囲気が感じられてきた。

 その途中、川にかかる大きめの橋の前を通る。信号の道路標識を見上げたら、『太閤橋』と書いてあった。


「太閤って……豊臣秀吉ですか?」


 会長にふと訊いてみると、会長は「うん」と肯いて、


「有馬温泉は豊臣秀吉がよく来たらしいからね。ほら、大阪城ともそんなに離れてないだろう?」

「ああ……」

「いわゆる湯治ってやつさ。夫婦揃ってお得意様だったんだよ」


 と言いながら、会長は太閤橋の傍にある広場を指差した。何気なく通り過ぎてしまっていたけれど、その広場には台座の上に座った、豊臣秀吉のものと思しき像がある。


「もう少し先にねね橋というのもあるらしいよ」

「ねね――豊臣秀吉の奥さんですよね」

「そう。そっちにはねねの像があって、あの太閤像と遠目に見つめ合っているんだってさ」


 会長の言う通り、さらに歩くと赤い欄干の橋があり、そのたもとに着物の女性の像が建っていた。確かに、太閤像があった方向を向いている。


「まるで織姫と彦星ですね。川を跨いで見つめ合ってるなんて……」

「政略結婚が基本の戦国時代で、珍しく恋愛結婚をした二人だからね――最初は身分の差があったから、家族にずいぶんと反対されたって話だよ」

「そうなんですか……」


 家族に反対――家というものが今よりずっと強かった時代に、それを押し切ってまで結婚するなんて、それだけ好きだったってことなのかな……。


「まあ、その後、秀吉は出世して、側室を増やしまくったんだけどね」

「え」

「あんまり浮気するもんだからねねがキレて、信長に直訴したって話もあるくらいだよ」

「ええー……」


 つよい。

 さすが天下人の妻ともなると行動力が違う。ヘタレてばっかりの私とは、文字通り天地の差だぁ……。


 少し気になってスマホで調べてみると、ねねの訴えに対し、信長が返した手紙が残っているらしい。内容は、ざっくり言えば『あのハゲにはあなた以上の妻なんていないんだから、嫉妬なんてせず、正室らしく堂々としていなさい』みたいな感じだった。


 嫉妬せず、堂々と……。

 私はちらりと、後ろを歩く水斗と東頭さんを振り返る。

 東頭さんがスマホでぱしゃぱしゃと撮った写真を、水斗が肩を寄せて一緒に見ているところだった。肩はもちろん、下手すると頬までくっつきそうな近さで、知らない人が見たら――知ってる人が見ても――恋人同士としか思えない。


 嫉妬なんか、する。

 いや、羨望と言ってもいい。


 同じ屋根の下で暮らしている私が、どうして他の女子に距離感で負けちゃうんだろう。もう慣れたと言っても、ときどき、どうしてもそんな疑問が――不安が――首をもたげるときはある。

 東頭さんのことは好きだし、東頭さんに水斗が必要だってこともわかってる。

 近付くな、なんて命令できる義理も、私にはないってことも……わかってる。

 わかってるけど、やっぱりたまには、羨ましくてたまらなくなるのだ。


 なんで私が、そこにいちゃいけないの? ……って。


 ………、ダメだなあ。言った傍からぐちぐち悩んじゃってる。

 今は旅行を楽しもう。それでいいじゃない。






◆ 東頭いさな ◆


「いさな。君はあっちだろ」


 お宿に到着し、あらかじめ送ってあった荷物をフロントで受け取ると、まずはその荷物をそれぞれの部屋に置いてくることになりました。

 そう――男子は男子の部屋へ、女子は女子の部屋へ。

 不肖、東頭いさな、僭越ながら生物学的には女子であります。

 生理だなんだで悩まされても、まあいつでもおっぱいが見れるからいいか、と女子である自分に納得してきたわたしですが、今回ばかりは男子のほうが良かったと思いました。


「おおー! いいねいいねー! 修学旅行思い出すー!」

「愛沙。まずは荷物の確認だ。はしゃぐのは後にしなよ」

「会長。この辺りにまとめておけばいいですか?」


 し……知らない人と同じ部屋……。

 結女さんや南さんも一緒とはいえ、今日会ったばかりの人と同じ部屋で寝泊まりするなんて、わたしにはちょっとハードモード過ぎます! 浮きまくってた夏の勉強合宿を思い出して、わたしはそわそわと無意味に視線を泳がせました。

 水斗君がいるときはくっついていれば良かったのに! あまりに人頼りなコミュニケーションしかできない自分が情けなくなりますが、気持ち一つで性格が変わるなら苦労はしません。


「東頭さん、荷物の確認終わった?」


 結女さんに優しく話しかけられ、「うぇあっ、はあ……」と挙動不審過ぎる返事をしました。

 けど、結女さんは気にした風もなく、


「もし足りないものがあったら言ってね。フロントに確認しないとだから」


 わたしはこくりと肯きますが、内心、気が重くなっていました。こういうとき、もし何か足りなくても、言い出せないんですよね、わたし……。人に話しかけるというタスクが重すぎて、まあちょっと荷物がなくなるくらいいいか、みたいな思考になりがちなのです。

 幸い、鞄が足りなかったりはしていません。鞄の中も、着替えと本が入っているくらいですから、どんな手違いがあったってなくなりようがないと思います。

 でも一応、和室の隅に座り込んで、鞄の中身を検めました。お母さんに手伝ってもらって詰め込んだ、文庫本、着替えの服、スマホとタブレットの充電器、それから下着――


 あれ?

 何だか、見覚えのないものが……なんでしょう? この赤い布……。

 ごそごそと引っ張り出してみると、それはブラジャーでした。


「うぇ?」


 しかもレースで透け透けの、クッソドエロいブラでした。なっ、なんですかこれ!? 透けすぎでは!? これじゃあ乳首が見えてしまうのでは……!?

 確かに最近、諸事情あってブラジャーの大部分を新調しましたけど、こんなエッチな用途しか存在しないものには覚えがありません。な、なんでこんなものが……!?


「――ほっほーう?」


 すぐ後ろから聞こえた声に、わたしはびくっと振り返りました。

 南さんは謎の訳知り顔で、わたしが手にしたスケベブラジャーを見下ろしていました。


「ずいぶん面白いものを持ってるね~、東頭さん?」

「いっ、いやっ、こ、これはですねっ……」

「んー? どしたのー?」


 誤魔化そうとしたところに、ツーサイドアップの先輩(亜霜さん? でしたっけ)が興味を示して寄ってきてしまいました。

 そして、わたしの手の中にあるものを見て、ぎょっと目を見開きます。


「え!? 何それ!? えっろぉー! でっかぁー!」

「東頭さんもちゃんと持ってるんだね~、勝負下着!」

「ち、ちがっ……! 違うんです! こ、これは、いつの間にか紛れ込んでてっ……!」

「え~? 他の誰かのやつが混ざってたの? このデカさだと、まさか、ランラン……?」

「東頭さん、ちょっと貸してね~」

「あっ」


 返事をする間もなく、南さんはブラを奪い取り、ベルトのところに付いているタグを読みました。


「ぶおえっ!?」


 そして仰け反りました。


「なっ、なになに? どしたの、あっきー!?」

「…………H75…………」

「は?」


 南さんが表情を虚無にしながらタグを見せると、


「ぶおえああっ!?」


 亜霜先輩もまた、ぶん殴られたように仰け反りました。


「えっ……えっち、かっぷ……?」

「えっちかっぷって、なに……?」

「えっち……?」

「えっち……?」


 二人は揃ってわたしの胸を見下ろし、


「「……えっちだ……」」


 そういう意味じゃないんですけど!

 確かにエッチですけど、エッチじゃなくてエイチなんですけど!


「え? ちょっと待ってあっきー。Hってアンダー差いくつだっけ?」

「確か26センチだか27センチだか……」

「え? え? ってことはアンダーが75だから……バスト100センチ超えってこと?」

「そっ、そんなにありませんよぉ……! この前計ったときは98センチで――」

「「きゅうじゅうはちぃ!?」」


 す、ステレオでリアクションされると、びっくりするのでやめてください……。

 南さんと亜霜先輩は、二人してまじまじとわたしの胸を観察して、


「……他にこんなブラが必要な人がいるとは思えないけど……ランラン! ブラのサイズ教えて!」


 亜霜先輩が振り返って言うと、話を聞いていたのか、明日葉院さんが嫌そうな顔をしながら答えます。


「……F60ですが」

「「「えふろくじゅう!?」」」


 今度はわたしも参戦しました。

 60センチ? ウエストじゃないですよね? アンダーバストですよね? いくら背が小さいとはいえ……F60……初めて聞きました、そんなサイズ……。

 亜霜先輩が、立ち眩みを押さえるように頭を抱えました。


「うぐう……! あっきー、あたしゃ頭がどうにかなりそうだよ……!」

「先輩っ、気をしっかり持って! デカチチに負けないでっ!」


 南さんたちが謎のダメージに苦しむ一方で、わたしはぼーっと、明日葉院さんのおっぱいを見つめていました。えっちです……。

 明日葉院さんが恥ずかしそうにそそくさと逃げてしまうと、改めて、わたしは南さんが持っている派手でスケベなブラジャーを見直しました。

 どうやらサイズからして、わたしのものであることは間違いなさそうです。けど、いつの間にあんなのが……?


 鞄の中に目を戻すと、着替えの底から、何やら紙が覗いているのに気付きました。

 引っ張り出してみると、それはわたしへ宛てたメモでした。


『チートアイテムを入れといてやったから、きっちり決めてこい。母より』


 ……お母さん……。準備のときにどさくさに紛れて……。

 娘の初体験をこんなに後押しする母親います?


「諸君!! 勝負下着を持ち込んでいる者は即刻申告されたし!!」

「あたしたちが公平に評価を下すーっ!!」

「ちなみに不肖、わたくし亜霜愛沙は、真っ黒なやつを持ってきました!!」

「ぃええ!? 先輩、人のこと言えないじゃん!!」


 気付けば、南さんや亜霜先輩のわちゃわちゃに巻き込まれて、人見知りをしている暇もなくなっていました。

 ちなみに、会長さんの下着は全部エッチでした。


「人生、勝負じゃない日などないからね」

「「お見それしましたあーっ!!」」

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