異国情緒のパラレルデート⑥ 二人だけの幸運


◆ 羽場丈児 ◆


 俺の定位置はいつもどこでも変わらない。集団の最後尾。前を歩く人々の背後に見切れる位置。だから今も、俺は紅さんと明日葉院さんの背中を、二歩分ほど後ろから見つめている。

 紅さんは穏やかに後輩へと話しかけ、明日葉院さんは緊張気味に、憧れの先輩に相槌を返している。紅さんは人と仲良くなる速度も天才級だが、さすが半年間も憧れ続けていただけはあって、明日葉院さんは未だに話すのに慣れていないらしい。


 そうしながら歩くこと数分。狭い路地のような坂を登っていくと、円筒状の塔のようなものを備えた洋館が見えてきた。

 推理小説に出てくるような、まさに洋館である――白っぽい外壁には鱗のような形のタイルがびっしりと貼り付けてあり、だから『うろこの家』と呼ばれているらしい。名前まで推理小説みたいだ。

 訪れるのは数名の奇妙な客だけ――なんてことはなく、普通に大学生っぽい集団や老人会か何かと見える観光客グループが、俺たちより先に館の門を潜っていった。


 俺たちも続いて門を抜け、観光客の列に並び、受付を済ませると、館の前庭に入る。

 前庭の真ん中には、人間大ほどもある猪の銅像が鎮座していた。

 紅さんと明日葉院さんは、まっすぐ伸びる砂利の道を行き、猪像に近付く。


「ポルチェリーノ……」


 明日葉院さんが像の横に立てられた看板を見て呟いた。

 紅さんも同じように看板を覗き込みながら、


「鼻を撫でると幸運に恵まれる、だってさ。ほら、見てごらん。鼻だけ撫でられすぎてピカピカだよ」

「あ、本当ですね。ここだけ金でできてるみたい……」

「ポルチェリーノ氏もいい加減辟易としているかもね。ここは遠慮して、できるだけそっと撫でてあげるとしよう」

「紅会長には、幸運なんて必要ない気がしますけど……」

「そんなことはないさ。キミがこの旅行についてきてくれたこと――いや、蘭くんと出会えたことだって、ぼくにとっては幸運以外の何物でもなかったのだから」

「そ、そ、そんな……!」


 常々思っているのだけど、紅さんは男に生まれていてもモテたに違いない。よくもまあ、あんな歯が浮くような台詞を大真面目に言えるものだ――しかもそれが冗談にならないのが、紅鈴理という人のすごいところである。


 ……本当に、冗談にならないんだよな。

 返す返すも、明日葉院さんが一緒に来てくれたことは僥倖だった――もし紅さんと二人きりになっていたら、一体どんな『冗談』に襲われていたことか。


 しばらく猪の鼻を撫でた二人が踵を返し、入れ替わりに俺が銅像の前に立つ。

 俺は別に、パワースポットの類を信じるタイプではないが――せっかく来たのだから、触っておかなければ損した気分になりそうだ。

 俺はそっと、金色に剥げた猪の鼻に手を伸ばし――


 ――横からすっと伸びてきた手と一緒に、その先端に触れた。


「…………!?」


 手を伸ばした紅さんが、間近から俺の顔を見つめて口の端を上げていた。


「これで、ぼくにもキミにも幸運があるね」


 猪の鼻に触れた俺の小指に、自分の小指を重ねながら、


「さて――どんな幸運をご所望かな?」


 俺の顔色を楽しむように、くつくつと笑う。

 いくつかの思考が瞬間的に脳裏を巡り、だけど、そのどれも表に出すことはなく、俺は、紅さんから目を逸らしながら、努めて冷静に答えた。


「……俺ごときでは、想像もつきません」

「なるほど。『お任せ』というわけだ」


 紅さんはすっと銅像から手を離して、再び踵を返す。

 そして、


「(とびっきりの幸運を約束しよう。楽しみにしていたまえ?)」


 甘い響きを俺の耳元に残し、明日葉院さんを追いかけていった。


「……………………」


 俺は遅れて像から手を離し、二人の後を追いながら、少しだけ感触の残る小指を手のひらの中に握り込む。


 ――勘違いするな。勘違いするな。勘違いするな。


 紅さんは俺にしか見えない背中の後ろで、小指だけを主張するように立てていた。

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